『テレキネシス』

一条真也です。

テレキネシス』全4巻、東周斎雅楽作、芳崎せいむ画(小学館)を読みました。
「山手テレビキネマ室」というサブタイトルがついていますが、山手テレビというテレビ局で「金曜深夜テレビキネマ館」という番組を作る人々の物語で、古今東西のさまざまな映画の名作が紹介されています。


山手テレビキネマ室



関東最大の民放局である山手テレビの裏側には、昭和30年代に建てられた旧社屋があります。その古いビルの地下には、「テレキネシス」と名づけられた小さな映写室があります。この作品は、そのテレキネシスの番人である山手テレビの超問題社員・東崋山と、正義感いっぱいの新入社員・野村真希乃が繰り広げる「映画」をめぐる物語です。
グータラ社員と真摯な若手女子社員のコンビは、同じ小学館の人気漫画である『美味しんぼ』を連想させますね。



ハリウッドの伝説的映画監督であるエリア・カザンにちなんだ名前を持つ華山は、かつてはヒット・ドラマを連発する名物プロデューサーでした。
しかし、ある不祥事をきっかけに深夜の映画番組担当という閑職に回されます。
ところが、崋山がセレクトして放映する「金曜深夜テレビキネマ館」は、観ると元気になれるという不思議な番組でカルト的な人気を誇っていました。
テレキネシスでは、基本的に古い名画が上演されます。CGを駆使した最近の映画に押されて埋もれつつある昔の映画を思い起こさせてくれます。そして、古き良き時代の精神を現代人たちに教えてくれる作品ばかりです。これまで古い映画を見なかった新入社員マキノも、徐々に映画の力に魅了されていくのでした。


最初に、紹介されるのが「風と共に去りぬ」です。主人公スカーレットがすべてを失うという大作ですが、これを会社にも妻にも見捨てられた同僚に見せるのです。
その同僚は、「何もかも失った人間が観るのに、これ以上の映画はなかったよ」とつぶやき、「ありがとう! スカーレットを観ていたら、とにかく根拠のない勇気が湧いてきた!」と他局に移って新しい人生を始めることを決心するのです。
小学3年生とのときにテレビの「水曜ロードショー」で観て以来、この「風と共に去りぬ」はわたしが一番好きな映画なので、最初に登場して嬉しかったです。



さて、謎が多い華山ですが、彼が山手テレビに入社したのには理由がありました。
彼の亡くなった父親は、映画監督でした。生前最後の作品のフィルムは行方不明とされていましたが、華山は山手テレビにフィルムが隠されていると推測するのです。
この漫画では、ずっと古い名作映画の紹介が続きますが、3巻の途中ぐらいから崋山の父親が遺した幻の映画フィルムをめぐって物語が大きく動きます。
3巻の後半から4巻のラストまでは息をもつかせぬ物語の展開があり、そこに名画の紹介もしっかり絡ませて、見事な構成でした。
この漫画の画を担当した芳崎せいむには、『金魚屋古書店』という作品があります。
漫画専門古書店の店員が、悩みを持った人に対して、その人にふさわしい漫画を紹介し、生きる活力を与えるという話の短編集です。
この『テレキネシス』はまさに『金魚屋古書店』の映画版で、仕事や人間関係で困難にぶつかった人が崋山おススメの映画をみて活路を見出すのです。


最初に登場する映画は「風と共に去りぬ」でしたが、最後に登場する映画は「オズの魔法使い」でした。亡くなった崋山の父親の遺作は、この名作ミュジージカル映画へのオマージュだったのです。この「オズの魔法使い」もわたしの大好きな映画です。
思えば、この映画を観てから、わたしはファンタジーの世界に魅せられたのでした。
主演のジュディ・ガーランドが歌う「虹の彼方へ」も素晴らしい名曲でした。
後に、あれは実際に彼女が歌ってはいなかったと知りましたが、そんなことは関係なく、「虹の彼方へ」は、今でもわたしにとって最高の「こころの歌」です。



それにしても「風と共に去りぬ」で始まり、「オズの魔法使い」で終わるというところが泣かせます。幼いわたしに「愛」と「夢」の素晴らしさを教えてくれたこの二大名画は、ともに1939年に公開されています。
そう、この二作は同じ年のアカデミー賞を競ったのでした。
さらに、1939年にはアメリカ映画最大の名匠ジョン・フォードの西部劇の最高傑作「駅馬車」までも公開されています。まさに「奇跡の1939年」ですが、日本との開戦直前にこのような凄い名画を同時に作ったアメリカの国力には呆然とするばかりです。わたしは、アメリカという国があまり好きではないのですが、ハリウッドから多くの名画を日本にプレゼントしてくれたことだけは感謝すべきであると思います。
最後に、この『テレキネシス』には「風と共に去りぬ」や「オズの魔法使い」といった超有名な作品ばかり紹介されているわけではありません。
あまり知られていない名作や、わたしが未見の作品も多数ありました。それぞれの作品には、詳細な解説コラムもついており、本書は映画ガイドとしても大いに使えます。



いま、わたしの目の前の4冊のコミック本には、大量のポストイットが貼られています。
これからDVDを注文して観賞したいと思っている映画たちのコラムのページです。
「エルマー・ガントリー」「大いなる勇者」「アスファルト・ジャングル」「ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦」「ミスタア・ロバーツ」「砂漠の戦場 エル・アラメン」「パットン大戦車軍団」「シェナンドー河」「俺たちは天使じゃない」・・・・・これらの映画を観れば、だいたい本書に登場するすべての作品はカバーできると思います。
もちろん、わたしが未見の映画で、DVDも発売されていない作品もありますが。
それらの作品は、「縁」があれば、ぜひ観賞したいものです。それにしても、これから観るべき多くの映画が残されているなんて、なんて幸せなことでしょうか!



本書には、名画の紹介だけでなく、心に残る名セリフもありました。
第3巻の「シェナンドー河」のエピソードで、崋山がマキノに「何のために映画はあるのか」という本質論を語る場面があります。
そこで崋山は、「映画はな、現実に潜むドラマを見逃すな! 感動を見逃すな! そのための仮想現実として、感受性を磨く道具なんだって今は思ってる」と語ります。
そして、それ以上の意義が映画にはあるとして、「涙」という言葉をつぶやきます。
「涙?」と不思議そうに問い返すマキノに対して、崋山は言います。
「不幸じゃないのに、なぜか悲しい夢を見て、号泣して目が覚めたことってないか?」
「あるある、あります! なのに、どういう夢を見たか忘れていたり・・・・・そのくせ妙にさわやかな感じがしたり・・・・・」と言うマキノ。「大地に雨が必要なように、人には定期的に涙が必要なんじゃないかなあ」と言う崋山。
そして、「定期的に泣くこと?」と問うマキノに、崋山は「きっと映画は、実際の人生でなかなか泣けない人のために存在しているんだよ」と語るのでした。
わたしは、この崋山のセリフを読んで、なぜ自分が忙しい時間をやり繰りしてまで映画を観続けているのか、その理由がわかったような気がしました。
たしかに、暗い映画館で、さまざまな映画を観て、わたしは涙を流しています。
映画館の闇は、その涙を隠してくれるためにあるのかもしれません。そして、映画で他人の人生を仮想体験して涙を流した後は、心が洗われたようになるのです。
涙は世界で一番小さな海』(三五館)に書いたように、わたしは人間にとっての涙の意味を考え続けてきましたので、崋山の「きっと映画は、実際の人生でなかなか泣けない人のために存在しているんだよ」というセリフはとても納得できました。



もう1つ、本書で心に残ったセリフがあります。
第4巻の「ジキル博士とハイド氏」というエピソードに出てきます。ドラマの売れっ子プロデューサーだった崋山が、ある俳優を重要な役で起用しようとします。
しかし、その俳優は小劇団で悪役を演じるだけの無名な人物で、しかも重病を抱えていて、余命いくばくもありませんでした。
その俳優の実力を見抜いていた崋山は、テレビに出演するように説得します。
体調を理由に断る俳優に崋山は、こう言うのでした。
「オレの仕事はドラマです。いいドラマを作って、テレビの向こう側の何万人もの視聴者を感動させることです。でも、もう1つ使命がある! ドキュメンタリーです」
「ドキュメンタリー?」と聞き返す俳優に対して、崋山は言います。
「すごい役者達を記録する。記録して視聴者の記憶に残す! オレはあんたのために出演をお願いしてるんじゃない! オレ自身のためです!」
この言葉に心を打たれた俳優は結局、崋山のテレビ・ドラマに出演を果たすのですが、わたしも感動しました。
ブログ「ヘルタースケルター」で、わたしは次のように書きました。
「この作品は、映画というよりも人類の『美』の記録映像としての価値があるとさえ思いました。沢尻エリカの人生には今後さまざまな試練が待っているとは思いますが、こんなに綺麗な姿をフィルムに残せたのですから、『これで良し』としなければなりませんね」
この言葉は、崋山のセリフから影響を受けたことを告白しておきます。
このようなセリフを崋山に吐かせた原作者の東周斎雅楽氏は、心の底から映画やドラマを愛しているのでしょう。


*このブログ記事は、1990本目です。


2012年8月28日 一条真也

『映画は父を殺すためにある』

一条真也です。

『映画は父を殺すためにある』島田裕巳著(ちくま文庫)を読みました。
これまで、このブログで著者の本を何冊か紹介してきました。正直言って批判した本もありましたが、本書はまことに読み応えのある好著でした。


通過儀礼という見方



サブタイトルは「通過儀礼という見方」で、帯には「ローマで王女は何を知った? 寅さんは、実は漱石だった?」と書かれています。
またカバー裏には、次のような内容紹介があります。
「映画には見方がある。“通過儀礼”という宗教学の概念で映画を分析することで、隠されたメッセージを読み取ることができる。日本とアメリカの青春映画の比較、宮崎映画の批判、アメリカ映画が繰り返し描く父と息子との関係、黒沢映画と小津映画の新しい見方、寅さんと漱石の意外な共通点を明らかにする。映画は、人生の意味を解釈する枠組みを示してくれる」



本書の「目次」は、以下のようになっています。
「予告編」
1.『ローマの休日』が教えてくれる映画の見方
2.同じ鉄橋は二度渡れない――『スタンド・バイ・ミー』と『櫻の園
3.『魔女の宅急便』のジジはなぜことばを失ったままなのか?
4.アメリカ映画は父殺しを描く
5.黒澤映画と小津映画のもう一つの見方
6.寅さんが教えてくれる日本的通過儀礼
「総集編」
「文庫版あとがき」
「掲載映画一覧」
解説「僕の通過儀礼、そして再会」(町山智浩



本書で、著者は映画のテーマとは通過儀礼に他ならないと主張します。
通過儀礼」という概念は、ブログ『通過儀礼』で紹介したアルノルド・ヴァン・ジェネップによって使われました。同書は、1909年にパリで書かれた儀礼研究の古典的名著です。誕生、成人式、結婚、葬式などの通過儀礼は、あらゆる民族に見られます。
ジェネップは、さまざまな儀式の膨大な資料を基にして、儀礼の本質を「分離」「移行」「合体」の体系的概念に整理しました。そして、儀礼とは「時間と空間を結ぶ人間認識」であると位置づけ、人間のもつ宇宙観を見事に示しています。


本書の著者である島田裕巳氏は、ジェネップの『通過儀礼』の理論を紹介しつつ、第1章「『ローマの休日』が教えてくれる映画の見方」で、次のように述べます。
「映画の重要なテーマが通過儀礼を描くことにあるとするなら、映画はじゅうぶんに宗教学の研究の対象となるはずだ。あるいは、宗教学の観点に立つことによって、映画のテーマやおもしろさがよりよく理解されてくるのではないだろうか。さらに、映画は通過儀礼が僕たちにとってどういう意味を持っているかを教えてくれるのではないか」
ちなみに本書は、1995年に刊行された『ローマで王女が知ったこと――映画が描く通過儀礼』(筑摩書房)を加筆修正して文庫化したものです。


本書で取り上げられている『ローマの休日』とか『スタンド・バイ・ミー』が通過儀礼の物語であることは著者に指摘されなくても理解できますが、興味深かったのは日本映画についての著者の見方でした。通過儀礼とは、試練を乗り越えて成長していく物語でもあります。第5章「黒澤映画と小津映画のもう一つの見方」で、著者は黒澤明通過儀礼の試練を「水」として表現したとして、次のように述べています。
「黒澤映画の登場人物たちは、つねに自分の前に立ちはだかる、水とかかわるものと戦っている。彼らにとって、水との戦いが試練としての意味を持っている。三四郎は、自らの心の迷いを象徴する蓮池から自力で飛び出してこなければならなかった。『羅生門』の登場人物たちは、激しい雨によって視界がさえぎられたような戦乱の世の中で、真実を見いだしていかなければならなかった。『酔いどれ天使』の真田や松永たちも、彼らの行く手をはばむ水、この場合にはメタンの泡立つ汚れた沼からぬけだしていかなければならなかった。雨のなかの合戦のシーンは、『七人の侍』が世界の映画史上はじめてのこととされるが、黒澤がそういった新奇なアイデアを思いついたのも、彼の映画において、雨が試練に直結していたからにほかならない」



黒澤映画と水の関係については、ブログ『「百科全書」と世界図絵』で紹介した本にも登場しました。さらに、黒澤映画について、著者は次のように述べています。
「黒澤は、アメリカ映画とはことなり、あまり家庭を描くことはなかった。そのため、父親と息子との葛藤がテーマとなることはまれで、例外はシェークスピアの『リア王』を土台にした『乱』くらいである。この映画にしても、中心は父親の方で、その狂気が描かれるが、息子たちはひ弱な人物としてしか描かれていなかった。
したがって、黒澤映画の主人公は、父親というのりこえるべき明確な目標を持ちえなかった。むしろ、彼らは社会の退廃や人間の心の弱さといったとらえどころのない抽象的な敵を相手に戦っていた。そこで黒澤は、そういった姿の見えない敵を水として表現することによって、映画に登場させたのではないだろうか。黒澤映画は、水に注目することによって、通過儀礼としての性格がはっきりとしてくるのである」



また、黒澤明と並ぶ日本映画史を代表する巨匠である小津安二郎については、著者は次のように述べています。
「小津もまた通過儀礼の問題に強い関心を示した監督であることはまちがいなかった。それは『生れてはみたけれど』について考えてみればわかる。
ただし、小津映画における通過儀礼は、黒澤映画における通過儀礼のように、主人公が水によって象徴される過酷な試練をのりこえて、精神的な成長をとげていくといった典型的なパターンをたどってはいかない。むしろ、その過程は穏やかに進み、主人公の変化もかなり微妙なかたちでしか描かれていない。
たとえば、小津が自らのスタイルを完成させた作品として高く評価されてきた『晩春』は、そういった小津的通過儀礼の典型を示している」
ブログ「小津安二郎展」に書いたように、小津の作品には、必ずと言ってよいほど結婚式か葬儀のシーンが出てきました。言うまでもなく、結婚式や葬儀こそは通過儀礼の最たるものです。小津ほど「家族」のあるべき姿を描き続けた監督はいないと世界中から評価されていますが、彼はきっと、冠婚葬祭こそが「家族」の姿をくっきりと浮かび上がらせる最高の舞台であることを知っていたのでしょう。


小津映画の最高傑作といえば『東京物語』ですが、この作品は一種のロードムービーでした。著者は、「老夫婦の東京行きは、自分たちが安らかに人生をまっとうしていくための準備の旅であり、それは彼らにとっての生の世界から死の世界に移行するための通過儀礼だった」と分析した上で、さらに小津映画について次のように述べます。
「家庭劇が家庭のなかでだけ展開されるのであれば、そこにはドラマは生まれない。アメリカ映画では、父親と息子との葛藤や夫婦のあいだの不和という要素を導入することによって、矛盾を作りだし、その矛盾を解決する方向に物語を展開させていくことで、家庭をドラマの舞台へと変えていった。小津の方は、片親を残しての娘の結婚といった要素を使ってドラマを作り上げるとともに、旅という要素を導入することで、日常と非日常の世界を対比させ、その対比からドラマが生み出されていくように工夫をこらした。旅という非日常においては、日常では知ることのない事実に直面することになるからである」



本書を読んで興味深かったのは、小津映画の代名詞ともなっているローアングルが性的な欲望に通じていたのではないかという指摘です。
小津のほとんどの作品では、原節子をはじめとする女性の登場人物が、カメラに尻を向けて畳みの上に腰をかけるシーンが見られます。
著者は、執拗に繰り返される小津のローアングルについて、次のように書いています。
「小津には、女性の後ろ姿や尻に対するフェティッシュな欲望があったのではないかとさえ邪推したくなる。撮影所の所長でのちに松竹の社長になった城戸四郎は、小津の映画の試写を見て、『また小津組はしゃがんだ位置か』といい、『女のあれをのぞくようなことをやっているのか』と評し、小津の心証を害したというが、案外、城戸の見方は当たっていたのではないだろうか」



そして、著者は次のように小津安二郎の秘密に迫るのです。
「小津は、生涯独身を貫き、母親と暮らしたが、女優たちとの噂は絶えず、とくに原節子との関係は、小津の死後においてもとりざたされた。小津の死後に、原が映画界を引退したことも、その噂に真実味を与えることになった。噂に、どれほどの真実が含まれているかはわからないが、小津映画における原は、周囲から美しいといわれ、結婚相手として求められつつも、操を守り通す女として描かれている。原は“永遠の処女”と呼ばれたが、小津は、映画のなかで、原を“永遠の貞女”にとどめてしまった。あるいはそこに、小津の原に対する独占欲が働いていたのかもしれない。
女性に対して恥ずかしがり屋で、生涯独身を通した小津は、むしろ性に対して過度の関心を持っていた。しかし、彼には一方で性に対する関心を不潔だと思う倫理観が存在し、心のなかでは、性への関心と倫理とがはげしく葛藤していたのではないだろうか。しかも、女性に対しては貞淑さを求め、たとえやむをえない理由があったとしても、操を守れなかった女性にはスクリーンのなかできびしい罰を与えた」
わたしも小津映画はほぼ全作品を観ていますが、著者のこの見方は鋭いと思いました。まさに「うーん、一本取られたなあ!」という感じです。


さらに、わたしを唸らせたのは、『野菊の如き君なりき』と『男はつらいよ』という松竹の歴史を代表する名画を結びつける推理でした。
そこには、松竹映画のアイコンともいえる笠智衆の存在があります。
笠智衆といえば、『男はつらいよ』シリーズの御前様役で知られます。『男はつらいよ』といえば柴又ですが、文豪・夏目漱石が柴又を訪れたときに渡ったのが矢切の渡しです。この矢切の渡しは、寅さんもとらやへ帰ってくるときに第1作をはじめ何度か渡っています。ところが、この渡しは、伊藤左千夫の『野菊の墓』で、主人公の政夫が千葉の中学に行くために、幼い恋心を抱いた民子と涙の別れをする場所でもありました。



これらのエピソードを踏まえて、著者は次のように大胆な推理を行います。
「『野菊の墓』は、1955(昭和30)年に木下惠介監督によって『野菊の如き君なりき』の題名で松竹で映画化されている。このときには、東京と川1本隔てただけの矢切を舞台にしたのではリアリティに欠けると判断されたのか、物語は信州に移されていたが、大人になった政夫の役を演じていたのが笠智衆であった。『野菊の如き君なりき』と『男はつらいよ』が同じ松竹の製作であることからも考えて、僕は、2つの作品をつなぎ合わせ、自分の写真と手紙を枕の下に敷いて死んだ民子のことを忘れられなかった政夫が、その苦しみから出家し、民子の菩提を弔うために題経寺で住職をつとめてきたという連想をしてみたくなった。漱石が柴又に出向いたとき、矢切の渡しで、『野菊の墓』のことを思い起こしたにちがいない。あるいは、『野菊の墓』の記憶が、漱石矢切の渡しへと誘ったのかもしれないのである」
『野菊の如き君なりき』の政夫が長じて『男はつらいよ』の御前様になっていたとは!



この大胆推理には大いなるロマンがあります。
わたしは、すっかり著者を見直しました。「葬式は、要らない」とか「人はひとりで死ぬ」などの物言いから、著者のことをニヒリストとばかり思っていましたが、こんな発想ができるということは意外とロマンティストなのかもしれませんね。
いずれにしても、これだけの発想力、筆力を持った著者が、葬式無用論を唱えたり、孤独死を肯定するような著作を書くだけではもったいないと思いました。まさに、宝の持ち腐れですね。このことは、ブログ「『こころの再生』シンポジウム」で書いたように玄侑宗久氏や島薗進氏と京都の百万遍で飲んだときにも話しましたが・・・・・。



わたしは、本書を優れた映画論として読みました。
現代の日本で映画論の第一人者といえば、ブログ『トラウマ映画館』で紹介した本を書いた町山智浩氏でしょう。その町山氏は、解説「僕の通過儀礼、そして再会」で、『映画は父を殺すためにある』という刺激的なタイトルに触れつつ、次のように述べています。
「父との相克をアメリカ映画が繰り返し描く理由には、大きく2つあると考えられる。ひとつはユダヤキリスト教の伝統。本文中でも『エデンの東』と旧約聖書の関係が論じられているように、聖書は「神」を父、キリストをその息子、というイメージで描いており、その父子関係が世界理解の基本になっている。もうひとつはアメリカという国独自の歴史。イギリスに対して反抗して独立したアメリカという国は、常に自分を父と戦った息子としてイメージせざるを得なかったのだ。
ただ、アメリカと違う歴史と文化を持つ日本では、物語も当然違ってくる。アメリカ映画が描く厳しい成長物語や激しい父と子の相克には違和感を持つ日本人も多いだろう。だから、本文で「寅さん」シリーズに日本人独特の成長物語を見出す章は興味深い。僕自身も寅さんのように、通過儀礼に時間がかかった」



町山氏は、本書の中で紹介されているさまざまなイニシエーション(通過儀礼)について、次のように書いています。
「イニシエーションを最も自覚的に行ってきたのは、宗教だ。どの宗教も入信の儀式が最も重要だ。特に新興宗教において、イニシエーションはより強烈になる。信者として完璧に生まれ変わらせるために、相手の内面にまで入り込んで、それまでの彼(彼女)を完璧に殺す。それはしばしば『洗脳』と呼ばれる。
それを教え子たちに実体験させようとしていた教授がいた。東大で宗教学を教えていた柳川啓一教授は、ゼミ生に、実際に宗教に入信することを勧めていた。島田先生も柳川啓一教授のゼミ生だった。ほかには、中沢新一植島啓司四方田犬彦、それに映画監督の中原俊などがいる。中原監督が『櫻の園』でイニシエーションを描いたのは偶然ではないのだ」



かつて編集者であった町山氏は四方田犬彦氏の担当だったそうで、島田氏が柳川ゼミ生としてGLAという宗教団体に入った話も聞かされたとか。
その後、島田氏はヤマギシズムに入りました。そして、かのオウム真理教を認める内容の発言によって、世間から猛烈なバッシングを浴びます。
じつは、島田氏がオウムと接触するきっかけとなった仕事こそ、編集者である町山氏が持ちかけた仕事だったのです。町山氏は、自分が紹介した仕事が原因で社会的に抹殺されたも同然の島田氏に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったそうです。


解説の最後には、次のような一文が書かれています。
「2011年、震災後の4月、石原都知事の花見自粛発言に反発した僕はツイッターで都庁前での花見を呼びかけた。集まった300人の有志のなかに島田先生を見つけた。16年ぶりの再会だった。その間、地獄も見たであろう先生はただ笑って握手してくれた。本当にありがとうございます」
野菊の墓』の少年が『男はつらいよ』の御前様になるという物語に劣らず、島田氏と町山氏の現実の関わりもドラマティックです。
人生も映画のようなものなのかもしれない。
本書の解説を読んで、そのように思いました。


2012年8月28日 一条真也

『雪男は向こうからやって来た』

一条真也です。

『雪男は向こうからやって来た』角幡唯介著(集英社)を読みました。
著者は、1976年北海道生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業ということで、わたしの後輩に当たります。また、早大探検部のOBということで、辺境作家にしてUMAハンターの高野秀行氏の後輩に当たります。


謎の生き物とそれを追う人間たちの真正面ドキュメント!



本書の帯には、以下のように書かれています。
「デビュー作『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』で、2010年第8回開高健ノンフィクション賞、2011年第42回大宅壮一ノンフィクション賞、2011年第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。気鋭の探検作家が放つ受賞第一作!」
「2012年第31回新田次郎賞受賞! 祝」
「謎の生き物とそれを追う人間たちの真正面ドキュメント!」



また帯の裏には、次のような内容紹介があります。
「いったいソイツは何なのだ? なんでそんなに探すのだ? 
2008年10月22日、われとわが目を疑った人は、日本中に大勢いたに違いない。『ヒマラヤに雪男? 捜索隊が足跡撮影、隊長は“確信”』の見出しとともに、雪男のものとされる足跡の写真が新聞を飾った。まさに、それを撮った捜索隊に加わり、かつて雪男を目撃したという人々を丹念に取材した著者が、厳しい現場に再び独りで臨んでえぐり取った、雪男探しをめぐる一点の鋭い真実とは?」



本書の「目次」は、以下のようになっています。
「プロローグ」
第一章:捜索への正体(2008年3月17日 日本)
第二章:シプトンの足跡
第三章:キャラバン(2008年8月17日 カトマンズ
第四章:登山家芳野満彦の見た雪男
第五章:密林(2008年8月26日 アルチェ)
第六章:隊長高橋好輝の信じた雪男
第七章:捜索(2008年8月30日 タレジャ谷)
第八章:冒険家鈴木紀夫だけが知っている雪男
第九章:撤収(2008年9月26日 コーナボン谷)
第十章:雪男単独捜索(2008年10月15日 ポカラ)
「エピローグ」



著者は大学卒業後、朝日新聞社に入社しますが、08年に退社します。
同じ年にネパール雪男捜索隊隊員となるのですが、本書はそのときからの長期取材によって書かれました。雪男といえば、早大探検部の先輩である高野秀行氏もブータンで雪男探しに挑みました。しかし、ブログ『未来国家ブータン』に書いたように、高野氏は本気で雪男の存在を信じていなかった感があります。
その点、本書の著者である角幡唯介氏の立場はちょっと違います。
著者は、「雪男の存在に触れることは、ある意味で恐ろしいことだった」といいます。もし本当に雪男の痕跡を見つけ、その存在を本気で信じてしまったら、その後の人生にいかなる展開が待ち受けているのかと考えてしまうというのです。
「プロローグ」で、著者は次のように書いています。
「わたしは論理的なものの考え方をする質の人間なので、たとえこの目で何かを見たとしても雪男のような非論理的な存在を容易に受け付けることはないだろう。だが、雪男には見た者を捉えて離さない魔力があるらしく、わたしのそのようなつまらぬ良識など吹き飛ばしてしまうかもしれない。足跡を見ることによって、自分の人生が予想外の方向に向かうことは十分考えられた。例えば、アルバイトで細々と資金を貯め込み、毎年双眼鏡を片手にひとりでヒマラヤの山中にこもるというような人生。世間から浴びる、ともすれば嘲笑的な視線。もしくは滑稽な人間という不本意な烙印。自分はそういう人生を望んでいるのだろうか。たぶん望んではいないだろう。しかしそうなる可能性もないとはいえない。それが雪男というものなのだ。足跡を期待する反面、わたしはそれを確認することに変なためらいも感じていた。二律背反的な奇妙な感覚・・・・・。
雪男の足跡を見てしまうのが、わたしは怖かった」



本書には、数多くの文献や雑誌記事などの引用があります。
著者は、雪男探しの先達たちの証言を丁寧に紹介してくれます。
それにしても、世界的な登山家たちの多くが雪男を目撃していたという事実には驚かされました。今井通子田部井淳子といった人々をはじめ、雪男の目撃者は他の未確認生物に比べて信用できそうな人が多いです。
そう、インチキくさい怪獣やエイリアンの目撃者とは信用度が違うのです。
特に、冒険家の故・鈴木紀夫などは、フィリピンで旧日本兵の小野田さんを発見した人です。その晩年は雪男探索に情熱を注いだそうですが、彼の死の真実というか「最期」に関する著者の考察には感銘を受けました。



雪男の正体については、さまざまな説があります。
ネアンデルタール人の生き残り、ゴリラ、ヒグマ、ユキヒョウカモシカなどなど。
雪男の捜索を終えた著者の雪男に対する認識はどうなっているのでしょうか。
著者いわく、捜索に参加する以前の、雪男がいるとは考えにくいという常識的なものに再び戻りつつあるとして、次のように述べます。
「捜索に関わったひとりとして、わたしがそう思う根拠を挙げてみよう。わたしは生物生態学や古人類学、動物学、サル学、植物学などに関しては素人で、ここに述べるのは専門的な見地からではなく、あくまで捜索現場の印象をもとにした個人的な感想に過ぎない。そのような立場から、わたしが雪男の存在を肯定しにくい最大の根拠は、ある種の解釈の問題につきると言える。足跡にしろ、雪男の目撃談にしろ、これまで報告されたほとんどの雪男現象は、客観的には、例えばカモシカやクマといった従来の四足動物の見間違えで説明できてしまう気がするのだ。それらの報告が四足動物のものかどうかは不明であり本当に雪男のものかもしれないが、ここでわたしが言いたいことは、雪男の正体がカモシカやクマなどの四足動物であるということではなく、カモシカやクマなどの四足動物でその現象を説明しても説得力を持ち得るという点にある」



この文章を読んだだけでも、著者が非常に論理的な思考をする人物であることがよくわかります。でも、常識的な考えに戻りつつあるという著者は、こうも書いています。
「しかしわたしは、現在のところまでのこの差し当たっての自分の結論が、何かを体験したら一瞬で吹き飛んでしまうガラス細工程度の強さしか持ち合わせていないことも分かっている。それらしい推論など事実の力強さの前には常に無力だ。わたしは事実を知らないので推論に頼らざるを得ないだけなのだ」



そして、最後に著者は次のように述べるのです。
「わたしは自分が行った捜索や客観的な目撃談、あるいは足跡の写真の中に雪男の論理的な存在を認めることはできなかった。
わたしは雪男の存在を、実際の捜索現場ではなく、接した人の姿の中に見たのだ。
考えてみると、彼らとて最初から雪男を探そうとか、死ぬまで捜索を続けようとか思っていたわけではなかった。さまざまな局面で思ってもみなかったさまざまな現象に出くわしてしまい、放置できなくなったのが雪男だった。人間には時折、ふとしたささいな出来事がきっかけで、それまでの人生ががらりと変わってしまうことがある。旅先で出会った雪男は、彼らの人生を思いもよらなかった方向に向けさせた。そこから後戻りできる人間はこの世に存在しない。その行きずりにわたしは心が動かされた。
雪男は向うからやって来たのだ」



『雪男は向うからやって来た』という書名について、わたしはてっきり未確認動物としての雪男が雪山の向こうから二本足で歩いてこちらにやって来たという意味だと思っていましたので、この一文には「うーん」と唸りました。
良く言えば含蓄のあるタイトルですが、悪く言えば確信犯的な勘違いの誘発。
しかし、秘境ともいえる山の奥に入り、未知の生物についての思いをめぐらせる著者は、この上なく哲学的であったと思います。彼の思考は雪男の実在など超えて、おそらくは「存在とは何か」といったレベルにまで達していたのではないでしょうか。
わたしは、矢作直樹氏、稲葉俊郎氏という2人の山男を知っています。両氏とも東大病院の医師にして、人間の「こころ」の秘密を見つめる哲学者でもあります。
昔から山男に対して、「なぜ、山に登るのか」という質問があります。
それに対して、「そこに山があるから」という答えが有名ですが、おそらくは「人間とは何かを知るため」ということもあるのではないでしょうか。
わたしは山男ではありませんので、本当のところはわかりませんが・・・・・。
最後に、矢作先生、稲葉先生にも、ぜひ本書を読んでいただきたいと思います。



2012年8月28日 一条真也

『未来国家ブータン』

一条真也です。

『未来国家ブータン高野秀行著(集英社)を読みました。
著者は、ブログ『幻獣ムベンベを追え』ブログ『怪獣記』で紹介した作家です。
UMA(未確認動物)を求めて、世界中を駆け巡る人物です。
最新作である本書は、「世界でいちばん幸せな国」とされるブータンの紀行本です。


「世界でいちばん幸せな国」の秘密



本書の帯には、「わが国に未知の動物はいません。でも雪男はいますよ」「そのひと言にのせられて、私はヒマラヤの小国に飛んだ」「GNPよりGNH、生物多様性、環境立国・・・・・、今世界が注目する『世界でいちばん幸せな国』の秘密を解き明かす!!」といった言葉が書かれています。



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
第一章:ブータン雪男白書
第二章:謎の動物チュレイ
第三章:ラムジャム淵の謎
第四章:ブータン最奥秘境の罠
第五章:幸福大国に隠された秘密



著者は、「誰も行ったことのない場所に行き、誰も書いたことのないものを書く」を信条とし、これまで過酷な条件で未知の土地に足を踏み入れてきました。
ところが今回は、なんと、「ブータン政府公認プロジェクトで雪男探し」です。
とある企業の調査員としてブータンに入国した著者は、政府の随行員と一緒に決められた日程で薬草やフォークロアを調査します。これまでの著者の旅とはまったく違う異色な旅となっているのです。「あの国には雪男がいるんですよ!」とのひと言に乗せられて、著者はブータンヘ飛びました。



「はじめに」で、著者は次のように書いています。
「私は20年前から世界中の未知の動物(未確認動物)を探し回ってきた。コンゴの謎の怪獣モケーレムベンベ、中国の野人、トルコの巨大水棲獣ジャノワールベトナムの猿人フイハイ、アフガニスタンの凶獣ペシャクパラング・・・・・。
1つも見つかっていないから自慢にもならないが、私ほど、未確認動物を客観的かつ徹底的に探してきた人間は日本にはほかにいない。世界でもいないんじゃないか。もちろん、雪男のことも話としてはよく知っているが、“本場”はネパールである。ブータンの雪男は初耳だった」



第一章「ブータン雪男白書」で、著者は雪男について次のように書いています。
「『雪男(スノーマン)』は外国の登山家がつけた名前だ。雪山でよく足跡が発見されたからそう呼ばれたのだが、雪男自体は森の中に棲んでいると(ネパールでもブータンでも)思われている。当然だ。雪の上では食べるものがないし寝るところもない。だから最近では世界中どこでも『スノーマン』でなく、ネパールの呼び名である『イエティ』と呼ぶのが普通だ。もっともブータンではイエティとは言わない。一般的に『ミゲ』だが、東部では『ドレポ』とか『グレポ』などとも呼ぶらしい。
イエティもミゲもドレポもみな同じものを指すわけだから、いっそのこと日本語では『雪男』に統一してもいいんじゃないかと思ったのだが、困ったことに、ときどき『雌の雪男』というのが登場する。『雌の雪男』は変だ。じゃあ『雪女』かというと、それは別物である」



「雪女」といえば、日本の妖怪です。妖怪を扱う学問は民俗学ということになりますが、日本の民俗学を確立したのは柳田國男であり、彼の著書『遠野物語』ということになっています。じつは本書『未来国家ブータン』の冒頭には、「願わくばこれを語りて平地民を戦慄せしめよ」という『遠野物語』の一句が記されています。つまり、著者は岩手県遠野村のフォークロア=民間伝承を集めた『遠野物語』のように、ブータンフォークロア、特に雪男についての伝承を集めた本書を執筆したことがわかります。
ということは、かつてのモケーレムベンベやジャノワールのように実在する怪獣としてではなく、著者はフォークロア的存在としての雪男を求めたのかもしれません。実際、本書を読むと、著者がそれほど本気で雪男の存在を信じてはいないように思えます。


さて、雪男を探しながら、著者は次第にブータンという国の実情を掴んでいきます。
「世界でいちばん幸せな国」は、国王を中心に小さく巧妙にまとめられていることに著者は気づきます。ブータン国内での国王の人気は驚くほど高いそうです。
昨年、ブータンの第5代国王であるジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王夫妻が来日され、爽やかな印象を残されました。日本では、ちょっとしたブータン・ブームが起きました。第4代国王のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王ですが、親子で大変な人気だとか。
その人気の凄まじさについて、本書には次のように書かれています。
ブータンの国王、恐るべし。この国では国王は『尊敬の対象』どころではない。
日本で言うならジャニーズ事務所所属の全タレントと高倉健イチロー村上春樹を合わせたくらいのスーパーアイドルである。
4代目は先代の急死により16歳で即位。『世界で最も若く最もハンサムな国王』と騒がれた。50代の今でも十分にハンサムだ。稀にみるほど賢い人で、若くしてGNH(国民総幸福量)の概念を考え、環境立国の道を切り開いた」


現在の第5代国王も若くてハンサムですが、昨年は日本の国会で素晴らしいスピーチをされました。わたしたち日本人は、国王のスピーチを聞きながら、「さすがは、世界一幸せな国の国王だ」と感心したものでした。
本書で著者も書いているように、国王を求心力としたブータンのシステムは国内では非常にうまくいっているようです。しかしながら、著者はブータン社会の問題点(一種のカースト制度)にも国王が自ら取り組んでいることも紹介しています。
ブータンには「ネパール系住民」という最大の内政問題が存在します。これは隣国のシッキムがインドに吸収された最大の原因であり、人権問題にも発展しています。ブータンが今後存続していく上で最大の問題であると言えるでしょう。



第五章「幸福大国に隠された秘密」では、著者は「ブータン方式とは国民の自発性を尊重しつつ明確に指導すること、もう1つは巧みな補完システム」であると述べます。
著者がブータンを1ヵ月旅して感じたのは、この国には「どっちでもいい」とか「なんでもいい」という状況が実に少ないことでした。著者は述べます。
「何をするにも、方向性と優先順位は決められている。実は『自由』はいくらもないが、あまりに無理がないので、自由がないことに気づかないほどである。国民はそれに身を委ねていればよい。だから個人に責任がなく、葛藤もない」



著者は、ブータンのインテリについて、次のように書いています。
「アジアの他の国でも庶民はこういう瞳と笑顔の人が多いが、インテリになると、とたんに少なくなる。教育水準が上がり経済的に余裕が出てくると、人生の選択肢が増え、葛藤がはじまるらしい。自分の決断に迷い、悩み、悔いる。不幸はそこに生まれる。
でもブータンのインテリにはそんな葛藤はない。庶民と同じようにインテリも迷いなく生きるシステムがこの国にはできあがっている。
ブータン人は上から下まで自由に悩まないようにできている。
それこそがブータンが『世界でいちばん幸せな国』である真の理由ではないだろうか」


「上から下まで自由に悩まないようにできている」国家ブータン
ある意味で超管理社会ともいえるブータン社会に、著者は未来を感じるそうです。
かつて、「未来惑星ザルドス」というSF映画がありました。
猿の惑星」シリーズと同じ20世紀フォックスの名作ですが、未来の超管理されている惑星の物語でした。ザルドスで反乱を起こす主役は、「007」シリーズで初代ジェームズ・ボンドを演じたショーン・コネリーが務めています。わたしは、『未来国家ブータン』という書名を最初に見たとき、「未来惑星ザルドス」を真っ先に思い浮かべました。
著者は、もしかしたらブータンとザルドスを重ね合わせているのではないでしょうか。
ザルドスは強大な石像の頭部が空中を飛ぶ世界でしたが、本書の表紙には空を飛ぶ王宮の絵が描かれており、どうしてもザルドスを連想してしまいます。



「――未来国家。またしてもこの言葉が頭に浮かんだ」と、著者は書いています。
どうして著者はブータンに未来を感じるのでしょうか。
それについて、著者は次のように述べています。
「自分で旅してみれば、特に田舎に行けば、ブータンで感じるものは過去であり、未来ではない。多くの土地ではまだ電気も水道も通っていない。
高度な教育や医療、福祉の恩恵にあずかれる人はごく一部だ。
反面、建物も人の服装も伝統がきちんと守られている。人々は信仰に生き、雪男や毒人間、精霊や妖怪に怯え、家族や共同体と緊密な絆で結ばれている。
人情は篤く、祖父母から受け継いできた文化や言い伝えを次の世代に伝えようとしている。『未来』でなく『古き良き世界』である。
特に顔や文化の似通った日本人はノスタルジーをかき立てられる。
だから、ある人はブータンのことを『周回遅れのトップランナー』などと呼ぶ」



著者が見たブータンは、「伝統文化と西欧文化が丹念にブレンドされた高度に人工的な国家」でした。それは「国民にいかにストレスを与えず、幸せな人生を享受してもらえるかが考え抜かれた、ある意味ではディズニーランドみたいな国」でした。著者は、ブータンに「私たちがそうなったかもしれない未来」を感じるといいます。
というのは、アジアやアフリカの国はすべて同じ道筋を歩んできました。
その道筋について、著者は次のように説明します。
「まず欧米の植民地になる。ならないまでも、経済的・文化的な植民地といえるほどの影響を受ける。独立を果たすと、政府は中央政権と富国強兵に努め、マイノリティや政府に反対する者を容赦なく弾圧する。自然の荒廃より今の景気を優先し、近代化に邁進する。たいてい独裁政治で抑圧はひどいが暮らしは便利になる。やがて、中産階級が現れ、自由、人権、民主主義などが推進される。迷信や差別とともに神仏への信仰も薄れていく。個人の自由はさらに広がり、マイノリティはよりきちんと理解されるとともに、共同体や家族は分解し、経済格差は開き、治安は悪くなる。政治が大衆化し、支配層のリーダーシップが失われる。そして、環境が大事だ、伝統文化が大切だという頃には環境も伝統文化も失われている――」



国や地域によって差はあっても、大まかにはこういう徹を踏んでいるわけです。
しかし、後発の国は先発の国の欠点や失敗がよく見えるはずであり、それを回避できるはずです。それなのに、なぜわざわざ同じ失敗を繰り返すのか。
考えてみれば、不思議な話です。著者によれば、ブータンだけが例外だそうです。
ブータンだけは、まるで後出しジャンケンのように、先進国の長所だけを取り入れて、短所はすべて避けているというのです。その結果、ブータンは世界のほかの国とはまるで違った進化を遂げました。「まるで同じ先祖をもつとされるラクダとクジラを見比べるようだ」という著者は、次のように述べています。
「日本だって、明治初期まで遡ればブータン的進化を遂げる可能性があったのではないか。今でも国民はちょんまげに和服で刀を差し、伝統的な日本家屋に住み、神仏を固く信じ、河童や神隠しを畏れ、天皇を尊び、自然環境を大切にする。自分の収入が減るより国のことを案じ、でもどう生きるかという葛藤はなくて、おおむね幸せである。いっぽうで、行政は地元住民の幸せを真剣に考え、人権や民主主義は行き渡り、一部のエリートが国のために尽くそうと心から願っている。高度な医療はないからちょっと難しい病気にかかったら諦めなければいけないし、贅沢どころか、職業選択の自由もないが、生物資源の開発でそこそこ生活は成り立つ。休みの日にはエリートも庶民も、みんながお洒落をして高僧の説教にキャーキャー言って押し寄せる――」



日本もそんな社会になっていたかもしれないと、著者は推測します。
そして、「SFでいうところの『平行世界(パラレル・ワールド)』だ。宇宙のどこかにはそんな日本があるのではないか。そんな妄想にまで駆られてしまうのである」と書きます。
そう、未来国家ブータンも、そして未来惑星ザルドスも、もう1つの日本だったのかもしれません。最後に、わたしは雪男探しの興味から本書を読み始めました。その意味では、肩透かしの感もありました。しかし、文明批評の書としては優れており、本書を読むことができて非常に満足しています。


2012年8月27日 一条真也

『怪獣記』

一条真也です。

『怪獣記』高野秀行著(講談社文庫)を読みました。
ブログ『幻獣ムベンベを追え』で紹介した本と同じく、UMA研究家でもある著者が謎の水棲生物を探すエキサイティングなノンフィクションです。


100%ガチンコ・ノンフィクション



表紙カバーの裏には、以下のような内容紹介があります。
トルコ東部のワン湖に棲むといわれる謎の巨大生物ジャナワール。果たしてそれは本物かフェイクか。現場に飛んだ著者はクソ真面目な取材でその真実に切り込んでいく。イスラム復興主義やクルド問題をかきわけた末、目の前に謎の驚くべき物体が現れた!興奮と笑いが渦巻く100%ガチンコ・ノンフィクション」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
第1章:驚きのUMA先進国トルコ
第2章:ジャナ、未知の未知動物に昇格
第3章:天国の朝
第4章:謎の生物を追え!
「エピローグ」
「あとがき」
「文庫のためのあとがき」
解説(宮田珠己



第1章「驚きのUMA先進国トルコ」の冒頭で、著者は次のように書いています。
「私はなんでも『未知』が好きである。
土地でも民族でも植物でも遺跡でも、もう『未知』と聞くだけで神経がざわめいてくる。
今(2007年)から18年前、大学探検部時代に仲間たちとアフリカ・コンゴに謎の怪獣ムベンベとやらを探しに行ったのが、私の未知探求の原点だ。
コンゴには通算4回も足を運んだし、その後、中国で野人を探したりもした。
ここ10年くらいは、別の『未知』に気をとられ、未知動物とはごぶさたしていたが、前年からはじめたインドの怪魚『ウモッカ』探しで久々に未知動物に復帰した」



そして、著者は本書のテーマである「ジャナワール」を探すことになるのでした。
本書の主人公ともいえる「ジャナワール」とは何か。著者は書いています。
トルコ東部にあるワン湖に棲むとされ、一言でいえば、ネッシー型の巨大水棲動物ということになっている。体長は約10メートルとネッシー級だが、どうもそれがいわゆる『潮を吹く』といった感じらしいので、UMAファンの間では『クジラの祖先であるバシロサウルスがかつて海だった可能性のあるワン湖に取り残されて生き残っているのではないか』と推測するというか夢見る人もいる。もっとも実際にはバシロサウルスは子孫のように潮を吹かなかったらしく、それでは成り立たないらしいが、なにしろ、関心がないので細かいことはよく知らない」



ここで、著者はジャナワールに「関心がない」と明言しています。
未知の動物には目がないはずの著者が、いったいどうしたのでしょうか?
著者がジャナワールに関心を持てないのには理由があるそうです。それは、ジャナワールが話題になったことには、現代メディアが生んだ共同幻想という側面があることです
1997年に現地の人の手でビデオで映像が撮影され、CNNを筆頭に世界の各メディアで流されました。さらに本格的なネット時代の到来と重なっていたため、ジャナワールの映像は世界中の誰もがいつでもウェブサイトで見られるようになりました。著者にとってのジャナワールとは、「巨大マスコミとインターネットの作り上げたファンタジー」でした。
著者は、「UMAというのは一種の病気であり、感染力は強い。近くに強力な症状を発症している患者がいると、『そんなもんにかかってなるものか』という自分の意志とは関係なく、罹患することがある」



しかし、目に見えない運命の糸に操られて、著者はトルコを訪れ、ジャナワール探しに挑戦することになります。トルコといえば、世界遺産が多いことで知られるように、古代遺跡の宝庫です。数多くの謎も残っており、その最たるものこそ、アララト山に漂着したという「ノアの箱舟」の伝説でしょう。この『旧約聖書』に登場する「ノアの箱舟」は、幼いわたしの心を鷲掴みにし、小学生3年生ぐらいから「いつか大人になったら、アララト山ノアの箱舟を探しに行こう」と思っていました。
しかし、本書に書かれた著者の言葉に、わたしは愕然となります。トルコという国は「フェイク」つまり「ニセモノ」だらけと書いた後で、著者は次のように述べるのです。
「なかでも最大のフェイクは『ノアの箱舟』である。雲の覆われたアララット山が間近に見える場所にそれはあったが、『どうしてこれが?』という代物だった。
なにしろ、箱舟と言いつつ、木は何もない。ただ、土が大きい菱形に盛り上がっていて、それが旧約聖書に描かれた箱舟の形とサイズにぴったり一致するという。しかし、箱舟は木造のはずだ。どうして木が土になってしまうのか。
ばかばかしいにもほどがある。だいたい、聖書によれば、箱舟はアララット山の山頂に着いたのだ。なぜかというと、アララット山が聖書の世界ではいちばん高い山で、洪水のあと、いちばん最初に水面から顔を出した土地がそれだったからだ。
なのに、どうしてアララット山の頂上でなくて、ふもととも言えない場所に箱舟があるのだ? 富士山と静岡市くらい離れており、あまりにも遠い」
このようなわけで、著者たちはワン湖周辺=フェイク天国=噴飯モノと決めつけ、当然ながらジャノワールのこともフェイクと疑うのでありました。



そんな著者ですが、なんと本当にワン湖でジャノワールと思しき大きな魚影に遭遇するのです。UMA研究家としては、まさに千載一遇の機会ですが、そのときの著者の反応は以下のようなものでした。
「『目撃者の心理』というのも初めて味わった。てっきり、とんでもなく興奮するだろうと思ったが、ちょっとちがう。図鑑にあるような恐竜や古代生物がぐいっと頭をもたげたりしたら話は別だろうが、何かわからないので、興奮するというより『なんだ、なんだ?』と首をかしげ、眉をひそめ、頭をポリポリかき・・・・・そう、ただただ困惑するのだ」



ジャノワールと思しき物体は遠くに、しかも水の中にいます。それが困惑の要因で、とりあえず向こうがこちらに害を与えることもないですし、著者たちが向こうを追いかけたり捕まえたりできるわけでもありません。
そんな思考を巡らせる著者たちをあざ笑うかのように、いくつものバカでかいものが水面を浮いたり沈んだりを繰り返しました。著者は、次のように書いています。
なにか、「陽気な無力感」というものを感じ、「これをあとで人に訊かれても困るな・・・」と思ったという著者は、次のように書いています。
「今まで目撃談が切迫してないとか情熱がないとか言いたい放題だったが、今になって『そりゃそうだ』とわかる。なにしろ、目の前で見ているときですら困惑しているのだ。それをあとで他人に説明したらますます困惑するに決まっている。ただ不思議なものというのは、切迫とか情熱という感情とは無縁なのである」
これは、実際にUMAを目撃してしまった人間の正直な言葉であると思います。



さらに、著者は次のように示唆に富んだ発言もしています。
「集団目撃の危険性にも気づかされた。百人で見ても信憑性が百倍になるわけじゃないのだ。集団では声の大きい人間が勝つという、一般世間の法則がここでもあてはまるのだ」著者がいたちっぽけな集団でさえ、中心メンバーの1人の主張にみんな反論できませんでした。ましてや、集団の中に地元の有力者などがいたらどうでしょうか。
村長なり部長なり知事なりが「あれは間違いなくジャノワールだ。頭はドラゴンのようで体は10メートルもあった」と言えば、他の99人はもう何も言えません。
「あれ、黒っぽい物体にしか見えなかったよなあ・・・・・」と、あとで仲間内でささやきあうのがせいぜいなのです。



とはいえ、著者は確かにジャノワールらしき強大な黒い影を水中に見ました。
それをビデオ撮影することにも成功しています。著者は書きます。
「あの黒い物体の正体はわからない。
しかし、それは少なくとも魚、草、岩、鳥、カメなど、誰かが思いつくものじゃない。
何かわからないが、もっと意表をつくものだろう。
そして未知のものかもしれない」
この一文を読んで、わたしは本当に爽やかな気分になりました。
またしても、著者から「根拠のない勇気」を与えられた心境です。
なお、26日の朝、ヤフー映像トピックスで「イギリスのビーチで目撃された謎の生物」という動画を見ました。まだまだ世界には怪獣のロマンが溢れているようです。


*このブログ記事は、1990本目です。


2012年8月26日 一条真也

『幻獣ムベンベを追え』

一条真也です。

『幻獣ムベンベを追え』高野秀行著(集英社文庫)を読みました。
アフリカ大陸・コンゴの奥地には、太古の昔より謎の怪獣モケーレ・ムベンベが生息するといわれています。そのムベンベ発見に挑む、早稲田大学探検部11名の密林サバイバル78日間を記録したノンフィクションです。


謎の怪獣を追う痛快ノンフィクション



本書は、もともと1989年に『幻の怪獣・ムベンベを追え』(早稲田大学探検部)としてPHP研究所より刊行されました。1966年生まれの著者は早稲田大学第一文学部卒業なので、わたしの大学の後輩に当たります。ちょうど、わたしの家内とは学部の同級生になりますね。著者を含むワセダ探検部のメンバーはアフリカの奥地に怪獣を探しに出掛けたわけですが、こんな凄い連中が同級生だったとは、家内も驚くでしょう。
卒業後、著者はノンフィクションライターとなりました。本人の公式サイトによれば、「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをして、それを面白おかしく書く。 をモットーに執筆活動をつづける辺境作家」だそうです。そして「辺境作家」の他にも、著者には「UMA(未確認生物)研究家」という肩書きがあります。



本書の「目次」は、以下のようになっています。
「プロローグ」
第一章:コンゴ到着
第二章:テレ湖へ
第三章:ムベンベを追え
第四章:食糧危機
第五章:ラスト・チャレンジ
第六章:帰還
「エピローグ」
「あとがき」
早稲田大学探検部コンゴ・ドラゴン・プロジェクト・メンバー一覧
文庫版あとがき
SPECIAL THANKS
解説(宮部みゆき



まず、本書の主役ともいえる「ムベンベ」とは何か。
「プロローグ」で、著者は次のように書いています。
「怪獣の名は、通称コンゴ・ドラゴン、本名モケーレ・ムベンベ(これは現地語で“水の流れをせきとめるもの”の意味だそうだ)、年齢不詳、おそらく太古の昔より棲息していると思われる。現地の人々は古くからその存在を信じており、一種の魔物として恐れているという。この怪獣はコンゴのこのテレ湖以外でも広く見られており、ヨーロッパの文献にも早い時期から登場している。18世紀後半、フランスのキリスト教伝道団が、90cmもある大型動物の足跡を発見したのをはじめ、『茶色がかった灰色の長くしなやかな首をした動物を見た』(1913年)、『巨大な蛇がカバを殺したあと、首を伸ばして岸辺の草を食べていた』(1930年)など、多数の目撃報告がある。
それらの証言を総合すると、長い首、太い胴、ゾウのような四肢、体長10〜15m・・・・・どうもネス湖ネッシーのような恐竜像が浮かび上がってくるではないか。しかも、このコンゴのジャングルは、世界で最も氷河期の影響が少なかった地域だという」


世界一有名なUMAであるネッシーが登場しましたが、第四章「食糧危機」で著者はネッシーについて次のように書いています。
ネス湖ネッシーもソナーによる徹底的な調査で否定的な結果が出て以来、実在論者は『ネス湖は海にトンネルで通じておりネッシーがそこを往来している』という説を前面に押し出しているらしい。調査のときはたまたまどこかに出かけていて留守だったということか。私はネッシーについては研究していないのでよく知らないが、自分ならソナー調査の結果をまず疑うだろう。あんなに広い湖なのだ。それほど厳密な調査ができるわけがない。“徹底的な”とは主催者側の発表でそれをうのみにすること自体が危険である。生物が潜んでいそうな湖底の岩陰、小さい穴など意外にとらえられていないんじゃないか。また、調査を行った人間が、ネッシーについてあらかじめどのような意見を抱いているかも問題だ。断言してもいいがおそらく正体不明の影も結構映っていたことだろう。否定論者なら、どんなえらい学者でもろくに確かめもしないで『あー、そんなの水草水草』なんてことにすぐなってしまいそうな気がする。ま、われわれくらいは、自分の見たもの、自分の足で確かめたことだけを信じていきたいものだ」



また、本書の「あとがき」に著者は次のように書いています。
「何事にも『理由』があると思う。たとえば、ネッシーは今まで何百人もの人々によって目撃されているという。『そんなのいるわけないよ』というのは簡単だが、『いるわけない』のなら、なぜそのような現象が起きるのだろうか。
もし、特定の場所で何百人もの人々が声をそろえてウソをついているとすれば、それは古代の一生物が生き残っているのと同じくらい珍しい事であると言わねばならない」
と、このように著者のムベンベ発見にかける姿勢は真剣そのもので、シャレなどではありません。完全なガチンコ探検だったのです。


「幻獣とは何か」の仮説を立てました



「幻獣」といえば、わたしは2010年2月に『世界の幻獣エンサイクロぺディア』(講談社)という監修書を出版しました。表紙を憧れの永井豪先生に描いていただいた一冊ですが、そこでわたしは「幻獣とは何か」について考察しました。
そして、幻獣の正体について、わたしは4つの仮説を立てました。
第1の仮説は、幻獣とは人間の想像力が生み出した存在であるということ。
第2の仮説は、幻獣とは未発見の実在する生き物であるということ。 
第3の仮説は、幻獣はこの世界ではなく異界において実在するということ。
そして第4の仮説は、幻獣とは人間の無意識の願望が生み出したというものでした。
これは、第1の想像力仮説とは違います。想像力はあくまで意識的なものですが、これは無意識のうちに幻獣を生み出すという人間の心のメカ二ズムに根ざしています。



現代において最大の幻獣といえば、やはりネス湖ネッシーが思い浮かびます。
ナショナル・ジオグラフィックの制作する「サイエンス・ワールド」という番組でネッシーが取り上げられたことがあります。わたしは、市販されているそのDVDを観たことがあるのですが、非常にショックを受け、深く考えさせられました。1933年に初めて写真撮影されてから、多くの目撃証言が寄せられ、写真や映像が公開されてきたネッシー。最初の写真はトリックだったと明らかになり、その他の写真や映像もほとんどは、流木の誤認をはじめ、ボートの航跡、動物や魚の波跡などであったといいます。
その正体についても、巨大ウナギやバルチックチョウザメ、あるいは無脊椎軟体生物などの仮説が生まれました。今のところ、どの説も決定打とはなっていません。
しかし、そんなことよりも、わたしは番組内で行なわれた1つの実験に目が釘付けになりました。それは、ネス湖に棒切れを1本放り込んで、湖に漂わせておくのです。それから、ネス湖を訪れた観光客たちにそれを遠くから見せるのです。その結果は、驚くべきことに、じつに多くの人々が棒を指さして「ネッシーだ!」と興奮して叫んだのでした。



わざわざネス湖にやって来るぐらいですから、ネッシーを見たいと願っていた人々も、その実在を信じていた人々も多かったでしょう。
そして、現実の結果として、彼らの目には棒切れが怪獣の頭に映ったのです。
人間とは、見たいもの、あるいは自分が信じるものを見てしまう生きものなのです。
幻獣も興味深いですが、それを見てしまう人間のほうがずっと面白いと思いました。
ネッシーを見たのと同じメカ二ズムで、かつてドラゴンや人魚や河童や天狗を見てしまった人間は多いはずです。いや、幻獣だけではありません。神や聖人や奇跡など、すべての信仰の対象について当てはまることではないでしょうか。  



きっと、人間の心は退屈で無味乾燥な世界には耐えられないのでしょう。
そんな乾いた世界に潤いを与えるために、幻獣を必要とするのではないでしょうか。
いま、ファンタジー、アニメ、ゲームなどで昔ながらの幻獣が大量に復活し、大活躍しています。きっと、これも現実の世界が乾いていて、つまらないせいでしょう。
人間が生きていく上には幻獣の存在が欠かせないようです。
そう、幻獣が世界を豊かにするのですね。そして、本書の著者などはまさに「退屈で無味乾燥な世界には耐えられない」心を持った人なのだと思います。
いわば、少年のような心を持った大人だと言ってもよいでしょう。わたしにもそういう部分があると自覚しているのですが、大学の後輩である著者にはとてもかないません。
本書を読めばわかりますが、大変な苦労をして準備し、費用を捻出し、実際にアフリカの奥地にまで怪獣を求めて探検に行くわけです。
現地では、ゴリラ、チンパンジー、カワウソ、トカゲ、ワニまで食べます。
メンバーの中にはマラリアにかかって生死を彷徨う者も出ます。
そこまでして怪獣発見に情熱を燃やす姿は、「バカじゃないか」という思いを通り越して、「これは凄いわ!」という感動さえ呼び起こします。
わたしには、とてもここまで出来ません。この素晴らしい後輩たちは、ある意味でもっとも「ワセダらしい」連中ではないかと思いました。


わたしは、子どもの頃に放映されていた水曜スペシャルの「川口浩探検隊」シリーズが大好きでした。わたしより少し下の世代である探検部の彼らも、きっとこの番組を観て、影響を受けた部分が大きかったのではないかと思います。
それにしても、「怪獣を探しに行く」という発想をし、実際に行動してしまう人が本当にいるのですね。わたしは、かつて、若き日の石原慎太郎都知事ネッシーを探しにネス湖の探検隊に参加したことを思い出しました。
いやあ、「怪獣探し」に勝る男のロマンがあるでしょうか?
わたしは、かつての石原知事や本書の著者を心から羨ましく思います。
IT化が進行し、グーグルマップやストリートビューで全て明らかにされていく世界は、どんどんロマンが失われていく世界でもあります。こんな世界において、辺境を旅し、未知の生物を求め続ける著者の生き方は注目すべきだと思います。
これからも、著者のロマン溢れるノンフィクションを読んでみたいです。


2012年8月25日 一条真也

『エリア51』

一条真也です。

『エリア51』アニー・ジェイコブセン著、田口俊樹訳(太田出版)を読みました。
「世界でもっとも有名な秘密基地の真実」というサブタイトルがついています。
著者のアニー・ジェイコブセンは、アメリカの調査報道ジャーナリストです。
「ロサンゼルス・タイムズ・マガジン」の編集などに携わっているそうです。


世界でもっとも有名な秘密基地の真実



本書の帯には、「全米に衝撃を与えたベストセラー。100人を超える関係者に徹底取材。禁断の秘密基地の全貌が遂に明らかに。核実験、ロズウェル事件、知られざる人体実験―米政府がいまだ存在を認めない軍事施設の驚愕の歴史」と書かれています。
また、カバーの折り返しには次のような内容紹介があります。
ネヴァダ州の砂漠地帯に位置する軍事施設エリア51。
UFO墜落・宇宙人の遺体回収で知られる『ロズウェル事件』の舞台として世界的に有名であるにもかかわらず、現在も当局によってその存在は伏せられている。
調査報道ジャーナリストの著者は、極秘の開発計画に携わっていた物理学者への取材をきっかけに、エリア51に住み、勤務した30人以上から貴重な証言を得ることに成功。その結果、冷戦下の軍事秘史が初めて明らかになった。大統領さえも除外される厳重な管理体制のもと、いったい何が行なわれてきたのか? 100人以上の関係者証言をもとに、大きな謎に包まれた秘密基地エリア51の内部に初めて踏み込む!
超音速爆撃機の開発をめぐるソ連との攻防、ロズウェル事件の真相、核および人体実験の知られざる驚愕の事実など、アメリ軍事史の闇の迫る渾身のノンフィクション」



本書の「目次」は、以下のようになっています。
プロローグ:秘密都市
第1章:エリア51の謎
第2章:架空の宇宙戦争
第3章:秘密基地
第4章:陰謀の種子
第5章:情報適格性
第6章:原子力事故
第7章:ゴーストタウンからブームタウンへ
第8章:転落するネコとネズミ
第9章:基地の再構築
第10章:科学、テクノロジー、仲介の達人たち
第11章:どんな飛行機?
第12章:さらなる隠蔽
第13章:汚くて退屈で危険な任務は無人偵察機
第14章:砂漠のドラマ
第15章:究極の男社会
第16章:ブラックシールド作戦とプエブロ号事件の知られざる歴史
第17章:エリア51のミグ
第18章:メルトダウン
第19章:月面着陸捏造説と、エリア51にまつわるその他の伝説
第20章:空軍の支配――カメラ室から爆弾倉まで――
第21章:驚くべき真実
エピローグ
訳者あとがき
取材協力者と参考文献



第1章「エリア51の謎」の冒頭には、次のように書かれています。
「エリア51はまさしく謎である。誰もがその正体を知りたがっているのに、そこでおこなわれていることを完全に把握している者はごくわずかしかおらず、多くの人がこう考えている――エリア51というのは最先端の諜報活動および戦闘システムに関連した秘密基地だと。なかにはこんなふうに考えている者もいる――エイリアンや捕獲したUFOの存在する闇の世界だと。実際のところどうかと言えば、エリア51というのは、どの国より迅速に軍事科学技術を発展させる目的でつくられた連邦政府の秘密施設だ。それがなぜネヴァダ州南部の高地砂漠――周囲を山でぐるりと囲まれた、世の中から隔絶された場所――にこっそりとつくられたのか。それこそエリア51最大の謎だ」


500ページ以上のボリュームの本書では、その「エリア51の謎」の謎について書き尽くしています。エリア51というと、やはりUFOやエイリアンの死体のことをまず連想しますが、わたしはUFOについての考えをブログ「UFOについて」に書きました。
UFOが最も頻繁に目撃されたのは冷戦時代のアメリカです。
冷戦時代に対立したアメリカとソ連の両大国は絶対に正面衝突できませんでした。
なぜなら、両大国は大量の核兵器を所有していたからです。そのために両者が戦争すれば、人類社会いや地球そのものの存続が危機に瀕するからです。
そこで、第二次大戦後には、米ソ共通の外敵が必要とされました。
その必要が、UFOや異星人(エイリアン)の神話を生んだのではないかと思います。
いわゆる「空飛ぶ円盤」神話が誕生したのは、アメリカの実業家ケネス・アーノルドが謎の飛行物体を目撃した1947年です。第二次大戦から2年を経過し、3月には事実上の冷戦の宣戦布告であるトルーマン・ドクトリンが打ち出されています。
東西冷戦がまさに始まったその年に、最初のUFOがアメリカ上空に出現したのです。


かつて米ソ共通の最大の敵といえばナチス・ドイツでしたが、その後任として、宇宙からの侵略者に白羽の矢が立てられたとは言えないでしょうか。
「UFOはナチスが開発していた」とか「ヒトラーは地球の裏側で生きていた」などというオカルティックな俗説が流行するのは、新旧の悪役が合体したイメージに他なりません。
本書『エリア51』に書かれているUFOの正体は、わたしの考えとほぼ合致したので非常に納得できました。しかし、最後に明かされるロズウェル事件で実在したというUFOの搭乗員の死体、いわゆるエイリアンの死体の正体だけは突拍子もない説が述べられます。これならば、いっそ地球外生命としての宇宙人が正体であったというほうが理解しやすいぐらいです。


本書はノンフィクションですが、その核心部分(UFOとエイリアンの正体)についてはネタバレになるように思われるので、あえてここでは明かしません。
興味がある方は、ぜひ本書を通読されてみて下さい。
ちなみに、本書にはアポロが月に行かなかったという「月面着陸捏造説」に関する話題も登場します。UFOに対する関心だけでなく、軍事問題に関心のある方には途方もなく面白い本であることを保証します。一言でいうと、本書の最大のテーマは「米ソ冷戦」であり、その優れたノンフィクションとなっています。


そして、もう1つの大きなテーマは「核」であり、「放射能」です。
エリア51は、ずばり、ネヴァダ州の核実験エリアのど真ん中に位置していました。
「訳者あとがき」には、次のように書かれています。
「現在わが国が抱えている大きな問題、放射能汚染に関する記述にも驚かされる。米ソのあいだで部分的禁止条約が締結され、地上での実験が中止されるまで、1950年代から60年代初頭にかけて、ネヴァダ核実験場でおこなわれた核実験管理のなんと杜撰だったことか。コスト削減というだけのために核爆弾を気球に吊るして爆発させたり(その気球が風で吹き飛ばされ、ラスヴェガス方面に流されるという事故が現に起きている)オゾン層が破壊されてもそんなものはすぐに修復されるなどと真面目に論じられていたり、核実験の除染がまったくおこなわれていなかったりと、これまた今なら誰もが怖気立つような事実だ。さらに、条約締結後も162回という核実験が地下でおこなわれ、その半数近くで大気圏への『偶発的な放射漏れ』が発生しているという。それらの放射能はどこに飛散し、今どこに蓄積されているのか。半世紀もまえのことではないかと言うなかれ。プルトニウム半減期は2万年を超えるのである」



そう、人類を滅亡させることが可能なのは宇宙人の攻撃ではなく、地球上で生まれた放射能なのです。ブログ「『こころの再生』シンポジウム」に書いたように、7月11日の夜、京都の百万遍で作家の玄侑宗久さんや宗教学者島薗進さんたちと飲みました。
そのとき、玄侑さんと島薗さんのあいだには放射能の人体影響についての認識の違いがあり、激論が交されました。ちょうど、玄侑さんがアメリカの陰謀について話をされたので、わたしは読了したばかりの本書の内容を簡単に説明しました。玄侑さんは、「アメリカという国なら、そういうことも有り得るでしょうね」と言われたのが印象的でした。


プルトニウム半減期は、じつに2万年を超えるといいます。
それにもかかわらず、アメリカは1945年の世界初の「トリニティ実験」から1992年のアメリカ最後の「ジュリアン作戦」まで、数えきれないほどの核実験を行ってきました。
この事実を受けて、訳者の田口俊樹氏はアメリカについて次のように述べます。
「核爆弾の威力だけでなく、放射能が生物に及ぼす影響に関しても膨大なデータを持っていても不思議ではない。しかし、今回のわが国の原発事故に関して、チェルノブイリやスリーマイルはよく引き合いに出されても、『米軍の資料によれば』といった報道は訳者の知るかぎりまったくなされていない。それはこうしたデータもまた『機密事項』だからなのだろうか。軍事機密には軍の最高司令官である大統領さえ知ることのできない情報があるというからには、そんな勘繰りもしたくなる」
さらに、訳者の次の一文を読んだとき、わたしは戦慄しました。
放射能汚染について本書では、もうひとつ興味深い指摘がされている。ミミズが移動させる土壌の量が半端ではないというのだ。そうしたミミズはどこにでも飛んでいる鳥に食べられ、鳥はどこにでも糞をする。言われてみればもっともなことで、これが事実とすれば、今の日本でいったいどんな対策が取れるのか。いささか不安になる」
放射能問題について考えている人にも、本書をお勧めします。


最後に、エリア51から発着していた「ドラゴンレディ」の愛称で知られる「U−2」偵察機が多くの人々によって空飛ぶ円盤に誤認されたと本書には書かれています。
U−2機は長い翼を持ち、地上から見上げるとまさに未知の飛行物体でした。それが当時の常識を遥かに超えた高さをこれまた常識外れの速さで飛行したのです。そのため、エリア51周辺の人々をはじめとした多くの「UFO目撃者」を生んだというわけです。
U−2の後継機である「オックスカート」ことA−12、「ブラックバード」ことSR−71といった超高速・高高度偵察機もしばしばUFOとして目撃されることになります。
この事実を初めて知ったわたしは非常に驚くとともに、話題の「オスプレイ」こと「V−22」軍用機のことを連想しました。言わずと知れた垂直離着陸輸送機ですが、あの動きなどはまさにUFOを思わせるのですが・・・・・


2012年8月24日 一条真也