新年祝賀式典

一条真也です。

みなさま、お正月はいかがでしたか?
わたしは、長女が帰省して家族で正月を過ごしました。
今日は、仕事始めの新年祝賀式典が行われました。
ブログ休止中ですが(苦笑)、仕事始めということで特別にUPしました。


2013年度サンレー新年祝賀式典のようす



今日は、2013年度サンレーグループ新年祝賀式典が行われました。
さまざまな部署から総勢400名以上が、会場の松柏園ホテルに参集しました。
勇壮な「ふれ太鼓」で幕を明け、「開会の辞」に続いて全員で社歌を斉唱し、それから「経営理念」「S2M宣言」が読み上げられ、全員で唱和しました。


会長訓示のようす



そして、佐久間進 サンレーグループ会長による「会長訓示」が行われました。
佐久間会長は、村上和雄先生の説かれる「サムシング・グレート」、つまり人間の世界を超越した偉大な存在について語り、それは「産霊」に通じるという話をしました。
サンレーの社名の意味である「産霊」とは「サムシング・グレート」そのものなのです。


わたしも社長訓示をしました



「会長訓示」の後は「社長訓示」です。わたしは、以下のような話をしました。
平成25年、2013年の新しい年を社員のみなさんとともに迎えることができて、幸せを感じています。昨年はサンレーにとって大きな動きのあった一年でした。
それから、わたしも「サムシング・グレート」について話しました。「サムシング・グレート」とは、「神」や「天」や「ゴッド」や「アッラー」などと呼ばれる存在です。
この宇宙に1個の生命細胞が偶然に生まれる確立は、宝くじを買って1億円が百万回連続で当たるくらい奇跡的なことだそうです。
その細胞を、わたしたち人間は1人につき60兆個も持っています。
さらに、ヒトの遺伝子暗号は、約32億の科学の文字で書かれています。これは本にすると、1ページ1000字で、1000ページある大百科事典にして、計3200冊分にもなります。そんな遺伝子暗号を書いたのは誰か。
その正体を、アインシュタインは「宇宙の真理」といい、マザー・テレサは「サムシング・ビューティフル(美しい何ものか)」と呼びました。それを村上先生は「サムシング・グレート(偉大なる何ものか)」と名づけたわけです。素晴らしい言葉ですね!


サムシング・グレートについて語る



村上先生によれば、人間とチンパンジーの間にはわずか3.9%の遺伝子情報の差しか存在しないそうです。しかし、その些少な差にはサムシング・グレートの思いが入っています。「他の動物にはできない仕事をしてくれ」という使命を人間に与えたのです。だから、サムシング・グレートは人間だけにかなりの心の自由、考える力を授けました。そのことを忘れてはいけないと、村上先生は力説されました。
そして、人間がサムシング・グレートと心を通わせる方法とは何か。
それは、まず感謝することです。日本語には「ありがとう」「おかげさま」「いただきます」「ごちそうさま」「もったいない」といったひらがな言葉がありますが、これらはいずれも感謝の気持ちを表す言葉です。これほど、感謝語のバリエーションが多いのは日本語だけです。日本人は、もともと感謝する国民性を持っているのかもしれません。わたしたちも、ぜひ日頃から感謝の「ひらがな言葉」をたくさん使いたいものです。


「感謝」と「祈り」が大切です



そして、感謝とともに大切なのがサムシング・グレートに対して祈るということです。
よく「苦しいときの神頼み」といいますが、あまり良くない意味で使われるように思います。しかし、ある意味で最も人間的で最も自然な心の行為ではないでしょうか。
祈りの対象は太陽でも神でも仏でもよいのです。人が不可知な力について感じるようになれば、人生そのものに必ず大きな展開がもたらされてくるものなのです。
「歌聖」と呼ばれた西行法師は、伊勢神宮を参拝したときに「なにごとの おはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる」という有名な歌を詠んでいますが、その正体はわからなくても畏敬の念を抱いて祈ることが大切なのです。
もちろん、あくまで「人事を尽くして天命を待つ」が基本です。かつて、アメリカが月に向けてアポロ11号を打ち上げた際、あらゆる準備、点検をすべて終え、残るは発射のボタンを押すのみという時に、その責任者は「あとは祈るだけだ」とつぶやいたといいます。これこそ、人事を尽くして天命を待つということではないでしょうか。
人が「もう、これ以上は無理だ」というぐらいまでベストを尽くしたとき、最後にはサムシング・グレートが力を貸してくれるように思います。
佐久間会長も「オリンピックの金メダリストの多くに、サムシング・グレートのサポートを感じる」と述べていますが、まったく同感です。あの山下泰裕氏が足の怪我にもかかわらずロス五輪で金メダルを取得したとき、あのイチロー選手が不調だったWBCで最後の最後に勝利のヒットを放ち、「野球の神様が降りてきた」とコメントしたときにもサムシング・グレートの存在を感じました。


なにごとも陽にとらへて大いなる節目めざしてともに励まん



今年のサンレーグループは、売上・利益ともに大きな目標を掲げています。それを達成することは容易ではないと思います。しかし、各人がそれぞれの持ち場で最善を尽くし、「もう、これ以上は無理だ」という極限状況に至ったとき、最後にはサムシング・グレートが「サンレー」を助けてくれるかもしれません。
サムシング・グレートとは、宇宙の不可思議な生命力としての「産霊(むすび)」、すなわち「サンレー」の別名でもあるのですから。
そのとき、単なる目標ではなく、無理なく通過すべき節目となるはずです。
最後に、わたしは「なにごとも陽にとらへて 大いなる節目めざして ともに励まん」という短歌を詠みました。心からの祈りを込めて詠みました。



その後、各部署の決意表明や、今春に入社予定の新入社員の紹介が行われました。
最後は、全員で手をつないでの「和のこえ」で、新年祝賀式典がめでたく終了。
平成25年 庸軒ごよみ」の1月の道歌のように、「手をつなぎ人の輪つくり和をつくり声をあげれば福ぞ来れり」です。今年も、よろしくお願いします!


手をつなぎ人の輪つくり和をつくり声をあげれば福ぞ来れり(撮影:不識庵


2013年1月4日 一条真也

謹賀新年

一条真也です。

あけまして、おめでとうございます。
みなさま、お元気のことと存じます。
ブログ休止中ですが、お正月ということで特別にUPしました。



「財界九州」2013年1月号



昨年は、会社と個人の両方で、多くの出来事がありました。
会社のほうでは高齢者介護事業に進出し、福岡県飯塚市に有料老人ホーム「隣人館」をオープンしました。また、大分県中津市には結婚式場「ヴィラルーチェ」をオープンし、冠婚施設の新規設備投資を再開しました。
さらには、昨年だけで10の「紫雲閣」をオープンすることができました。
今年も、トータルライフサービス事業の拡張を図っていきます。


「財界九州」2013年1月号



また昨年から、日本で唯一のビルマミャンマー)式寺院である「世界平和パゴダ」の運営サポートに関わらせていただくことになりました。
世界平和パゴダの再開にあたり、サンレーグループ佐久間進会長が日本のミャンマーの仏教交流の正式組織である「日緬仏教文化交流協会」の会長に就任しました。
わたしも、鎌田東二氏(京都大学こころの未来研究センター教授)、井上ウィマラ氏(高野山大学准教授)とともに、同協会の理事に就任しました。
わたしは、この世界平和パゴダを「有縁社会」のシンボルにしたいと考えています。
もともと、すべてのものは相互依存関係にあることを説いたのがブッダでした。
この世に「無縁」など、ありえないのです。ブッダの本心に近い上座部仏教の聖地で、新しい「有縁社会」の創造に父子ともども従事したいと思います。


「ふくおか経済」2012年11月号



さらに昨年、個人的には「孔子文化賞」を受賞させていただきました。尊敬する稲盛和夫氏(稲盛文化財団理事長)と同時受賞ということで、一生の思い出となりました。
孔子文化賞」の選考委員長である世界孔子協会の孔健会長に、「わたしの受賞理由は何ですか?」とお聞きしたところ、「礼の実践」であると言われました。
わたしどもは日々、多くの結婚式や葬儀のお手伝いをさせていただいていますが、冠婚葬祭の基本となる思想は「礼」です。サンレーグループの事業はすべて「人間尊重」をコンセプトとしています。そして「人間尊重」を一字にすると「礼」ということになるでしょう。サンレーとは、「礼」の実践を生業とする「礼業」なのです。
世の中には農業、林業、漁業、工業、商業といった産業がありますが、わが社の関わっている領域は「礼業」です。「礼業」とは「人間尊重業」であり、「ホスピタリティ・インダストリー」の別名でもあります。今年も、全事業分野で「礼の実践」をめざします。


「ふくおか経済」2013年1月号



「礼」といえば、いま、日本と中国、韓国の関係が悪化しています。
そこには尖閣諸島竹島などの領土問題がありますが、領土問題もつまるところは「礼」の問題に行き着きます。「礼」とは、2500年前の中国の春秋戦国時代において、他国の領土を侵さないという規範として生まれたものだとされています。
その「礼」の思想を強く打ち出した人物こそ、かの孔子です。
逆に「礼」を強く否定した人物とは、かの秦の始皇帝でした。
始皇帝は、自ら他国の領土を侵して中国を統一する野望を抱いていたからです。
始皇帝は、『論語』をはじめとする儒教書を焼き払い、多くの儒者を生き埋めにしました。
世に言う「焚書坑儒」です。人類史上に残る愚行とされています。



しかし、始皇帝が築いた秦帝国はわずか14年間しか続きませんでした。
しょせんは「人の道」を踏み外した人間の作った国など、長続きしなかったのです。 
それにしても、世界中の国家や企業に、いかに“ミニ始皇帝”の多いことか! 
わたしは、「礼」とは最高のマネジメント思想であると思っています。そして、「礼」こそは最強の護身術であるとともに、究極の平和思想としての「人類の道」だと思います。
今春、祥伝社から『日中韓のしきたり』(仮題)という監修書が刊行されます。
孔子の説いた「礼」の思想で日本・中国・韓国の平和を考えたいと願っています。



孔子は、「礼」とともに「楽」の重要性を説きました。「楽」とは音楽のことです。
音楽を愛した孔子は「礼」と「楽」をあわせて「礼楽」という言葉を使っています。
論語』には、「楽は同を統(す)べ、礼は異を弁(わか)つ」という言葉があります。
楽すなわち音楽は、人々を和同させ統一させる性質を持ち、礼は、人々の間のけじめと区別を明らかにします。つまり、師弟の別、親子の別というように礼がいたるところで区別をつけるのに対して、音楽には身分、年齢、時空を超えて人を「ひとつ」にする力があります。組織のマネジメントにおいては「礼」とともに「楽」が求められるのです。


屈強なボディガードとともに入場

「I LOVE YOU,OK」を歌う♪

「トラベリン・バス」で大熱狂!

音楽は人の心を「ひとつ」にします



というわけで、わたしも音楽を大いに愛しています。ブログ「今頃、永ちゃんに夢中」に書いたように、デビュー40周年を迎えた矢沢永吉の歌に昨年からハマっています。
昨年末、わたしは多くの忘年会に出席しました。本社部門、冠婚部門、葬祭部門、関連部門・・・年末は毎日が忘年会だった観がありますが、わが社の忘年会では恒例のカラオケ大会が行われます。カラオケの最後で、わたしは矢沢永吉のナンバーを歌いました。白の上下のスーツに白い靴、さらには白のパナマ帽をかぶって「I LOVE YOU,OK」や「トラベリン・バス」を熱唱しました。みんなも盛り上がってくれました。
63歳の永ちゃんに負けないように、わたしも今年はハッスルしたいと思います。



晦日のNHK紅白歌合戦でも、永ちゃんは圧倒的な存在感でしたね。
永ちゃんの直後に登場したEXILEが気の毒に思えました。
まったく、彼のオーラに匹敵するのは美輪明宏さんぐらいのものでしょう。
美輪さんが歌った「ヨイトマケの唄」は素晴らしかったです。感動しました。
圧倒的な輝きで並み居るスターたちの光を消し去った永ちゃんが太陽なら、やわらかな慈悲の光を放つ美輪さんは月のような人だと思いました。



本格的なブログ再開に向けても、準備を進めています。もう少しだけ、お待ち下さい。
もうすぐ、デザインを一新したニュー・ブログでお会いしましょう。
これから、門司にある皇産霊神社に初詣に出掛けます。
わが社の守護神をまつる同神社については、ブログ「皇産霊神社」を御覧下さい。
元旦の九州は大雪との予報でしたので、気をつけて車を運転しないと・・・・・
年初にあたり、気持ちを新たにして「天下布礼」の道を突き進みたいと思います。
それでは、みなさま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


皇産霊神社から見た初日の出

皇産霊神社での獅子舞のようす


2013年1月1日 一条真也

メリー・クリスマス!

一条真也です。

メリー・クリスマス!
みなさん、お元気のことと存じます。
現在はブログ休止中ですが、クリスマスということで特別にUPしました。
さて、わたしは、いま、沖縄に来ております。クリスマス寒波が各地に到来し、北九州では雪も降りましたが、今朝の沖縄の気温は約20度と暖かいです。


本日オープンした北部紫雲閣沖縄県名護市)

今年10番目にオープンした紫雲閣です



本日、沖縄県名護市に「北部紫雲閣」がオープンしました。
これで、紫雲閣グループとしては今年10番目のオープンとなります。


あけみおのまちに生まれし幸せの紫の雲ニライカナイ



沖縄県名護市は「あけみおのまち」と呼ばれています。
その意味について、名護市のHPには「あけみおとは、夜明けの美しい静かな入り江の青々とした水の流れの意」と書かれています。
海のかなたのニライカナイから人々に豊穣をもたらす流れであり、海の外へと広がり行く水の流れでもあります。人々の幸せを願い、可能性に向かって突き進む名護市の進取の精神が込められているのです。
そこで、わたしは本日の竣工式の施主挨拶の最後に次のような短歌を詠みました。
「あけみおのまちに生まれし 幸せの紫の雲ニライカナイへ」


琉球新報」「沖縄タイムス」12月25日朝刊



新セレモニーホールを幸福の楽園ニライカナイへの港にしたいです。
また、「琉球新報」「沖縄タイムス」の両紙に北部紫雲閣の全面広告が掲載されました。


本日オープンした新サイト「一条真也の読書館



それから今日、わたしの新たなサイトが開設されました。
オフィシャル・ブックレビュー・サイト「一条真也の読書館」です。
これまで、わたしがブログに書いてきた多くの書評がジャンル別に整理されています。


36のカテゴリーに書評が整理されています



じつは、11月6日にオフィシャルサイト「ハートフルムーン」内に「読書館」を開設したのですが、今回、大幅なリニュアールを経て、新サイトとして独立させました。
本のカテゴリーも26から36に増えています。
いま、この書評をまとめてブックガイドを出版するという企画も進行しています。
新サイトOPEN記念として、読書ブックレット4冊セットのプレゼントも行います。


さまざまな本を紹介しました

ブックレット4冊セットをプレゼントします!

「財界九州」2013年2月号



本格的なブログ再開に向けても、準備を進めています。もう少しだけ、お待ち下さい。
来年、デザインを一新したニュー・ブログでお会いしましょう。
それでは、みなさん、良いお年をお迎え下さい!


2012年12月25日 沖縄にて 一条真也

もう少し、お待ちを・・・

一条真也です。

昨日、衆院選での自民党大勝のお祝いメッセージを安倍総裁にお伝えするため、休止中のブログを一時的にUPしたところ、大量のアクセスが集中して驚きました。
「この日を待っていました」といった内容のメールを知人からもたくさん貰いました。
けっして本格的なブログ再開ではありませんが、みなさんの反応を嬉しく思いました。


サンレー創立46周年記念式典のようす



ブログがないと、わたしの近況がわからないという方も多いです。
ブログを休止してから数ヶ月、ひたすら仕事に励んでいます。
おかげさまで、サンレーグループは11月に創立46周年を迎えることができました。
今年は、結婚式場の設備投資再開、高齢者介護事業への進出、そして10の紫雲閣がオープンするという大きな動きのあった1年でした。今月25日のクリスマスにも、沖縄県名護市に「北部紫雲閣」がオープンします。
仕事も忙しいですが、この数ヶ月間、さまざまな場所を訪れました。
ヨーロッパをはじめ、世界の各地に行きました。今月も台湾に行ってきましたが、いずれブログを本格再開したら、訪問地についても詳しく紹介する予定です。
また、ブログを書かない時間を使って、多くの本を読みました。
それこそ、300冊以上は本が読めました。『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)を書いた頃の読書ペースが戻ってきました。特に、これまで読む時間がなくて溜めておいた哲学、宗教学、人類学、民俗学社会学の研究書をたくさん読めて収穫大でした。
この読書経験は、必ず、仕事や執筆に活かしたいと思います。
執筆といえば、「一条本」の愛読者で東京にお住まいの方が「不識庵の面影」というブログを書かれています。かの稲盛和夫氏と並べるなど、わたしのことを過分に評価しておられて面映いのですが、とても素晴らしいブログですので、ぜひお読み下さい。


山下泰裕氏と



そして、この数ヶ月間、さまざまな方にお会いしました。
「史上最強の柔道家」と呼ばれる山下泰裕氏にも初めてお会いしました。
山下氏は、「NPO法人道教育ソリダリティー」の代表として、柔道を通じた国際交流を推進しておられます。特にミャンマーとの国際交流に情熱を燃やしておられ、その関係で「日緬仏教文化交流協会」の代表である佐久間進会長と会談の席が設けられ、同協会の理事であるわたしも同席しました。
ミャンマーの件についても大いに意見交換させていただきましたが、わたしには山下氏と柔道の話をたっぷりさせていただいたことが何よりの至福の時間となりました。
わたしの「一条真也」というペンネームは、梶原一騎原作のテレビドラマ「柔道一直線」の主人公「一条直也」にちなんだものです。そのことを山下氏にお伝えすると、とても驚かれ、それから嬉しそうな笑顔を見せて下さいました。


村上和雄氏と



サムシング・グレート」で有名な筑波大学名誉教授の村上和雄先生にも初めてお会いしました。「サムシング・グレート」とは「神」や「仏」や「天」などと呼ばれる人間の世界を超えた偉大な存在です。その言葉の産みの親である村上先生とは、11月初旬に開催された「ダライ・ラマ法王と科学者の対話」のレセプション・パーティーでお会いしました。
その後、村上先生に拙著をお送りしたところ、わざわざ丁重なお電話を頂戴しました。


矢作直樹氏と



また、「勇気の人」こと東京大学大学院教授の矢作直樹先生とは「死」についての対談を行いました。矢作先生は、ベストセラー『人は死なない』を書いた臨床医です。
医学者と冠婚葬祭業者が「死」について語り合う前代未聞の対談本になると思います。
矢作先生との対談本はPHP研究所から来春の刊行予定です。
村上先生と矢作先生の対談本も祥伝社から計画されているそうです。
わたしも祥伝社から刊行される『日中韓のしきたり』(仮題)という本の監修を務める予定です。孔子の説いた「礼」の思想で日本・中国・韓国の平和を考えたいと願っていますが、それにしても新しい「縁」の広がりを感じます。
ただただ、サムシング・グレートに感謝するばかりです。


奥田知志氏と



そして昨日、わたしは北九州市八幡東区荒生田にある東八幡キリスト教会を訪問しました。ホームレスの方々の「人間の尊厳」を守る寄付金をお届けするためです。
贈呈式で、「隣人愛の実践者」ことNPO法人・北九州ホームレス支援機構の奥田知志理事長から感謝状を頂戴しました。「歳末助け合い運動」ではありませんが、これで年が越せる気分になりました。牧師でもある奥田理事長はわたしと同年齢ですが、つねに困窮者に寄り添い、奉仕に人生を捧げる姿には、心からの敬意をおぼえます。
支援機構では、ホームレスの方々の住居となる「抱僕館」を今年の秋に建設する予定だとか。この施設は、「助け合い」のシンボルとなる予感がいたします。
これからも、わが社は出来る限りの協力をさせていただく所存です。
自民党政権になっても、けっして弱者を切り捨てる社会にならないように、安倍新首相には、ぜひとも「互助社会」の実現をお願いしたいです。



ということで、わたしも何とか元気でやっております。
ブログは必ず再開します。デザインを一新したニュー・ブログにご期待下さい!
それまで、どうか、もう少しだけお待ち下さいませ。まずは、近況報告まで。


2012年12月18日 一条真也

取り戻す!

一条真也です。
みなさん、ご無沙汰しています。
ご存知のように、現在はブログを休止中です。でも、昨日とても嬉しいことがあったので、ある方にお祝いのメッセージをお届けしたいと思います。

自民党の歴史的大勝を報じる各紙


その方のお名前は、安倍晋三氏。歴史的大勝を果たした自民党の総裁です。
23年前のわたしの結婚式にも来ていただきました。
石原慎太郎氏と並んで、わたしが最も尊敬する政治家です。
日本をダメにした民主党政権が終りを告げ、この日が来るのを待っていました。
じつに、かの吉田茂以来の再登板が現実のものとなります。
安倍新首相が元気な日本を取り戻してくれることに心から期待しています。
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心から期待しています!


なお、まだブログを再開したわけではありません。
今日は、あくまでもイレギュラーであり、特別です。
でも、近い将来、必ず再開いたします。
デザインも一新して、みなさまにお目にかかりたいと思います。
その日まで、ごきげんよう


2012年12月17日 一条真也

ブログを休みます

一条真也です。

このブログ記事で、2000本目になりました。
2010年2月14日の開設以来、930日間、1日も休まずに続けてきました。
しかも、ご存知のように非常に長文のものも多かったです。
その文章量は、かなりのボリュームになると思われます。


2000本目になりました



でも、思うところあり、この2000本目をもってブログを書くのを休もうと思います。
これまで「一条真也のハートフル・ブログ」を読んで下さったみなさんには、心から感謝しています。特に、ほぼ毎日のように大量の本を紹介してきた書評ブログは、じつに多くの方々にご愛読いただきました。いろんなテーマで2000本の記事を書いてきましたが、ちょっと「一条真也 」と「佐久間庸和」が混在してきたようです。
自分では使い分けているつもりでしたが、気づかないうちに難しくなっていました。
いつかまたブログを書くこともあるかもしれませんが、そのときは、「一条真也 」と「佐久間庸和」の色分けをきちんと区別して書きたいと思います。



このブログを書き続けた約2年半、いろいろな出来事がありました。
昨年の3月11日には、東日本大震災が起こりました
個人的には、愛犬ハリーを見送り尾道の坂で転んで足を骨折しました
多くの冠婚葬祭施設や、グリーフケア・サロンの「ムーンギャラリー」、有料老人ホームの「隣人館」といった念願の施設をオープンすることができました。
葬式は必要!』(双葉新書)、『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)、『隣人の時代』(三五館)、『満月交感 ムーンサルトレター』(水曜社)、『のこされた あなたへ』(佼成出版社)、『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)、『図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)、『ホスピタリティ・カンパニー』(三五館)、『礼を求めて』(三五館)といった、わたしにとって重要な著作も書くことができました。
大学の教壇に立ち、各地の講演やシンポジウムに呼ばれ、取材も受けました。
何より忘れ得ぬ思い出は、「孔子文化賞」を授与されたことです。



ブログのおかげで、多くの方々との御縁も頂戴しました。ブログ「世界平和パゴダ再開」に書いたように、日本で唯一の上座部仏教の聖地が再開されることになりましたが、このパゴダ関係者の方々ともブログを通じて出会うことができました。
ブログという電子メディアを通じて、書き手と読み手には「電縁」というものが生まれます。この「電縁」も、有縁社会を成す大切な「えにし」の1つです。
みなさんとの「電縁」を頂けたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
ブログを休止するに当たっては万感の思いが胸にこみ上げますが、もう自分で決めたことです。わたしには、ブログを書くことよりも優先すべきことがたくさんあります。
ブログは止めても、「天下布礼」の旅は終わりません。
論語』と『ブッダのことば』を読み返して、これからのことを考えたいと思います。



とはいえ、休館していた世界平和パゴダだって再開しました。
わたしも、いつかまたブログを書くこともあるかもしれません。
そのときは、今の文章量よりも減らしてスリムアップするつもりです。
次にお会いするときは、「はてな」ではなく別のブログになるのか、ツイッターフェイスブックになるのか、それとも、やっぱり「はてな」に落ち着くのか、それは分かりません。
でも一応の区切りとして、この「一条真也のハートフル・ブログ」は今回で打ち止めにしたいと思います。なお、オフィシャルサイト「一条真也のハートフルムーン」は従来通りですので、わたしの近況を知りたい方はぜひ、こちらを御覧下さい。
また、わたしに連絡を取りたい方も、こちらのアドレスにメールを下さい。


これまでご愛読いただき、ありがとうございました



来月早々に海外に行きます。
ヨーロッパを業界の仲間たちと回ってきます。
今度の海外出張には、あえてパソコンは持参しません。
しばらく日本には帰ってきませんが、深夜0時1分にブログが更新されていないかと気にして下さる方々のことを思うと、胸が痛みます。
それらの方々には、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。
最後に、「謝」の一文字を記させていただきます。
感謝の「謝」であり、謝罪の「謝」です。
「ありがとう」と「ごめんなさい」です。
この二つの思いを「謝」の文字に込めたいと思います。



今夜の月は、とても美しい満月です。
しかも、今月二回目の満月となる「ブルームーン」です。
その月を見た者は幸せになるという言い伝えがあるそうです。
夏の終わり、葉月晦日ブルームーン・・・・・
満月は欠けていき、いつか夜空から姿を消します。
しかし、月は新たに生まれ、再び満ちていきます。
それでは、みなさん、お元気で・・・・・
いつかまた、必ずお会いしましょう!


2012年8月31日  ブルームーンの夜に  一条真也

『柔らかな犀の角』

一条真也です。

『柔らかな犀の角』山崎努著(文藝春秋)を読みました。
日本映画界を代表する名優として知られる山崎努さんの読書日記です。
週刊文春」に好評連載された「私の読書日記」6年分が収録されています。


山崎努の読書日記



表紙には犀の部分イラストが描かれ、帯には「演じる。書く。受け入れる。こんな風に、生きている。」というコピーに続いて、「読書の歓びから演技論、生と死の『かたち』まで、『本』から広がる名優の随想ノート、待望の単行本化」と書かれています。



本書の存在を知ったのは、たまたま観たテレビで「山P(ヤマピー)」こと山下智久クンが愛読書として紹介していたからでした。著者と共演した山Pは、以来、著者が持つ教養と人間性に心酔しているそうです。それを知ったわたしは、ちょうどブログ『すべては今日から』で紹介した故・児玉清さんの著書を読書中だったこともあり、同じように俳優によるブックガイドである本書を読んでみたいと思いました。


もともと、著者はわたしのお気に入りの俳優の1人でした。
冠婚葬祭業界に身を置く者なら、著者の姿をスクリーンで見ていない人は少ないでしょう。なにしろ、「お葬式」(1984年)、「おくりびと」(2008年)という二大葬儀映画に重要な役で出演しているのですから。特に、「おくりびと」での納棺会社の社長役は素晴らしく、社長室でフグの白子を焼いて食べるシーンは最高の名場面でした。
でも、わたしにとっての著者は、わたしが誕生した年に公開された黒澤明監督の名作「天国と地獄」(1963年)での犯人の青年役や、泉鏡花の幻想世界を見事に再現した「夜叉ヶ池」(1979年)の主人公の旅の僧侶役のイメージが強いです。本当に、「この人がいなくなったら、日本映画はどうなるのか」と思わせる名優だと言えるでしょう。



タイトルの『柔らかな犀の角』ですが、これは「犀の角のようにただ独り歩め」というブッダの言葉に由来します。ブログ『ブッダのことば』でも紹介しましたが、ブッダの思想を知る上で最重要テキストとして『スッタニパータ』という聖典があります。
そこには、「犀の角のようにただ独り歩め」というフレーズがたくさん出てきます。
著者は、このフレーズを若い頃から気に入っていたそうで、次のように書いています。
「何をするにも自信がなく、毎日が手探り及び腰、そのくせ鼻っ柱だけは強く、事あるごとにすぐ開き直る。そんな臆病な若造にとって『犀の角』や『ただ独り』は手軽で便利なキャッチコピーだったのだろう」



しかし、著者が「最後の賢人」として慕い、本書にも登場する哲学者・鶴見俊輔氏の著書『かくれ佛教』(ダイヤモンド社)を読んで、著者は以下の事実を知ります。
ブッダの言う角はむろんインドサイのものだが、実はこの角、中はぶよぶよの肉で、とうてい闘争の武器にはならないヤワな代物なのだそうだ。
だから彼らはあまり戦わない。獰猛なのはアフリカの犀で、インドの連中はただ温和しく地味に密林を歩き回っているだけらしい。群れることもなく孤独にのこのこ山奥をうろついている。図体がでかいからむやみに攻撃される心配もないという」
『かくれ佛教』を読んでこの事実を知った著者は、次のように述べます。
「つまりあの勇ましい立派な角は、少なくとも喧嘩に関しては無用の長物。相手を威嚇するための張りぼてのようなものとか、まあ学問的にはそれなりの理由があるのかもしれないが、無用の長物としたほうが僕は愉しい」



ブッダといえば、「生老病死」の四苦を唱え、「老い」を苦悩として説きましたが、今年で75歳になる著者は、「老い」をけっして悲観的には捉えていません。
たとえば、養老孟司氏の著書について、次のように書いています。
養老孟司が『養老訓』(新潮社)で、『年をとって良かったなと思うことがたくさんあります』と言っている。年寄りは上機嫌で生きましょう、『じいさんは笑っていればいいのです。先日亡くなられた河合隼雄さんは、いつもニコニコされて駄洒落ばかり言っていました。人の意見を訂正するなんてこともなかった』という。たしかに河合隼雄は、テレビでも活字の対談でも、他人の話をノーで受けることがなかった。いつも、まず『そうですね』『なるほど』とイエスで受けとめ、その上で穏やかに、相手の言葉に寄り添うように話し出す。あれは真似ができない。どうしても、思わず、『いや』『でも』と返してしまう。大人と小人、器が違うのだからしかたがないか。とりあえず僕は、話したあとに、ニコッと笑顔をつけ加えるようつとめている。それが気持悪いと言われたりするが」



生老病死」の「死」についても、次のように書いています。
「映画『おくりびと』がなんとオスカーをとった。こいつぁ春から縁起がいい、何故か初雪まで降ってきた。お祝いの品もたくさん頂いた。その中に、『RFK』(Paul Fusco,Aperture Foundation)があった。あのロバート・ケネディの遺体を運ぶ葬送列車を線路端で見送る普通の人たち、その様を列車内からスナップした写真集。
100点に余るショットに写し出された何千何万の人々が全員打ちひしがれている。老若男女、皆、哀しみに打ちひしがれている。虚ろな目で1人ぽつんと立っている。『SO LONG BOBBY』と手書きした幕を掲げている3人。泣いている。唇を噛みしめ目をとがらせている。家族7人が背の順に整列し(きちんと等間隔に)気をつけをしている、父も母もずいぶん若い、端っこのちびは2、3歳、そいつも背すじを伸ばし葬送列車を凝視している・・・・・・。ゆっくりとページを繰った。死者を送る人間たちが美しい」
「死者を送る人間たちが美しい」とは名言ですね。まさに「おくりびと」の言葉。
わたしが思うに、「死者を送る人間たちが美しい」のは、それが人間の存在の本質に関わる営みであるからではないでしょうか。



また、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二氏の著書も紹介されています。
「そこにいるだけで、何となく緊張が解け、リラックスできる所がある。旅に出ると、あちこちぶらぶら歩き回って、そういう場所を探す。ここだ、と手応えがあったら、その地点に居坐り、うつらうつらしたりしてのんびりと過ごす(以前、南の島でそれをやり、日射病で死にかけたことがあるが)。そんなスポットを僕はいくつか持っている。鎌田東二著『聖地感覚』(角川学芸出版)に依れば、そのような場は、その人の『聖地』なのだそうだ」
「聖地」をめぐって、著者は次のように述べます。
「人はなぜ聖地を求め、巡礼をするのか? そこに決まった答えはない。人生がそうであるように『巡礼』も各人各様の理由とかたちをもっている。これからもくりかえし実践され、つづいていくに違いないと鎌田は言う。そう、アキバも冬ソナも軽々に扱ってはいけない。鰯の頭も信心から、その人にとってそれがかけがえのない信仰の対象であるならば(よほど悪質なものでない限り)認めてやらなければいけない。そもそもわれわれの『信仰』は、立場を異にする者から見ればすべて鰯の頭なのである」
さらに、著者は次のように書いています。
「古くから聖地、霊場として崇められている土地には、人間の聖なる感覚を刺戟し増幅させる自然の霊気が強くあるのだろう。三輪山、熊野、出羽三山等々を巡り歩いた鎌田のフィールドワークの記録が興味深い。湯殿山での滝行の描写など、臨場感があって紀行文としても優れている」



著者は、鎌田氏にいたく興味を抱いているようで、次のように書いています。
「著者鎌田東二は、宗教哲学民俗学、日本思想史と、幅広い分野で研究を続けている学者である。この本の最大の魅力は、彼の底抜けに奔放なキャラクターが存分に発揮されているところだ。巻末の略歴紹介の欄に、石笛、横笛、法螺貝奏者、フリーランス神主、神道ソングライターとあって、笑ってしまった。
おもむくままにやりたいことをやっている。
毎朝、祝詞、般若心経を上げ、笛、太鼓、鈴、その他計十数種類の楽器を奉納演奏するので『時間がかかり、忙しいのだ』とぼやいている。お子さんに『お父さんはアヤシすぎる』と言われるそうだ。カバー折り返しに、著者近影の全身写真が載っている。カメラを意識してやや硬くなっているポーズがチャーミング。しばし見惚れた。『スピリチュアル・パワー』がメディアで安易にもてはやされている当節、鎌田の仕事は貴重である。彼のユーモアを大切にする柔らかなセンスに注目したい」
わたしは、この文章を読んで本当に嬉しくて仕方がありませんでした。
わが義兄弟のことを日本を代表する名優がこれほど高く評価してくれたのですから。
また、著者の鎌田氏に対する分析はまことに的を得ており、著者の人間を観る目には只ならぬものがあります。ちなみに、この文章が「週刊文春」に掲載されたとき、鎌田氏は大変喜ばれ、わざわざメールで知らせて下さいました。



そして、本書の白眉は、何と言っても映画に関する発言でしょう。
俳優である著者は、こころから映画を愛しており、こんな言葉も綴っています。
「映像の仕事は何といってもロケが楽しい。その土地の情景に囲まれただけでふしぎと役の人物に成れたような気分が生まれ、弾みがつく。風も陽の光も地べたも快い刺戟を与えてくれる。自分を(幾分かは)役に明け渡す、その感じがこたえられない」



次の文章などは、きわめて映画作りというものの本質を衝いているように思います。
「撮影の現場で一番偉いのは監督である。ただ1人、神様の如く偉い。名うての脚本家も優れたカメラマン、俳優も監督にはかなわない。だから業界では各々のチームを『黒澤組』『小津組』と監督の名前を冠にして呼ぶ。『七人の侍組』でも『東京物語組』でもない。われら配下の者はひたすら組の親分に奉仕する。想像力、創造力等々、命以外は全てを監督に捧げる。俳優が自身でいくらいい演技をしたと思ってもそんなことは何程でもない。親分のメガネに適わなければ切り捨てられてしまう。われわれは僕なのだ。一時、スター俳優が大金を投じてプロデュースするのが流行った時期があった。武田泰淳はそれを奴隷の反抗と評している。三島由紀夫の俳優願望は当時悪ふざけの過ぎた奇行と騒がれたが、実は大まじめな奴隷志願だったのである。その三島の意図を泰淳は即座に言い当てている」



週刊文春」2010年4月1日号に掲載された「小津と笠、黒澤、グルメ」では、著者の知り合いの女性がDVDを持って訪ねてきた話が書かれています。
その30代の女性は小津映画にはまっており、「父ありき」「晩春」「麦秋」「東京物語」などのDVDを持参したとか。彼女は、小津映画で笠智衆原節子杉村春子らの登場人物のレトロな言葉遣いが外国語みたいで新鮮で「ひきつけられる」のだそうです。
彼女と一緒に小津映画のDVDを鑑賞した著者は、次のように書いています。
「むろん僕も『晩春』以降の小津作品はぜんぶ見ているが、彼女のように何度も見返すほどの熱心な観客ではなかった。しかし今回は目から鱗、今までぼんやりと見えていたものが突然ピントが合ってくっきりと現れてきた感じ。『!』と前傾姿勢になった。おれはこれまで何をどこを見てたんだ。うかつ、鈍感、脳たりんであった」



何が著者をそこまで思わせたのか? 著者は次のように書いています。
「これは異界から見た現世の風景だ。いや、末期の眼で見た世界だ。
ここに登場する人たちは、お互いさり気なく助け合って生きている。
親子、兄弟、友人、師弟、それぞれが支え合って暮らしている。
そしてそういう人々もやがて時が来て死んでゆく。
そんな人間たちをカメラがいとおしそうに見つめている。小津は楽園を描いているのだ。浮き世に散在する楽園の破片を大切に注意深くピックアップしているのだ。そこにはただただ懐かしく美しい出来事があるばかり。それ以外の醜いものは一切見ない。断固無視する。その無視にめっぽう力がある。被写体との距離のとり方も絶妙。だからいわゆる人情劇特有の湿っぽさがない。代りに若い女が笑い転げるユーモアがある」
うーん、小津映画の本質が「末期の眼で見た世界」だったとは驚きです!
小津映画のほぼ全作品を観たわたしも、まったく気付きませんでした。


著者は、小津安二郎について次のように述べています。
小津安二郎は生涯独身だった。『秋刀魚の味』に『人間は独りぼっちだ』というせりふがある。笠は、『ひとつだけ、先生について口はばったいことを言わせていただきます。/ご結婚なさったほうが良かったんじゃないでしょうか。なんとなく、そう思います』と書いて思い出話を閉じている。2人の深い係わりからの言葉でドラマチック」


また、小津安二郎と並ぶ日本映画最高の巨匠である黒澤明については、「黒澤さんはよく『昔のシャシンを見ると撮り直したくなる』と笑っていた。『その時一生懸命作ったんだからあれでいい』とも言ってたな」と、著者はさらりと触れています。
実際に「天国と地獄」という黒澤映画で世に認められ、その後、日本を代表する名優になった著者の言葉だけに重みがありますね。



著者は、万人が認める最高の「演技力」の持ち主です。
その本人が、「演技」について次のように書いています。
「ときどき『あの映画のあの演技にはどんな狙いがあったのか?』と聞かれることがある。これがほとんど覚えていない。比較的うまくいった演技ほど覚えていない。撮影現場の情況は絶えず動いている。相手役や監督の調子、天候、暖かかったり寒かったり風が吹いたり。その変化する環境に身を任せるよう自分を仕向けるのが僕のモットー。その場に反応して思いがけないアクションが生まれると楽しいし出来もいい(ような気がする)。頭より身体、結果は身体に聞いてくれ、が理想、記憶にないのが僕としてはベストなのだ。それが僕の『自由』、多少脱線したっていいじゃないか。あらかじめのプランは所詮ひ弱なのである。プランにこだわると身体が萎えてしまう」
本書は、ユニークなブックガイドとして、極上の映画論として、また魅力溢れる1人の名優の人生論として、さまざまな読み方ができる好著だと思います。最後に、著者がいつまでもお元気で、1本でも多くの日本映画に出演されることを願っています。


*このブログ記事は、1999本目です。


2012年8月31日 一条真也