東京タワー

一条真也です。

ブログ「儒教講演」に書いた講演会が終了して会場の機械振興会館を後にすると、なんと目の前が東京タワーでした。ブログ「スカイツリー」に書いたように、東京スカイツリーをいきなり訪れて門前払いを喰った苦い思い出があります。昔から「馬鹿は高い所が好き」と言われますが、わたしは馬鹿なので、高い所を見ると上りたくなります。
それで、東京タワーの最上階にある「大展望台」に上ることにしました。


東京タワーにやってきました

東京タワーの展望台にて

1200円もする写真を買っちまいました!



講演会で会った(株)日冠の小泉専務も同行してくれました。全互連の専務理事でもある小泉さんはチャキチャキの江戸っ子ですが、東京タワーに上るのは初めてだそうです。よく「東京人は東京タワーを知らない」と言いますが、事実なのですね。
最初は2人で、タワーの中ほどにある「展望台」に上りました。
また、よく温泉旅館などにある写真サービスを受けました。
とりあえず写真を撮ってもらって、「仕上がりを気に入っていただければ、どうぞお求め下さい」というヤツですね。わたしは普段この手の商法には引っ掛からない自信があるのですが、仕上がった写真に写っている小泉さんがあまりにもキュートだったので、1枚で1200円もする写真を購入してしまいました。


東京タワーから見た東京スカイツリー

東京の摩天楼も一望できます



それから、さらに上にある最上階の「大展望台」に上りました。
そこは地上250メートルの高さだそうです。
わたしは馬鹿なので、高い所に上れて嬉しくて仕方がありませんでした。
そこから、スカイツリー六本木ヒルズや新宿副都心などの摩天楼がよく見えました。
すると、突然、小泉さんが「東京タワーといえば、蝋人形館ですよ。ぜひ行きましょうよ!」と言い出しました。わたしも蝋人形館は好きなので行く予定だったのですが、あまりにも小泉さんが熱心なので不審に思って問いただすと、「フランク・ザッパの蝋人形があるんですよぉぉぉぉぉー」と言います。
「誰よ、その人?」と聞くと、プログレッシブ・ロックの有名人だそうです。
プログレッシブ・ロック? なんじゃ、そりゃ?
キョトンとしているわたしに対して、小泉さんは親切に説明してくれました。
1960年代後半のイギリスに現れた ロックのジャンル・スタイルの1つで、日本での一般的な略称は「プログレ」だそうです。わたしは、嬉々としてプログレについて語る彼の瞳の奥に怪しい光が宿っていることに気づきました。一瞬、「もしかして、ヲタ?」と内心思いましたが、もちろん口には出しませんでした。


東京タワーといえば、蝋人形館。



それで、「大展望台」から3階にある「蝋人形館」に向かいました。
久々の蝋人形館は、マリリン・モンローマーロン・ブランドエリザベス・テイラーをはじめ、古今東西の有名人たちが迎えてくれました。
チャーチルアインシュタイン坂本龍馬もいました。
奥には、小泉さんが大好きなプログレッシブ・ロックの人々の蝋人形もありました。
それらの写真をバチバチ撮っていたところ、パソコンに「×」マークがついている表示を発見しました。なんと、写真をブログなどに掲載してはいけないそうです。
受付の若い女性に小泉さんが「この人(わたしのこと)は、有名なブロガーなんですよ。この人がブログで紹介したら、すごい宣伝になりますよ」と言ってくれましたが、女性は「すみません。規則なものですから」と言うしかありません。なおも食い下がる小泉さんに、わたしは「小泉さん、もう、いいよ」と言って、その場を後にしました。


「ALWAYS 三丁目の夕日」のジオラマ

「懐かしの東京タワー」の写真展示



想定外の写真のブログ掲載禁止に、なんとなくモヤモヤが残りました。
しばらく館内を歩くと、昭和の町並みのジオラマが現れました。
それは、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に出て来る町を再現したものでした。
その横には、「懐かしの東京タワー」という写真展示のコーナーがありました。
それらを眺めていると、わたしたちは蝋人形館のことなどすっかり忘れてしまいました。


カラフト犬のモニュメントの前で



東京タワーの外に出ると、南極越冬隊のカラフト犬のモニュメントがありました。
かの「タロー」と「ジロー」の勇姿もそこにありました。
見上げると、東京タワーが高々と聳え立っていました。
わたしは、20年くらい前に東京から北九州に居を移す最後の晩に、ちょうど東京タワーを見上げたことを思い出しました。あのときはオレンジ色にライトアップされたタワーを見上げながら、「これで東京ともお別れか」と思い、センチメンタルな気分になりました。
でも、今日は、まったくセンチメンタルな気分は起こりませんでした。


東京タワーにて(撮影:小泉博久)



東京タワーといえば、有名な小説のタイトルにもなっていますね。
大ベストセラーになり、映画化もされましたが、わたしは駄作だと思っています。
あの本は、稀代のマザコン小説ではないでしょうか。
わたしと同年齢の著者は福岡県の田川市の出身で、小倉を経て、東京に出てきました。つまり、あの小説は、田川・小倉・東京の「三都物語」になっています。そして、田川と小倉は田舎町であり、そこに残った人々は人生の敗者のように描かれています。
逆に、人生の勝者とは地方から東京に出てきて生き残った人々です。ましてやオカンを東京タワーの見える超一等地の都心の病院に入院させて看取った著者は、最大の成功者であるわけです。あれほど田舎物根性丸出しの小説もありません。オカンが死んだとき、著者が病院関係者や葬儀関係者に八つ当たりをしたのも不愉快でした。
わたしが、次に東京タワーを訪れる日は来るのでしょうか?


2012年7月14日 一条真也


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ロック対決

一条真也です。

東京タワーを後にしたわたしたちは、赤坂見附へ向かいました。
じつは、東京タワー内で小泉さんから業界団体の運営について相談されました。
そこで、じっくり話をしようとタワー内で店を探しました。でも適当な店がなかったので、わたしのシマである赤坂見附の居酒屋で話そうということになったのです。


小泉さんとロック対決しました



居酒屋で2時間ばかり話したわたしたちは、再びロックの話題で盛り上がりました。
聞くと、小泉さんは30歳を過ぎてロック・バンドを結成し、ボーカルを務めているとか。
そのバンドでは、ギターをなんと故・美空ひばりの息子さんである加藤和也さんが担当しているそうです。それを聞いたわたしは、迷わず小泉さんを「東京の止まり木」ことカラオケ・スナック「DAN」に連れて行きました。


いきなりローリング・ストーンズを熱唱する小泉さん

なんと、偏差値99! そんなのアリかよ? 


DANに到着した途端、小泉さんはスタンドマイクを早速発見し、眼に怪しい光が宿りました。そして、彼が最初に歌った歌は、ローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」でした。いきなりシャウトしながら熱唱した小泉さんの歌は、74人中1位で、偏差値はなんと99でした。おいおい、偏差値99って、そんなのアリか? 一体、どういうこと?
わたしは「これは、俺のライバルになるかも」と内心思いました。



ローリング・ストーンズのボーカルは、言わずと知れたミック・ジャガーです。
ブログ「今頃、永ちゃんに夢中!」にも書きましたが、50歳を目前にして、わたしは矢沢永吉ミック・ジャガーといった不良中年のアイドルが急にカッコ良く思えてきました。
日本一カッコ良い男が永ちゃんなら、世界一カッコ良いのはミック・ジャガーかも・・・・・。
ということで、わたしは永ちゃんの「時間よ止まれ」を歌いました。
結果、2093人中の1位になりましたが、偏差値は82で、99には及びません。


永ちゃんの「時間よ止まれ」で対抗しました

なんとか1位にはなったけれど・・・・・



小泉さんのおかげでカラオケ魂に火をつけられたわたしは、その後も永ちゃんやサザンやジュリーを歌って、1位を連発しました。
わたしがジュリーの「おまえがパラダイス」を歌ったとき、小泉さんは「ジュリーは日本のミック・ジャガーですよ」と言いました。うーむ、こいつ、できるな。
その小泉さんは、セックス・ピストルズの「ホリデイズ・イン・ザ・サン」や西城秀樹の「激しい恋」などを歌いましたが、いずれも分母が小さくて、すべて1位でした。くそー!



冠婚葬祭互助会には、全互連(平安閣グループ)と全冠(玉姫殿グループ)という二大グループがあり、それぞれライバルとして各地で激戦を繰り広げています。
ちなみに、わたしは全互連の副会長で、小泉さんは専務理事です。
小泉さんの会社が亀戸で経営する「アンフェリシオン」という結婚式場は、もともと「東京平安閣」でした。設計は、なんと、かの黒川記章!
わたしは、全互連と全冠でカラオケ歌合戦をやってみたくなりました。
わたしと小泉さんを擁する全互連が圧勝すると信じています。
全互連も全冠も包含する全互協の総会が17日に熱海の後楽園ホテルで開催されますが、よかったら二次会でカラオケ対決したいですね。どーですか、全冠さん?


まるで、スタンドマイクの申し子!



それにしても、スタンドマイクを前にした彼は恍惚の表情を浮かべ、瞳の奥には怪しい光が宿りまくっていました。まるで、スタンドマイクの申し子ですな。
彼のおかげで、今夜は楽しい時間を過ごすことができました。
小泉さん、また、矢沢永吉ミック・ジャガーの代理戦争をしようじゃないか!


2012年7月14日 一条真也


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いじめられている君へ

一条真也です。

今朝の「朝日新聞」を読んで、とても感動しました。
「いじめられている君へ」というシリーズで、ボクシング元世界王者の内藤大助さんの言葉が紹介されています。大津市のいじめ問題を受け、改めて「いじめ」に対する関心が全国的に高まっています。わたしにも中学生の子がいますので、胸が痛みます。
「相談はカッコ悪くない」という内藤さんの談話は、心に響きました。


朝日新聞」7月14日朝刊より



以下、「朝日新聞」に掲載された内藤さんの談話を紹介いたします。



■相談はカッコ悪くない


いいか、絶対にあきらめるな。
いじめが一生続く、自分だけが不幸なんだって思ってるだろ? 
俺自身もそうだったから。でも、いじめはきっとなくなるものなんだ。
俺は中学2年の時からいじめられた。はっきりした原因は俺にもわからないけど、同級生から「ボンビー(貧乏)」ってあだ名をつけられて、バカにされた。
北海道で育ったんだけど、母子家庭でさ。自宅で民宿をやっていて、母が朝から晩まで働いていた。 家は古くてボロくて、制服も四つ上の兄のお下がり。つぎはぎだらけだったから、やっぱりバカにされたよ。せっかく祖母が縫って直してくれたのに、俺はバカにされるのが嫌で、わざわざハサミでつぎはぎを切ったこともあったよ。
中3になってもしんどくて、胃潰瘍(かいよう)になった。学校で胃薬を飲んでいたら、先生から「何を飲んでいるんだって叱られた。理由も聞いてもらえず、つらかったな。あのとき一瞬、先生が助けてくれるかもって思ったんだど・・・・・。
高校を出ても、「いじめられて、ボンビーで、俺は生まれつき不幸だ」と、ずっと思っていた。上京して就職しても、帰省したらいじめっ子に会うんじゃないかって怖かった。
強くなりたかった。不良のような、見せかけの強さだけでもいいからほしかった。
暴走族に誘われたら、入っていたよ。たぶん。
そんなとき、たまたま下宿先の近くにボクシングジムがあったんだ。通えばケンカに強くなれる。強くなれなくても、「ジムに行ってるんだ」と言えば、いじめっ子をびびらせられるって思ったね。 入ってみたらさ・・・・・楽しかったなあ。周りも一生懸命で、俺もやればやるほど自信がついて、どんどんのめり込んだ。自分を守るために始めたのに、いつの間にかいじめのことなんてどうでもよくなっていた。不思議なもんだ。
ボクシングの練習がつらいときは「いじめに比べたら大したことない」って考え、マイナスの体験をプラスに変えてきた。でもね、「いじめられてよかった」なんて思ったことは、ただの一度もないぜ。いまだにつらい思い出なんだ。
「いじめられたらやり返せ」っていう大人もいる。
でも、やり返したら、その10倍、20倍で仕返しされるんだよな。わかるよ。
俺は一人で悩んじゃった。その反省からも言うけど、少しでも嫌なことがあれば自分だけで抱え込むな。親でも先生でも相談したらいい。先生にチクったと言われたって、それはカッコ悪いことじゃない。あきらめちゃいけないんだ。
(ボクシング元世界王者) 以上、「朝日新聞」7月14日朝刊より引用


今日の朝刊の1面に掲載されています



わたしは、もともと内藤大助というボクシング選手を高く評価していました。
ボクシングの技術もそうですが、かの亀田一家から理不尽な挑発を受けたときの態度が立派だったからです。
あのとき、見せかけの強さではなく、本物のハートの強さを感じました。
その内藤選手が、過去にいじめに遭っていたとは全然知りませんでした。
「いじめられた君へ」はこれまでにも何度か読んできましたが、この内藤選手の言葉ほど自身の内から滲み出した言葉はないでしょう。まさに、魂の叫びです。
わたしは、まずます内藤選手を素晴らしい人物であると思いました。


加地伸行先生と



ブログ「儒教講演」に書いたように、昨日は儒教研究の第一人者である加地伸行先生とお話する機会がありました。わたしにとって、待ちに待った時でした。
そこでも大津のいじめ事件の話題が出ましたが、加地先生は「全校集会のとき、まず最初に亡くなった生徒のために黙祷をすべきだった」と言われました。まったく同感です。
ブログ『祖父が語る「こころざし」の物語』で紹介した加地先生の著書に、とても印象的なエピソードが紹介されています。
その出来事は、かなり昔、ある中学校で起こりました。
教師が突然、「これから小テストをやるぞ」と言ったのです。
まったく予告されていない、抜き打ちのテストでした。
教室内にはざわめきが起こりました。すると、前から2列目に座っていた1人の男子生徒が何を思ったのか、教室の外に飛び出して行ったのです。
教室に戻ってきたとき、彼は水が入ったバケツを持っていました。
そして、なんとそのバケツの水を教室にぶちまけ、床を水浸しにしたのです。
教室はパニック状態となり、当然ながら教師は烈火のごとく怒りました。
彼に雑巾で床を拭かせてから、予定通りにテストは実施されました。その後で、教師は「なぜ、あんなことをやった?」と問い詰めましたが、彼は何も答えませんでした。
その真意を最後まで同級生にも明かさず、彼は中学校を卒業していきました。
真実がわかったのは、それから数十年も経過してからです。
ある女性の告白から真相が判明しました。その女性は、彼のクラスメートで一番前の席に座っていました。ちょうど、彼のすぐ前の席です。
彼女は精神的にナイーブな人で、抜き打ちでテストをやると教師が言ったとき、驚きと緊張のあまり失禁したというのです。皆にばれることを思うと、死にたくなりました。
彼女の椅子の下の床が次第に濡れていくことに彼は気づきました。そして、そのことが皆にわからないように、教室の床に水を撒くという行為に出たのです。
彼はそのことを卒業するまで、また卒業した後も、けっして人に話しませんでした。


他者の幸せのために生きよ〜人間の器を広げる人生の授業



わたしは、この話を加地先生の本で読んだとき、涙が止まりませんでした。
これほど勇気のある「男の中の男」が、かつての日本にはいたのです。
まさに、『論語』に出てくる「義を見てせざるは勇なきなり」の実践です。
わたしは、大津のいじめ事件に関わった当人、父兄、そして学校関係者全員に『祖父が語る「こころざし」の物語』を読んでほしいと思います。大津だけではなく、全国の学校関係者、また教育委員会関係者にも読んでほしいです。
最後に、いじめている君へひと言。
いじめは、「こころの自殺」です。
他人をいじめている君は、君自身の心を殺していることを知りなさい!


2012年7月14日 一条真也



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