『財運はこうしてつかめ』

一条真也です。

『財運はこうしてつかめ』渡部昇一著(致知出版社)を再読しました。
一貫して心ゆたかな人生を追及している著者の本のタイトルに「財運」とつくのは意外な感じがします。しかし、本書はやっぱり心ゆたかな人生を送るための本でした。


                      開運と蓄財の秘術


日本では、ずっと年金問題が紛糾しています。
この国の政府は、年金行政を完全に失敗したのです。
そもそも、労働者の老後のために年金を出し始めたのはドイツの大政治家ビスマルクだそうですが、現在の視点から見ればそれは2つの楽天的見通しにもとづいていました。
第1に、ビスマルクが先進国の平均年齢を50歳と漠然ながらも信じていたこと。
第2は、人口は必ず増加するものであると信じていたことです。
現在では、2つの見通しともに完全に狂っていたことがわかります。



加えて、日本では例の行政の大チョンボ
もはや、年金の財源のための秘策はないとさえ思われます。
そこで、「国の社会主義的政策に頼り切らずに自分の人生設計をする時代に戻りつつあるという認識が必要である」と、著者は喝破します。
かつて、われわれが自助の精神で安泰なる経済生活の基礎をつくり、豊かな財運を招来する王道を示した人物が日本にいました。
本多静六という人です。極貧の貧乏学生から東大教授となり、日本初の林学博士として目覚しい業績をあげ、独自の貯蓄・投資法で大富豪となり、かつ、晩年は多額の資金の寄付で知られた人です。
この本には、本多静六という本物の賢者による、本物のアドバイスが満載です。
国境の低くなった今、世界経済はアダム・スミスの時代に戻っています。
そして、アダム・スミスのいう市場原理が復活しつつあります。
それは、個人の生き方に置き換えれば「セルフ・ヘルプ」の復活ということです。
そう、本書は、「セルフ・ヘルプ」時代の新しいバイブルなのです。


2011年2月21日 一条真也

恩人の葬儀

一条真也です。

今日、2月21日は、わたしにとって忘れられない日です。
わたしの仲人でもあり、人生の師でもあった故・前野徹氏の葬儀が行われた日だからです。2007年の2月21日ですから、もう4年も前になります。


                      故・前野徹氏と


前野徹氏の命日は2007年2月13日で、享年81歳でした。
わたしが以前勤務していた東急エージェンシーの社長を永く務められました。
東急グループの五島昇総帥の右腕として、東急エージェンシー電通博報堂に次ぐ業界3位の広告代理店にまで急成長させる一方、政界にも広い人脈を持ち、「東急グループ政治部長」という異名があったほどです。経済界にも顔が広く、ニュービジネス協議会やアジア経済人懇話会をはじめ、いくつもの団体や勉強会を立ち上げ、つねに誰かを「祝う会」か「励ます会」を企画されていました。



そんな前野氏の座右の銘が、「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」というものでした。
いわゆる「柳生家の家訓」として知られているものですが、わたしはもう何十回、この言葉を故人から聞いたことかわかりません。
まさに、袖すり合った縁を生かしに生かした方でした。「無縁社会」などという妄言にわたしが心からの怒りを感じるのも、この世は最初から縁に満ちており、多くの者はそれに気づいていないだけなのだという考えを故人から叩き込まれたからかもしれません。
「有縁社会」という言葉を口にするたび、わたしは前野氏の顔を思い浮かべます。



2005年、前野氏が肺がんの手術をされたと聞いたときは、たいへん心配しました。
幸い手術は成功に終わり、その後、快気祝いの会が目白のフォーシーズン・ホテルで盛大に開催され、わたしも参加しました。見違えるほど痩せ細った姿には正直心が痛みましたが、数百人の参加者のメンバーの豪華さには仰天しました。
日本を代表する企業の経営者がほとんどでしたが、多忙の中を駆けつけた中曽根康弘・元首相、石原慎太郎東京都知事、そして亀井静香氏の3人が挨拶に立ちました。
3人とも、「この前野さんほど世話になった人はいません」と述べ、亀井氏は頭山満に、石原都知事は柳生石州斎に、そして中曽根元首相はなんと坂本龍馬に前野氏を例えたのです。わが師の生かし続けた「縁」が、この日、大輪の花を咲かせました。
それとともに、わたしは「ああ、これは恩師の生前葬なのだ」と悟りました。
手術には成功したものの旅立ちが近いことを覚悟した前野氏は、生きているうちに縁ある人々に感謝の言葉を伝えたかったに違いありません。



2007年2月21日に青山葬儀所で行われた本当の葬儀も盛大でした。
葬儀委員長が中曽根元首相、友人代表が石原都知事、伊藤雅敏氏セブンイレブン名誉会長、上條清文東京急行電鉄会長の3人でした。
多忙のなか、当時の安倍晋三首相や小沢一郎民主党代表をはじめ、多くの国会議員が弔問に訪れ、さながら永田町が移動してきたようでした。経団連の主要メンバーもみな来ていました。政財界の超大物があれだけ1ヵ所に集まったのも珍しいと思います。あの日、青山葬儀所がテロ攻撃されていたら、日本は確実に危機に陥っていました。



じつは前野氏は、その「日本の危機」を何よりも日頃から憂慮していました。
数々の憂国の書を晩年に出版され、その多くはベストセラーになっています。
葬儀の前日にも、『凛の国』という著書が講談社α文庫から文庫化され、葬儀当日に参列者に配られました。
わたしが本を書くきっかけになったのは、この前野徹氏のおかげです。
わたしの処女作は『ハートフルに遊ぶ』ですが、わたしが東急エージェンシーに入社したとき、同社の社長であった前野氏の英断により出版して下さったのです。
ですから、前野氏は一条真也の生みの親なのです。
Wikipedia「東急エージェンシー」の「関連人物」の項目に「前野徹」と「一条真也」の名が並んでいますが、それを初めて見たときは感無量でした。なお、もうひとり、サラリーマン超能力者として一世を風靡した「タカツカヒカル」氏の名前も掲載されています。
わたしは、タカツカ氏とも懇意にさせていただき、例のヒーリングも拝見しました。
思えば、前野氏が社長だった頃の東急エージェンシーは異様なほどの不思議なパワーに満ちていました。なつかしい思い出です。



前野氏は、一介の新入社員にすぎなかったわたしに目をかけて下さり、多くの素晴らしい方々を紹介していただきました。何よりも、今では死語になりつつある「仲人」を引き受けて下さった恩は、いくら感謝しても足りません。
わたしは、葬儀の際に、以下の二首の感謝と送別の歌を詠みました。
   仲人は親も同じと知りたれば縁は異なものただ有り難し (庸軒)
   袖をする縁をも生かす大切さわれに教へし恩師旅立つ  (庸軒)



奥様はその二首の歌を記した短冊を故人の仏前に上げて下さいました。
今夜は月を見上げながら、しみじみと恩人の思い出に浸っています。



   人はみな老い病み死ぬるものなれど夜空の月に残す面影 (庸軒)



2011年2月21日 一条真也