瀬戸内寂聴講演会

一条真也です。

5日の10時半から、作家の瀬戸内寂聴さんの講演を聴きました。
「第19回 東京国際ブックフェア」の基調講演で、東京ビッグサイトの西3ホールで開催されました。瀬戸内さんのお話をお聴きするのは初めてです。


「本」の送り手が、いま考えるべきこと



会場に入ると、その広さに圧倒されました。
なんでも、今日の講演参加者は2300名以上だとか。
テーマは、「『本』の送り手が、いま考えるべきこと」です。
瀬戸内さんが登壇すると、会場全体から大きな拍手が起こりました。


瀬戸内寂聴さん、登場!



瀬戸内さんは開口一番、「日本の出版界は危機に瀕しています!」と喝破され、一同ギョッとしました。それから、「これからは電子ブックの時代です」といった話をされました。
なんでも瀬戸内さんの著書のうち9冊が電子化されているそうです。
誰よりも早く電子書籍に関心を持たれ、書き下ろし小説も発表されています。
また、東日本大震災の直後、自著を電子書籍で被災地に届けられたとか。
とはいえ、瀬戸内さんはけっしてITに強いわけではありません。
それどころか、今も手書きで原稿を書いておられるそうです。ご本人いわく、「機械(パソコン)の操作を覚える時間があったら、何十枚も書けるから」だそうです。なるほど!


90歳とは思えぬ迫力でした



瀬戸内さんは今年で90歳になられるとのこと。
でも、声には張りがあり、迫力も満点でした。ペン1本で60年食べてきたそうですが、「日本の作家は、編集者と仲良くしなければ作家になれない」と言われていました。
物書きにとって、大事なものは何よりも才能です。
1に才能、2に才能、3・4がなくて5に才能です。
そこに努力は関係ありません。しかし、世に出るには人の力が必要です。つまり、出版社や編集者のサポートがなければ、作家として成功を収めることはできないのです。


出版関係者が多いようでした



昔は、作家と編集者との人間関係には濃厚なものがありました。離婚したり、子どもが産まれたり、身内の葬儀があったりすると、もう一方は全力でサポートしました。
でも、瀬戸内さんいわく、「今は、作家と編集者の関係が冷たくなった」そうです。
連載を始めても、最初の1回だけ挨拶に来て、あとはFAXとメールだけになりました。
つまり、1回しか会わない編集者が増えたというのです。
瀬戸内さんは、「編集者の顔も思い出せなくなった」と言います。
昔は、締め切りに間に合わなかったりすると、担当編集者の困った顔が浮かんできて、「あの人を困らせては可哀想」と思い、必死で書いたとか。
会場には出版関係者が多いようで、瀬戸内さんの言葉に頷く人が何人もいました。


わたしも熱心に聴きました



さて、電子ブックの話に戻ります。
瀬戸内さんは、「次は電子ブックだ!」と何度も言われました。
もちろん90歳の瀬戸内さんはITの最新事情など知りません。
ただ、作家としての長年のカンで「次は電子ブック」というのです。
「さすがだ」と思ったのは、電子ブックの端末は軽いので、「年寄り向き」であり、「病人向き」であると述べたところです。なんと、電子ブックは新しもの好きの若者よりも高齢者が読むものだというのです。この卓見には、わたしもハッとさせられました。


2300人が圧倒されました



それから、瀬戸内さんは絶版にしたくない本ほど電子ブックにすべきであると言われました。自分の過去の小説の多くも絶版にされていると明かした上で、いい小説は電子ブックにすべきというのです。なぜなら、電子化されれば絶版にならないから。
また、自分の全集を出すということは、すべての作家の夢です。
しかしながら、昔と違って、今は全集など流行りませんし、たとえ人気作家の全集を刊行したとしても場所を取ってかさばります。
でも、場所を取らない電子ブックなら、いろんな作家の全集を出しやすくなります。
「読み継がれる本は電子ブックにすべき」という瀬戸内さんの言葉は心に残りました。
ちなみに、9冊の著者が電子ブックになっている瀬戸内さんですが、現在のところあまり売れていないそうです。でも、「もうすぐ売れると思う」と笑って言われました。
すぐには儲からず、出版社の旨味は少ないわけですが、瀬戸内さんの言われるように電子ブックの可能性は大きいと言えるでしょう。


質疑応答になると、俄然ハッスル!



講演は時間を20分ほど残して終わりました。瀬戸内さんは、「あら、まだ時間あるの?それじゃ、質疑応答にしましょうか」と言われました。いつも「法話」を行っている瀬戸内さんは、質疑応答というものを非常に大事になされているそうです。
最初の質問は40歳の女性からで、「私にもまだ恋ができるでしょうか?」というものでしたが、瀬戸内さんは「40といえば、一番恋ができる年齢ですよ!」と断言しました。そこから、瀬戸内さんの目の色が変わり、急に生き生きとされたので驚きました。


恋と革命について熱く語りました



講演でも少し触れましたが、「若さの表現とは、恋と革命である」と言い切る瀬戸内さんは、女の恋の話について饒舌に持論を述べられました。
まさに瀬戸内節が炸裂したという感じで、2300人全員が圧倒されました。
「女が生き生きと仕事をしてたら、男はついてくる」とか「自分の好きなことを仕事にして、90まで働けるのは本当に幸せ」といった言葉も説得力がありました。


ブッダは「殺してはいけない」と言った



最後の質問で、福島の原発の話題が出たのですが、瀬戸内さんは「絶対に原発には反対」と立場を明確にした上で、最近の天変地異を見ても「日本人の死」のみならず「人類の死」をイメージしてしまうと言われました。そして瀬戸内さんは、「人間は、自分以外の人を幸せにするために生まれてきた」と言いました。
さらには、人間として一番やってはいけないことが人を殺すことであり、その最たるものこそ戦争であると述べられました。瀬戸内さんが仏教に帰依したのは、「お釈迦様が『殺してはいけない』と言ったから」だそうです。これを聴いたとき、感動しました。
わたしは、ぜひ拙著『図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)を誠に瀬戸内さんにお送りしたいと思いました。もちろん誠に不遜であり、「釈迦に説法」ですが。


講演の最後に、「もう、みなさんとお会いできるのは最後です。もうすぐ死にますから!」と明るく言い放たれた言葉にも感服しました。本当に凄い方です。
今日は、本当に良いお話を聴かせていただきました。
瀬戸内寂聴さん、どうか、これからもお元気で・・・・・。
もっともっと、世の多くの人たちに元気を与えて下さい!


2012年7月6日 一条真也

「マイマイ新子と千年の魔法」

一条真也です。

東京から北九州へ戻ってきました。
昨夜は、ホテルの部屋でDVD「マイマイ新子と千年の魔法」を観ました。
ブログ「癒しのコトリンゴ♪」でも紹介した2009年製作の日本のアニメ映画です。
いやあ、アニメを観て久々に泣きました。素晴らしい名作です。


マイマイ新子と千年の魔法」のDVD



原作は、郄樹のぶ子氏の自伝小説『マイマイ新子』です。
わたしはまだ読んでいませんが、日本版『赤毛のアン』と呼ばれる名作だとか。
郄木氏は、2009年に紫綬褒章を受章した芥川賞作家です。
自らの少女時代を小説の中で見事に再現しましたが、アニメ化によって、舞台となった昭和30年の山口県防府の風景が圧倒的に美しい映像で描かれました。
豊かな自然の中、空想好きで多感な少女・新子は、日々を真剣に送っています。
時に辛い思いをしながらも、彼女は仲間たちとゆっくり成長していくのでした。


郄樹のぶ子氏による原作本



「マイマイ新子と千年の魔法」公式サイトの作品紹介のページにある「ストーリー」には以下のように書かれています。
「想像の翼をぐんぐん広げ、千年前の町の姿やそこに生きる幼い姫まで思い描く。
そんな少女・新子が、転校生・貴伊子や仲間とともに過ごす、楽しくも切ない季節。
ゆったりとした自然に囲まれた山口県防府市国衙。平安の昔、この地は「周防の国」と呼ばれ、国衙遺跡や当時の地名をいまもとどめている。
この物語の主人公は、この町の旧家に住み、毎日を明るく楽しく過ごす小学3年生の少女・新子だ。おでこにマイマイ(つむじ)を持つ彼女は、おじいちゃんから聞かされた千年前のこの町の姿や、そこに生きた人々の様子に、いつも想いを馳せている。
彼女は“想う力(ちから)”を存分に羽ばたかせ、さまざまな空想に胸をふくらます女の子であり、だからこそ平安時代の小さなお姫様のやんちゃな生活までも、まるで目の前の光景のようにいきいきと思い起こすことができるのだ。
そんなある日、東京から転校生・貴伊子がやってきた。
都会とは大きく異なる田舎の生活になかなかなじめない貴伊子だが、好奇心旺盛な新子は興味を抱き、お互いの家を行き来するうち、いつしかふたりは仲良くなっていく。
一緒に遊ぶようになった新子と貴伊子は同級生のシゲルや、タツヨシたちとともに、夢中になってダム池を作る。そして、そこにやってきた赤い金魚に、大好きな先生と同じ「ひづる」と名前をつけ、大切に可愛がるようになる。やがて新子たちは、学校が終わるとこのダム池に集まって過ごすようになっていた。しかし、ふとしたことから『ひづる』が死んでしまい、それを機に仲間たちとの絆も揺らぎ始めていく。
そんななか、新子は『ひづる』そっくりの金魚を川で見かけたという話を聞き、貴伊子や仲間たちと金魚探しを始めるのだった。
そして、みんなの心が再びひとつになりかけたその時・・・・・」


この映画は、09年に片渕須直監督によって作られ、文部省特選作品となりました。
一見すると、誰でもスタジオジブリの作品風だと思うのではないでしょうか。
じつは、スタジオジブリ魔女の宅急便」のスタッフが参加しています。
そう、片岡須直監督は、「魔女の宅配便」で監督補を務めていたのです。わたしは、観終わって、「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」に似ていると思いましたけれども。
片渕監督は、TVシリーズ「名犬ラッシー」(96)では監督として勇気と感動のシリーズをまとめあげ、劇場用映画「アリーテ姫」(01)などを監督も務めた実力派です。
それでも「マイマイ新子と千年の魔法」は無名な映画で、配給宣伝もほとんど行われませんでした。また、各種メディアもその存在を伝えることはありませんでした。



無名なまま上映公開が始まり、当初の集客は低迷しましたが、有志がネット署名など集めるようになりました。その結果、インターネットなどを通じて徐々に評価が広まり、結果的には1年以上のロングランとなりました。山口県防府市が舞台で、地元との良好な関係が話題となったそうですが、わたしはまったく知りませんでした。
東京の「ラピュタ阿佐ヶ谷」で上演されたときは、朝から多くの人が並び、補助席まで埋まる熱狂ぶりでした。この「ラピュタ阿佐ヶ谷」は各国の名作アニメを上映する映画館として知られ、わたしも何度か訪れたことがあります。
たしか、「霧につつまれたハリネズミ」などで知られるロシアの映像詩人ユーリ・ノルテンシュタインの映画祭にも行きました。



マイマイ新子と千年の魔法」は、また海外映画祭でも絶賛されました。
「第20回 シネ・ジュニア映画祭」(仏)観客賞、「第29回 ブリュッセル・アニメーション映画祭」大人向け最優秀観客賞、BETV作品賞を受賞したほか、ロカルノ映画祭、ハワイ国際映画祭、ロンドン子供映画祭などにおいて高い評価を得ました。
この作品には、子どもたちの生き生きとした姿が描かれています。
そして、そこには国境を越えた普遍的なメッセージがあります。
この映画には、夢あふれる子ども世界だけでなく、汚い大人の世界も出てきます。
それも、水商売、不倫、借金、ヤクザといったディープな世界が登場するのです。
そういった大人の世界の闇を垣間見た子どもたちは、当然のことながら失望します。
でも、そこから子どもたちは「生きる」ことを学んでいくのです。
この映画ほど、子どもが大人になる過程を残酷なまでに描いた作品をわたしは他に知りません。まさに、「通過儀礼」映画とでも呼ぶべきジャンルではないでしょうか。



通過儀礼」といえば、みんなで可愛がっていた金魚が死んだとき、新子は涙をぬぐいながら「お葬式をしなくちゃ!」と叫びます。
この場面で、不覚にもわたしの涙腺は決壊しました。幼いながらも、「死ぬとは何か」、そして「なぜ、弔うのか」という意味をよくわかっていたからです。
主人公の新子や紀伊子たちは9歳、小学3年生です。ということは、まる子(「ちびまる子ちゃん」)やワカメ(「サザエさん」)と同じです。でも、昭和30年の防府で暮らす新子には、まる子にもワカメにもない輝く魅力があります。
1000年前の平安時代の人々に想いを馳せるという設定も斬新で、良かったです。
1000年前も、昭和30年も、そして今も、大人も子どもも基本的に同じ「こころ」を持っていることがよくわかります。時代は違えど、人間は変わりません。


じつは、この映画、夕食を共にした長女と一緒に観ました。
観ながら、わたしは長女や次女が9歳の頃を思い出していました。そして、わたし自身の9歳の頃を思い出しました。当時の悪友たちの顔まで浮かんできました。
わたしは、「ドラえもん」に出てくるジャイアンみたいな少年でしたね(笑)。
この映画のおかげで、つかのまの間、子ども時代に返ることができました。
ラストのコトリンゴによる主題歌「こどものせかい」も素晴らしかったです。
DVDでも発売されていますので、この名作をぜひ御覧下さい!


2012年7月6日 一条真也