古代エジプト展

一条真也です。

京都から東京に来ました。
JR東京駅から赤坂見附のホテルに向かい、数件の打ち合わせを行いました。
一区切りついた夕方になって、わたしは六本木ヒルズに向かいました。
同所の森タワー52階にある「森アーツセンターギャラリー」を訪れるためです。
そこでは、「大英博物館 古代エジプト展」が開催されているのです。


わたしは、これまでに何度かロンドンの大英博物館を訪れました。
そこで、古代エジプト関連の展示コーナーもしっかり見学しました。
ブログ「わが書斎」でも紹介したように、わたしは自分の自宅の書斎にも大きなツタンカーメンの棺のCDラックを置いているぐらい、古代エジプト文化が大好きなのです。
人類史上、古代エジプトほど「死」と「葬」の文化が花開いた時代はありません。


大英博物館 古代エジプト展」の入口で



今回の展覧会では、大英博物館が世界に誇るエジプトの至宝が公開されています。
特に、古代エジプト人を来世に導いた『死者の書』の展示が中心になっています。
死者の書』とは、さまざまな試練が待つ死後の旅路で死者に守護の力を与える呪文集です。また、死者にとっての未来への旅のガイドブックでもあります。
その多くは、パピルスの巻物に美しい文字や挿絵で彩られました。古代エジプトでは、人は死後に冥界の旅を経て来世で復活すると考えられていたのです。



死者の書』は19世紀のエジプト学者ウォリス・バッジが命名したものです。
その中には「大気や水を得る」「ヘビを追い払う」「神の怒りを取り除く」などがあり、現在までに確認されている呪文の数は約200に及びます。
この展覧会は、大英博物館が誇る『死者の書』コレクションから37mの世界最長の『死者の書』、「グリーンフィールド・パピルス」の全容が日本初公開されています。
また、ミイラや棺、護符、装身具など、じつに約180点が展示されています。まさに、古代エジプト人が祈りを込めた来世への旅路を追体験する展覧会と言えるでしょう。


古代エジプト展の展示図録



わたしは、この興味深いことこの上ない展覧会を観て、あの世を信じること、つまり「来世信仰」は、あらゆる時代や民族や文化を通じて、人類史上絶えることなく続いてきたことを改めて実感しました。紀元前3500年頃から伝えられてきた古代エジプトの『死者の書』は、人類最古の書物とされています。そこには永遠の生命に至る霊魂の旅が、まるで観光ガイドブックのように克明に描かれていますが、同じことは『チベット死者の書』にも言えますし、また、アメリカの先住民族のあいだでは、社会生活の規範として生者と死者の霊的な一体感が長く伝えられてきました。



『聖書』や『コーラン』に代表される宗教書の多くは、死後の世界について述べていますし、世界各地の葬儀も基本的に来世の存在を前提として行なわれています。日本でも、月、山、海、それに仏教の極楽がミックスされて「あの世」のイメージとなっています。
人間は必ず死にます。では、人間は死ぬとどうなるのか。死後、どんな世界に行くのか。これは素朴にして、人間にとって根本的な問題です。人類の文明が誕生して以来、わたしたちの先祖はその叡知の多くを傾けて、このテーマに取り組んできました。


死者の書』は世界最古のグリーフケア文化だった!



わたしは、展示されてある『死者の書』を眺めながら、これは古代における「愛する人を亡くした人」たちのためのグリーフケアの文化ではないかと思いました。
というより、『死者の書』は世界最古のグリーフケア文化だったのではないでしょうか。
ブログ「『こころの再生』シンポジウム」に書いたように昨日わたしが報告した「東日本大震災グリーフケアについて」の内容を思い出したことは言うまでもありません。


古代エジプトの『死者の書』も紹介しています



グリーフケアといえば、わたしには『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)という著書があります。おかげさまでロングセラーにつき大増刷が決定しています。
じつは、この本にも『死者の書』のことが取り上げられています。
じつは本日、「出版界の真実一路」こと『愛する人を亡くした人へ』の版元である現代書林の坂本桂一社長から連絡があったのですが、同書の推薦文を「勇気の人」こと矢作直樹先生が書いて下さることになったそうです。矢作先生は、ブログ『人は死なない』で紹介した本の著者で、東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授にして、さらに東京大学医学部附属病院救急部・集中治療部部長です。
矢作先生の推薦文によって『愛する人を亡くした人へ』が多くの方々に読まれ、グリーフケアの文化が普及することを願ってやみません。


いろんなグッズを買いました

今日の戦利品の数々



「森アーツセンターギャラリー」では、出口で展示図録をはじめ、多くのグッズが売られていました。こういうものに目のないわたしは、トートバッグ、マウスパッド、メモパッド、ペン、それに関連書籍など多くのグッズを購入しました。
なお、「大英博物館 古代エジプト展」は、7月7日(土)から始まり、9月17日(月)まで「森アーツセンターギャラリー」で開催されます。
その後は、10月6日(土)〜11月25日(日)、福岡市美術館へ巡回します。
1人でも多くの方々の目に触れ、日本に「死を想う」文化が広がってくれますように。


2012年7月13日 一条真也

大雨と人間

一条真也です。

おはようございます。東京にいます。
今日は、13日の金曜日ですね。イエスが処刑されたとされる日です。
わたしはクリスチャンではありませんが、今日は慎重に行動したいものです。


朝日新聞」7月13日朝刊



さて、昨日はまたまた九州北部が記録的な豪雨に見舞われました。
熊本、大分両県では計16人が死亡、10人が行方不明になっています。
今日は、福岡県全域に大雨と竜巻の注意報が出されています。とても心配です。
これまで、ブログ「明日晴れるかな」ブログ「九州の豪雨」でも、わたしは九州北部の「記録的な豪雨」について書いてきました。なんだか、だんだん「記録的な豪雨」という言葉が珍しくなくなってきている感じがします。
気象庁は、昨日の豪雨について「これまでに経験したことのない大雨」という表現を初適用したそうです。要するに「未曾有の豪雨」という意味ですが、この「これまでに経験したことのない大雨」という言葉にはゾッとするような響きがありますね。
「記録」にないことよりも「記憶」にないことのほうが怖いです。


それにしても、わたしが出張で九州を離れているときに限って、九州で大雨が降るのも不思議です。雨に限らず、これまでの人生を振り返ると、わたしは大きな事故や災害を事前に避けて行動してきたことが多々ありました。
ブログ「大地震」に書いたように、2011年3月11日、わたしは東京の羽田空港を14時05分発のスターフライヤー81便で発ち、15時50分に北九州空港に到着しました。
空港のロビーが騒然となっており、大型のテレビ・モニターには大量の自動車が水に浮かんで流されている衝撃的な映像が流されていました。
14時46分に東北の三陸沖で大地震が発生したというのです。
あのとき、飛行機が一便遅れていたら、わたしは大変なことになっていたでしょう。



ブログ「『こころの再生』シンポジウム」に書いたように、わたしは「東日本大震災グリーフケアについて」の報告をさせていただきました。
14時46分の地震の発生時刻には鎮魂の黙祷を捧げました。
東北の被災者の方々に思いを馳せたのも束の間、その直後に九州で多くの方々が豪雨の犠牲になられたわけです。なんとも複雑な思いです。
地震に豪雨、本当に「これまでに経験したことのない」自然災害が続きます。
「こころの再生」シンポジウムで司会を務められた鎌田東二先生は、わたしとのWeb往復書簡である「ムーンサルトレター」の中で、何度も自然災害の意味について言及してこられました。最新の第84信においても、次のように書かれています。
「わたしは人間が作り上げた文明を大きく変えていくのは気象や自然災害だと思っています。20世紀が戦争の世紀だとすれば、21世紀は災害の世紀になるのではないかと思っています。なので、風の吹き方とか、雨の降り方とか、季節の移り変わりとか、温度の変化などに注意すると同時に、敏感になっています。20年前くらいから雷の鳴り方が変わり、積乱雲の出方も変わりました。雪の降り方や台風の来方も、集中豪雨の降り方も変わりました。そして、4〜5年前から風の吹き方が変わったとはっきり感じていました。そんな中で、人間だけが変わらないはずはありません」



鎌田先生は、比叡山山麓にお住まいです。
先生によれば、山の動物たちにも異変が生じているそうです。
「動物世界の生態系も変貌しつつあります。わたしは人類が猿から進化したという進化論がしっくりしません。もちろん、人類が知性やものづくりや文明などを発達させたことは否定できません。が、それが進化と言えるのか、これまでとても疑問に思ってきましたが、いよいよその疑問は深まってきています。ニンゲンは、猿から人類に向かって退化しているのではないかとよく考えます。『大化の改新』ならぬ『退化の回診』」
鎌田先生は一歩、森の中に入ると、「人間がいと小さきものであるか」がよくわかるといいます。また、人間の能力も大したことはないと思わざるを得ないとして、「要するに、文明の利器などがなければ、大変たいへんひ弱な生き物がニンゲンなのです」と述べています。さらに、最近の原発再稼動の動きなどに触れられつつ、「現代日本人種のニンゲンは本当に愚か者で、森の動物以下どころか、救いがたい大悪人ではないかと思わざるを得ません」とさえ書かれています。うーん。



じつは「人間」についての見方で、鎌田先生とわたしの間には、これまで何度か意見の食い違いがありました。「天下布礼」の道をゆくわたしは「人間尊重」をミッションとして生きていますが、鎌田先生はこれまでの「人間偏重」の文明が地球を危機に陥らせているのではないかというのです。わたしは「もっと、人間を尊重しなければいけない」と言うわけですが、鎌田先生は「これ以上、人間を偏重してはいけない」と言うわけです。
まあ、そのような「人間」観の違いはあるにせよ、鎌田先生とは「明るい世直し」という志を共にしています。また、さまざまな人々のネットワークを構築し、「縁の行者」として新しい有縁社会を求めておられる鎌田先生をわたしは心から尊敬しています。



意見の食い違いといえば、一昨日、一緒に飲んだ玄侑宗久さんと島薗進先生の会話を思い出します。放射能の健康影響に関するお二人の認識はまったく違っており、それについてガチンコで激論を交わされていました。しかし、お二人とも非常に紳士的に自説を述べられ、そのくせけっして安易に相手の意見を受け入れて妥協しようとはされず、ひたすら放射能の健康影響についての事実を追求しておられました。
その様子を隣で見ていたわたしは、静かな感動を覚えました。
正直、「本当の賢人とは、このように議論をするものか」と思いました。
そこには、マイケル・サンデル教授のいう「礼儀正しい議論」の理想の姿がありました。
なお、島薗先生がわたしのブログを引かれて、ご自身のツイッターに書かれています。
わたしは島薗先生が芋焼酎を飲まれたとブログに書いたのですが、飲まれていたのは黒糖焼酎の間違いであるとの御指摘を受けました。
島薗先生、このたびは大変失礼いたしました(笑)。
笑い事でなく、何事も事実が大切。まずは事実ありきです!



玄侑先生、島薗先生、そして鎌田先生・・・・・わたしには、多くの師がいます。
いつも、先生方から大きな学びを与えられています。本当に幸せです。
今日は、もう1人の敬愛する師にお会いします。
立命館大学教授の加地伸行先生です。
加地先生は、日本を代表する中国哲学者であり、儒教研究の最高権威です。
今日は、「仏教的儒教儒教的仏教と〜葬儀の本質」というテーマで講演をされます。
わたしの「人間観」に大きな影響を与えた最大の人物は孔子です。
その孔子が拓いた儒教の話を碩学から聞けるということで、非常に楽しみです。



これまでに何度も書いてきましたが、雨と儒教には深い関係があります。
儒教の「儒」という字は「濡」に似ていますが、語源は同じです。
ともに乾いたものに潤いを与えるという意味があります。すなわち、「濡」とは乾いた土地に水を与えること、「儒」とは乾いた人心に思いやりを与えることなのです。
孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったとされています。
雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。
雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすこと、葬儀とは地の「霊」を天に上げること。
その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じです。
母を深く愛していた孔子は、母と同じく「葬礼」というものに最大の価値を置き、自ら儒教を開いて、「人の道」を追求したのです。
最後に、このたびの大雨で亡くなられた方々の御冥福をお祈りいたします。合掌。


2012年7月13日 一条真也

儒教講演

一条真也です。東京にいます。
今日は、素晴らしい講演を聴きしました。
ずばり、「世界一わかりやすい儒教の授業」です。孔子ならぬ講師は、立命館大学教授の加地伸行先生です。場所は、東京タワーの真向かいにある機械振興会館でした。


尊敬する加地伸行先生と



加地先生は、日本を代表する中国哲学者であり、儒教研究の最高権威です。
ブログ『孔子伝』で紹介した本の著者の白川静先生は、儒教の意味を知り尽くしておられる方でした。加地先生こそは白川先生の直径の愛弟子で、立命館大学白川静記念「東洋文字文化研究所」の所長も務められています。ブログ『祖父が語る「こころざし」の物語』でも書いたように、わたしは加地先生を深く尊敬しています。


加地先生と名刺交換しました



これまでにも、ブログ「混ざり合った日本の私」ブログ「社員でなく同志」ブログ『聖人の思想とその現代的意義』などで加地先生のことを書いてきました。
じつは、これまで加地先生とはお手紙のやり取りや電話でお話させていただいたことはありましたが、直接お会いすることは初めてでした。
講演前の会場の控室で御挨拶をさせていただき、名刺交換をしました。
加地先生は、わたしが講演を聴きにきたことを大変喜んで下さいました。
わたしも、敬愛する「現代の儒者」にお会いできて感無量でした。


講演される加地先生



加地先生は、「仏教的儒教儒教的仏教と〜葬儀の本質」というテーマで講演をされました。今日の講演を聴いて、わたしは本当に驚き、感動しました。なぜなら、これほど平易な言葉で語られた、わかりやすい講演を聴いたことがなかったからです。
わたしの著書に『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)がありますが、加地先生のお話はまさに「世界一わかりやすい儒教の授業」でした。わたしは最前列に座って貪るようにお話を聴き、まるで速記記者みたいに大量のメモを取りました。


講演会のようす



加地先生が登壇されて盛大な拍手が起こりましたが、先生は「こんなに拍手をされたら、頑張らないと!」と言われ、いきなり笑いを取られました。
そして、講演の冒頭で「人間、必ず死にますがな!」「死ななかったら、大変よ!」と大きな声で言われ、聴衆を仰天させて下さいました。講演開始から12分が経過した時点で、「今、確かな事実が1つだけあります。それは、みなさんが12分、死に近づいたのよ、これは!」と言われました。もう、素敵すぎますね。
天下の大学者に向かって「面白い」と言っては失礼かもしれませんが、わたしはこんなに面白い講演を聴いたことがありません。何度も、腹を抱えて笑ってしまいました。
ふと、実際の孔子もこのように面白い講義をしていたのではないかと思いました。


関西弁で加地節が炸裂!!よろしーかー?



加地先生は稀代の講演名人ですが、そのポイントは関西弁にあるように思いました。
どちらかというと堅苦しく感じられがちな儒教の話の合間に「よろしいかー?!」「これが基本よー!」「違いますかぁー?」などの声が小気味良く入り、リズムがあって非常に聴きやすいのです。わたしも講演する機会は多いほうですが、正直、今日の加地先生の講演から講師としてのノウハウのようなものをたくさん学ばせていただきました。


熱心に講演を聴く人々



加地先生は主に仏教と儒教の違いを話されながら、「死」について、「霊魂」について、そして「死後の世界」について説明されました。
地獄についても詳細に話され、最後は「わたしは地獄へ行く!」「わたしは地獄に先に行って、みなさんを待っている!」と喝破されました。
これだけ、「死」を受け入れておられる方は初めてお会いしました。
いや、正確に言えば、かの丹波哲郎さん以来ではないでしょうか。


儒教の神髄を学びました



わたしの「死生観」に影響を与えた最大の人物は、孔子です。その孔子が拓いた儒教の神髄を1時間半にわたって碩学から学ぶことができ、本当に感激しました。
「祖先を大切にすることの意味」を説く加地先生は、日本が生んだ「仏壇」という文化について次のように述べられました。
「お仏壇は、聖なる空間にして、かつ家族の絆を強烈に意識できる、すばらしい日本特有のものである。お仏壇の前で、家族はともに泣き、ともに喜ぶことができるのである。それが家族主義の姿なのである。
もし家にお仏壇がなければ、あなたが作ればいいのだ。菓子箱でも段ボール箱でもいい、千代紙を貼って華やかな色調にしてもいいのだ。何も黒色でなくてもいいのだ。そして内部は3段にし、上段に仏様(おシャカ様でも観音様でも)を安置し、中段にはあなたの家の祖先の位牌を建て、下段には、向かって左から花瓶(花を活ける)・香炉(線香を点てる)・ろうそく立ての3つを置けばりっぱなお仏壇なのである。大切なことは、仏壇という<物>ではない。祖先と出会う<こころ>なのである」



わたしは『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)という本を書きましたが、そこでも仏壇の重要性を力説しました。また、最新刊『のこされた あなたへ』(佼成出版社)でも、いかに仏壇が残された遺族の心を慰めるかについて書きました。
加地先生の言われるように、仏壇とは亡くなった死者と出会う〈こころ〉だと思います。
また、加地先生は現在の日本の葬儀、特に東京における葬儀は焼香の作法などがデタラメであると言われていました。今日は、東京の業界関係者も多く来ていましたが、加地先生の話が身に沁みたのではないかと思います。


互助会保証の藤島社長と3人で



講演終了後は、主催者である互助会保証さんのはからいで「ティー・パーティー」が開催されました。わたしが「素晴らしい御講演、誠にありがとうございました。大変勉強になりました」とお礼を述べると、加地先生は「あなたが最前列にいたから、ちょっと話しにくかったよ」とニコニコ笑いながら言われていました。いやー、恐縮です!
それから、加地先生と色々と意見を交換させていただきました。


ティー・パーティーのようす


わたしが「家族主義の大切さはよく理解できますが、最近流行の家族葬についてはどう思われますか?」と質問させていただいたところ、加地先生は「家族葬の場合は、費用の問題、葬儀をあげるのが面倒という2つの問題がある」と言われました。
まさにその通りで、葬儀をきちんと行う煩わしさを避けるために、「家族」や「血縁」が隠れ蓑に使われている感があります。ちなみに、わたしは1人の人間は家族だけのものではなく、社会全体のものであると思っています。
ですので、現在の家族葬のあり方は再考すべきであると思っています。


神道&仏教&儒教を学ぶ最高のテキスト



今日は、敬愛する加地先生と心ゆくまでお話することができて、本当に幸せでした。
ブログ「混ざり合った日本の私」にも書いたように、わたしは日本人の「こころ」とは、神道、仏教、儒教の三大宗教によって支えられていると思います。
その三大宗教には、それぞれ最高のテキストが存在します。
神道の最高のテキストは、『神道とは何か』鎌田東二著(PHP新書)。
仏教の最高のテキストは、『私だけの仏教』玄侑宗久著(講談社+α新書)。
儒教の最高のテキストは、『儒教とは何か』加地伸行著(中公新書)。
いずれもコンパクトな新書本ですが、わたしは何度も読み返しました。
もちろん、それぞれの宗教を本格的に勉強しようと思えば、参考書は無限にあります。
しかし、この3冊は初心者にもわかりやすく書かれた極上の入門書だと思います。



わたしも、この3冊で基本を勉強させていただきました。そして、『知ってビックリ!日本三大宗教のご利益〜神道&仏教&儒教』(だいわ文庫)を書きました。
鎌田東二玄侑宗久の両先生とは一昨日お会いしました。
そして今日は、憧れの加地伸行先生に初めてお会いすることができました。
なんと、わたしは3日以内の間に、神道と仏教の儒教のシンボル的存在の先生方にお会いしたわけです。いやはや、なんたる僥倖! 
しかも、なぜか今日は13日の金曜日!(笑)
素晴らしいお話を聴かせていただいた加地先生、このような得がたい機会を与えていただいた藤島安之社長をはじめとした互助会保証の皆様に心より感謝申し上げます。


2012年7月13日 一条真也