『読書の技法』

一条真也です。

『読書の技法』佐藤優著(東洋経済新報社)を読みました。
著者は、「知の怪物」として知られる作家・元外務省主任分析官です。
ブログ『野蛮人の図書室』で紹介した本の著者でもあります。本書には、「誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術『超』入門」という長いサブタイトルがついています。


熟読術・速読術「超」入門



帯には目玉をギョロッと剥いて腕組みをした著者の上半身の写真があります。
背景には書架が並んでいるので、著者自身の書庫で撮影したと思われます。
「佐藤流 本の読み方 初公開!」というコピーに続き、次の言葉が記されています。
「月平均300冊、多い月は500冊以上」「基本書は3冊買って、真ん中から読め」「1冊5分で読む『超速読』と30分で読む『普通の速読』を使いこなせ」「読書の要『基礎知識』は、高校の教科書と学習参考書で身につけろ」
惜しむらくは、書架に入った本の書名とかぶって帯のコピーが読みにくいこと。
書庫の写真は表紙に使って、帯は文字だけにするとか出来なかったのでしょうか。



ただ、本書の冒頭に掲載された8ページにわたるカラー写真は圧巻です。
「書斎と仕事場」「佐藤流 本の読み方」「佐藤流 ノートの作り方、使い方」などが写真とともに紹介されており、非常に興味深かったです。
著者の蔵書は自宅、自宅近くの仕事場、箱根の仕事場に分かれており、合計4万冊が収められているそうです。いずれの書架もきれいに整理されて並べられています。
収納スペースは、全体で約7万冊分確保しているそうです。これは、うらやましい!
わたしが将来、自分の書庫を作る際の参考にしたいと思います。



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
第1部 本はどう読むか
第1章:多読の技法〜筆者はいかにして大量の本を読みこなすようになったか
第2章:熟読の技法〜基本書をどう読みこなすか
第3章:速読の技法〜「超速読」と「普通の速読」
第4章:読書ノートの作り方〜記憶を定着させる抜き書きとコメント
第2部 何を読めばいいか
第5章:教科書と学習参考書を使いこなす〜知識の欠損部分をどう見つけ、補うか
    【世界史】【日本史】【政治】【経済】【国語】【数学】
第6章:小説や漫画の読み方
第3部 本はいつ、どこで読むか
第7章:時間を圧縮する技法〜時間帯と場所を使い分ける
「おわりに」
[特別付録]本書に登場する書籍リスト



第1章「多読の技法〜筆者はいかにして大量の本を読みこなすようになったか」の冒頭で、著者は「佐藤さんは、月に何冊くらいの本を読みますか?」という質問に対して、「献本が月平均100冊近くある。これは1冊の例外もなく、速読で全ページに目を通している。それから新刊本を70〜80冊、古本を120〜130冊くらい買う。これも全部読んでいる」と答えています。この驚異的な著者の読書量は、「熟読」「超速読」「普通の速読」と使い分けた読み方によって可能となっています。
本書のカバーの折り返しに掲載されている読み方の要点を以下に引用します。



佐藤流「熟読」の技法
1.まず本の真ん中くらいのページを読んでみる【第一読】
2.シャーペン(鉛筆)、消しゴム、ノートを用意する【第一読】
3.シャーペンで印をつけながら読む【第一読】
4.本に囲みを作る【第二読】
5.囲みの部分をノートに写す【第二読】
6.結論部分を3回読み、もう一度通読する【第三読】
▼熟読の要諦は、同じ本を3回読むこと
基本書は最低3回読む
  第1回目  線を引きながらの通読
  第2回目  ノートに重要箇所の抜き書き
  第3回目  再度通読
  熟読できる本の数は限られている
  熟読する本を絞り込むために、速読が必要になる



佐藤流「超速読」の技法(1冊5分程度)
1.5分の制約を設け、最初と最後、目次以外はひたすらページをめくる
▼超速読の目的は2つ
 本の仕分作業と本全体の中で当たりをつける



佐藤流「普通の速読」の技法(1冊30分程度)
1.「完璧主義」を捨て、目的意識を明確にする
2.雑誌の場合は、筆者が誰かで判断する
3.定規を当てながら1ページ15秒で読む
4.重要箇所はシャーペンで印をつけ、ポストイットを貼る
5.本の重要部分を1ページ15秒、残りを超速読する
6.大雑把に理解・記憶し、「インデックス」をつけて整理する
▼普通の速読は、新聞の読み方の応用


わたしなりの「読書の技法」を示しました



本書は、非常に具体的なアドバイスが満載された実践的な読書術の本だと思います。
わたしには、『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)という著書があります。
「万能の読書術」というサブタイトルがつけられた同書の第1部「技術篇」は、まさに、わたしなりの読書の技法について書きました。わたしの読書術は、本書『読書の技法』に書かれた佐藤優氏の読書術と重なる部分が多々ありました。もちろん全部がそうではありませんが、だいたい8割ぐらいは著者の読み方と共通していると思います。



その中でも、わたしが初めて触れた読み方もありました。熟読の技法の最初に紹介されている「まず本の真ん中くらいのページを読んでみる」という部分です。
著者は、何かを勉強するとき、まず基本書を3冊使うことを提唱します。
最初に、この3冊の基本書のどれから読み始めるかを決めなければなりません。
それにはまず、それぞれの本の真ん中くらいのページを開いて読んでみることだとして、著者は次のように述べています。
「なぜ、真ん中くらいのページを開くのかといえば、本の構成として、初めの部分は『つかみ』と言って、どのように読者を引き込むかという工夫を著者と編集者がしており、最終部の結論は、通常、著者が最も述べたいことを書いているので、読みやすいからだ。翻訳書の場合、そのような本自体の構成に加え、真ん中くらいになると緊張が続かなくなり、翻訳が荒れてくることがある。
真ん中くらいというのは、実はその本のいちばん弱い部分なのである。あえて、このいちばん弱い部分をつまみ読みすることによって、その本の水準を知るのである」



また、最終章である第7章「時間を圧縮する技法〜時間帯と場所を使い分ける」の以下のくだりも非常に参考になりました。
「筆者は1日2回、まとまった読書の時間を設けている。13時半〜19時の間の数時間と、24時〜26時だ。合計すると1日約6時間だが、どんなに忙しくても4時間を下回ることはない。少なくとも4時間というのは、自分の中で絶対に守らなければいけない読書のための時間だと考えている。
このときには、現在仕事で必要な本は極力読まないようにしている。本を読んでから、その情報が頭の中で整理されて、きちんと引き出せるようになるためには、一定の時間が必要になる。これには個人差があるが、筆者の場合、だいたい3カ月から6カ月とすると、新しい知識が『発酵』して頭に定着し、自分で運用できるようになる」
これまた、わたし自身と重なる部分が多くて、よく理解できました。



本書の第1部「本はどう読むか」は、『あらゆる本が面白く読める方法』の第1部「技術篇」の内容と重複します。しかし、本書『読書の技法』には第2部「何を読めばいいか」があり、そこで多くの名著が紹介されていますが、『あらゆる本が面白く読める方法』にはそのような読書案内のページがありません。ぜひ今度は、わたしも名著案内の役割を果たすブックガイドを書いてみたいと思います。
本書『読書の技法』は「知の怪物」の秘密を解き明かす好著ですが、わたし自身も大いにインスパイアされました。わたしも以前は著者に負けないほどの大量の本を読んでいた時期もありましたが、ここ最近はブログを書くこと、特に長文の書評ブログを書くことに時間を取られ過ぎてしまい、読む本の冊数がすっかり少なくなってしまいました。
もちろん書評ブログを書くことも大切なのですが、これまでの自分の姿と比べてみると、インプットに対してアウトプットの比重が高くなり過ぎた気がしています。
ブログばかり書いていないで、もっと本を読まなければと強く思いました。


*このブログ記事は、1997本目です。


2012年8月31日 一条真也

『すべては今日から』

一条真也です。

『すべては今日から』児玉清著(新潮社)を読みました。
2011年5月16日に逝去した俳優の児玉清さんの遺稿集です。
児玉さんは大の読書家として知られ、本への熱き想いを綴った著書『寝ても覚めても本の虫』(新潮文庫)はわが愛読書でした。


愛書家俳優の熱き遺稿集!



本書の表紙には穏やかな著者の肖像写真が使われています。
また、帯には次のように書かれています。
「もっと小説を読んで下さい。未来を築くために――」
「面白本を溺愛し、爽快に生きた“情熱紳士”が精魂込めて書き続けた日本人へのメッセージ!」「一周忌に贈る熱き遺稿集」
本書は、「本があるから生きてきた」「面白本、丸かじり」「忘れえぬ時、忘れえぬ人」「日本、そして日本人へ」という4つの章から構成されています。
また、巻末には息子さんである元タレントの北川大祐さんによる「父・児玉清と本――あとがきにかえて」が掲載されています。



本書には、基本的に児玉さんが読んで面白いと感じた本が紹介されています。
ミステリーが大好きで、英語の原書でも読んでいたほどの児玉さんだけに、紹介されている本はどれも魅力的に描かれています。
でも、やっぱりミステリーなので、ネタバレを避けるためにストーリーの核心部分には触れられておらず、その本当の面白さを知るには実際に読んでみるしかありません。
また本書には、児玉さんの本にまつわるさまざまな思い出が綴られていますが、中でも「本が産み出した家族の団欒」というエッセイが心に残りました。
著者が無理の本好きになったのは小学4年生のときで、教室で隣の席の男の子が「これ目茶面白いぞ!!」と言って、1冊の講談本を貸してくれたのがきっかけでした。
タイトルは『雷電為右衛門』。江戸時代に実在した最強の力士の物語です。
雷電の無敵とも言える強さと愛嬌溢れる人物像のもたらす面白痛快物語に夢中になってしまい、著者はいっぺんに本の虜にされてしまいました。
しかし、本当に嬉しかったのはその先で、著者は次のように書いています。
「それまでは、優しく温かい目で僕を見守ってくれていた父ではあったが、息子の僕との間には対話といったものがほとんどなかった。しかし、僕が読んでいる講談本を父が見た瞬間から、がらっと雰囲気が変ってしまった。実は父は無類の講談好きで、近所の寄席の高座などを聞きに行く常連客の1人だったのだ。
さぁ、それからは一気に父との会話が弾んだ」



雷電をきっかけに、千葉周作柳生十兵衛塚原卜伝などの剣豪物語を読み進むようになった著者は、父に質問を浴びせ、物語に登場する剣の達人をめぐって毎晩のように熱い議論を交すようになったそうです。晩御飯は父と息子の楽しい会話の時間となり、いつしか母と姉も話に加わるようになりました。1冊の講談本がきっかけで、著者の家の食卓は楽しく賑やかな一家団欒の場所へと変わったのでした。
著者は、このエッセイの最後で次のように書いています。
「そんな中で僕が一番感動したのは、父の本棚から自由に本を取り出して読んでいいという許可を貰えたことだった。時代小説を含めて書物好きだった父の本棚から、吉川英治の『神州天馬俠』や『宮本武蔵』、江戸川乱歩の『一寸法師』それに林不忘の『丹下左膳』などなど、本を通じて話ができることで、なにか男同士共通の秘密を分かち合えたような、一気に大人の男の仲間入りができたような誇らしい気持で胸が大きくふくらんだことが忘れられない。今は父との遠い思い出となってしまったが、佐々木小次郎の秘剣≪つばめ返し≫を父が木刀で、多分こうじゃないか、と僕に見せてくれたときの興奮、そのときの母の楽しそうな笑顔は僕の心の財産なのだ」
わたしは「本」と「家族」をめぐる、これほど幸せな文章を他に知りません。



そんな少年時代を経て、「本の虫」となった著者ですが、本書には息子さんの北川大祐さんとの本をめぐる心の交流も描かれています。
「父・児玉清と本――あとがきにかえて」で、北川さんは次のように書いています。
「僕自身は父のような読書家ではなく、子どもの頃に父から『本を読め』と言われた記憶もない。中学の頃に赤川次郎さんの本を読んで父に話したところ、『おまえが1冊読み終えたのか』と感動されたことだけはよく覚えている。大学生の頃からS・シェルダンなど海外の作家の作品も読み始めた僕は、やがて父の書棚からT・クランシー、P・コーンウェル、C・カッスラーといった作家たちの本を借りて読むようになり、父に『どうだった?』と聞かれるので感想を告げる。時折、そんな機会ができるようになった。ある意味で本は僕と父のコミュニケーションの道具になってくれていたのかもしれない」
この文章を読んで、わたしは自分のことをいろいろと思い出しました。
わたしの父も大の読書家でしたが、わたしが中学生くらいのときに『論語』の素晴らしさを教えてくれ、本居宣長平田篤胤柳田國男折口信夫南方熊楠といった人々の全集の前で、その偉大な業績について語ってくれたことを思い出したのです。
その後も、父とわたしの間では、いつも本はコミュニケーションの道具であり、考え方を伝授するテキストであったように思います。



本書で初めて発見したのは、著者の思想家としての顔です。
生前から保守的な考え方の持ち主として知られていたそうですが、第4章の「日本、そして日本人へ」に書かれた数々のメッセージには感銘を受けました。
日本経済新聞」の夕刊に掲載されたコラムがもとになっていますが、そこには「日本人」としてのあるべき姿が説かれています。
たとえば、「マナーという言葉が眩い」では、次のように書いています。
「けたたましい若い女性の笑い声とともに仲間と思われる3、4人の男女の大笑いがどっと重なった。僕はそのあまりの凄まじさに思わず耳を両手でふさいだ。ある列車内でのことであったが、次から次へとゲタゲタ笑いと突拍子もない嬌声が続いた。
そのたびにこちらも耳をふさぐうちに、次第に腹も立ってきた。
なぜ彼らは近くに他人が沢山いることを気にしないのだろうか。
仲間同士はどんなに楽しいかもしれないが、事実、だから大笑いで笑っているのだろうが、あまりに事もなげなのだ。つまり傍若無人なのだ。
そういえば、こうしたことは最近ひんぱんに身近で見かけるのだ。
手をバシバシ叩きながら大仰に笑い、いかに面白いかを仲間たちに強調している若い男女のグループをいろんなところで見かけるのだ。心底楽しんでるんだから、といってしまえばそれまでだが、あまりにも慎みがない。他人の存在などてんから考えてないとしか思えないのだ。マナーという言葉が眩い」



「TPOはどこに」というコラムでは、服装について次のように書いています。
異和感といえば、この夏、ある公共団体主催の表彰式に参列したときのことであった。表彰される者たちも、招かれた客たちもほとんど全員がネクタイ姿であるのに、表彰する側は皆クールビズということでノーネクタイであったことだ。
省エネのためのクールビズを徹底しようという、その心構えはわかるのだが、世にいうTPOではないが、社会の慣例として招かれた側が礼を重んじているのだから、表彰式という晴れの舞台であれば、贈る側のマナーとしてネクタイをつける洒落っ気もあってもなあ、とふと思ったのだ」



「我関せず人間」というコラムの冒頭では、次のように書いています。
「最近、車で走っていて気になることのひとつに、方向指示の明かりを点滅させないで、つまり右折か、左折かの信号を全然出さないで曲がる車が増えていることがある。その心を考えるに、それはおそらく≪どっちに曲がるかは、俺が、いや私がわかっているんだから、それでいいじゃないか≫ということなのだろう。ここで今さらいうまでもなく、方向指示の信号を出すのは自分のためではなく他の車に曲がる方向を教えることにある」



そして、このコラムの最後を次の文章で締めくくっています。
「ことは車に限らず、駅や空港や人の集る所、至る所で周りを気にしない我関せず人間が蔓延しつつある。改札口の手前で立ち話や挨拶をしていて、また空港の出口でツアー客に説明していて、人の流れを妨害しているのに、いささかも気付かない人。ちょっとした周囲への気配りさえあればなあ、と折にふれ考えてしまうのは、年寄りの小言幸兵衛的愚痴なのだろうか」



「髭剃りと幼児」の冒頭では、次のように書いています。
「国内線の早朝便でのことであった。着陸態勢に入った機内で突如ジョリジョリと髭を剃る電気カミソリの音が大きく響いた。僕は不快な音のする後の席を思わず振り返った。そこには無邪気に髭を剃っている中年の男性がいた。僕は耳を手でふさぎたくなる気持を押さえて、顔を元の位置に戻しながら≪せめてトイレへ行って髭を剃ってくださいよ≫と独り言ちた」
髭を剃っている自分は爽快かもしれません。しかし、他人の髭を剃る音は決して心地良いものではありません。他人のことを配慮しないデリカシーの無さも問題ですが、何よりも機内は公共の場であり、マナーの問題なのです。



続いて、「髭剃りと幼児」には次のようにも書かれています。 
「つい先だっても、東京へ帰る最終便の機内で、考えさせられる事態に遭遇した。2歳ぐらいの女の子を連れた30代前半と思える若き夫婦が、甲高い奇声を発ししゃべり続け、ときには歌も唄い出す娘に、≪静かにしなさい≫と制止しないのだ。いや、小さな声で何か父親が言っているのだが、制止どころかそれは恰も、自分たちの大事な宝物が喜んで話しているのだから、あなたがたも聞いてくださいね、といった感じなのだ。突拍子もない高い声が絶え間なく続く機内。一度気になり出したら、もうたまらない。しかし誰もそれを止める者がいない」



好感度の高いタレントが、全国紙に堂々とここまで発言するとは凄い!
「マナー」や「モラル」の問題はわたしの専門の1つでもありますが、著者の見識の高さと正義感の強さには心から感服します。
著者は世の中の無礼者に対して、ただ愚痴をつぶやいていただけではありません。
息子の北川大祐さんによれば、「ルールを守らないこと、礼儀やマナーに反することを何より嫌った父は、許せない態度に出会うと相手構わず喧嘩をしたり、容赦ない言葉を投げつけたりもした」そうです。うーん、児玉清さん、凄すぎる! 
そして、あまりにもカッコ良すぎる! 
じつは、わたし自身も何度かそんな経験をしています。
それだけに、児玉さんの益荒男ぶりが目に浮かぶようです。



「読書」と「常識」。これが本書の二大テーマであると言ってもよいでしょう。一見あまり関係がなさそうな2つのテーマですが、「詐欺」というコラムで見事に結びつきます。
振り込め詐欺の被害者が絶えない現状に対して、著者は次のように書いています。
「騙された方々には同情を禁じ得ないが、どうして、こうも簡単に騙されてしまうのかという不思議さも大きい。巧妙な手口を考案する悪辣な騙し屋の増殖する日本に危機感を抱き、猛烈に腹が立つのはもちろんだが、それにしても、ちょっとした大人の智恵があれば、相手のレトリックの疑わしさや齟齬に気付くはずだと考えてしまうのは酷だろうか」



そして、この「詐欺」というコラムの最後に、著者は次のように書くのでした。
「事件や事故を解決するために直ぐに金を振り込め、直ぐに儲かるから金を出せ、こうした不自然な話に疑うこともなく乗ってしまう、素朴さというのか幼稚さは一体どこからくるのか。読書離れの激しい国の特徴的傾向と考えてしまうのは僕の偏見であろうか」
これも、なかなか言えるセリフではありません。でも、わたしはまったく同感です。
「すごい、児玉さん、よく言った!」と快哉を叫んだ人は多かったのではないでしょうか。



何よりも読書を愛し、高い道徳性を持った著者は、真の教養人だったと思います。
本当のインテリジェンスは、大量の本を読むだけでは身につきません。
実際に体験し、自分で考えて、初めてその人の教養になるのです。
インテリジェンスには、さまざまなな種類があります。
学者のインテリジェンスもあれば、政治家や経営者のインテリジェンスもある。冒険家のインテリジェンスもあれば、お笑い芸人のインテリジェンスもある。
けっして、インテリジェンスというものは画一的なものではありません。
しかし、すべての人々に必要とされるものこそ、「心のインテリジェンス」であり、より具体的に言えば、「人間関係のインテリジェンス」ではないでしょうか。
つまり、他人に対して気持ち良く挨拶やお辞儀ができる。
相手に思いやりのある言葉をかけ、楽しい会話を持つことができる。これは、「マネジメントとは、つまるところ一般教養のことである」というドラッカーの言葉にも通じます。
マネジメントとは、「人間関係のインテリジェンス」に関わるものだからです。
いくら多くの本を読んだとしても、挨拶ひとつ満足にできない人は教養のない人です。
わたしは、読書という営みは、「人間関係のインテリジェンス」につながるべきだと思います。そして、その達人こそが著者・児玉清さんではなかったでしょうか。



わたしの妻は生前の著者の大ファンで、著者の声が好きと言っていました。
でも、わたしは著者の考え方と生き様が好きです。できることなら、わたしもいつの日か、著者のような「頑固爺さん」もとい「情熱紳士」になりたいと心から憧れています。
著者は「オリンピックおたく」と自称するほど五輪の開催を楽しみにしていたそうです。
2004年のアテネオリンピックでは、念願かなって現地で観戦したそうです。
今年のロンドンでの日本勢の活躍を見せてあげることができなかったのは残念ですが、きっとあちら側で応援していたことでしょう。
それにしても、本書に書かれた名調子がもう読めないとは残念です。
永遠の情熱紳士・児玉清さんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


*このブログ記事は、1998本目です。


2012年8月31日 一条真也

『柔らかな犀の角』

一条真也です。

『柔らかな犀の角』山崎努著(文藝春秋)を読みました。
日本映画界を代表する名優として知られる山崎努さんの読書日記です。
週刊文春」に好評連載された「私の読書日記」6年分が収録されています。


山崎努の読書日記



表紙には犀の部分イラストが描かれ、帯には「演じる。書く。受け入れる。こんな風に、生きている。」というコピーに続いて、「読書の歓びから演技論、生と死の『かたち』まで、『本』から広がる名優の随想ノート、待望の単行本化」と書かれています。



本書の存在を知ったのは、たまたま観たテレビで「山P(ヤマピー)」こと山下智久クンが愛読書として紹介していたからでした。著者と共演した山Pは、以来、著者が持つ教養と人間性に心酔しているそうです。それを知ったわたしは、ちょうどブログ『すべては今日から』で紹介した故・児玉清さんの著書を読書中だったこともあり、同じように俳優によるブックガイドである本書を読んでみたいと思いました。


もともと、著者はわたしのお気に入りの俳優の1人でした。
冠婚葬祭業界に身を置く者なら、著者の姿をスクリーンで見ていない人は少ないでしょう。なにしろ、「お葬式」(1984年)、「おくりびと」(2008年)という二大葬儀映画に重要な役で出演しているのですから。特に、「おくりびと」での納棺会社の社長役は素晴らしく、社長室でフグの白子を焼いて食べるシーンは最高の名場面でした。
でも、わたしにとっての著者は、わたしが誕生した年に公開された黒澤明監督の名作「天国と地獄」(1963年)での犯人の青年役や、泉鏡花の幻想世界を見事に再現した「夜叉ヶ池」(1979年)の主人公の旅の僧侶役のイメージが強いです。本当に、「この人がいなくなったら、日本映画はどうなるのか」と思わせる名優だと言えるでしょう。



タイトルの『柔らかな犀の角』ですが、これは「犀の角のようにただ独り歩め」というブッダの言葉に由来します。ブログ『ブッダのことば』でも紹介しましたが、ブッダの思想を知る上で最重要テキストとして『スッタニパータ』という聖典があります。
そこには、「犀の角のようにただ独り歩め」というフレーズがたくさん出てきます。
著者は、このフレーズを若い頃から気に入っていたそうで、次のように書いています。
「何をするにも自信がなく、毎日が手探り及び腰、そのくせ鼻っ柱だけは強く、事あるごとにすぐ開き直る。そんな臆病な若造にとって『犀の角』や『ただ独り』は手軽で便利なキャッチコピーだったのだろう」



しかし、著者が「最後の賢人」として慕い、本書にも登場する哲学者・鶴見俊輔氏の著書『かくれ佛教』(ダイヤモンド社)を読んで、著者は以下の事実を知ります。
ブッダの言う角はむろんインドサイのものだが、実はこの角、中はぶよぶよの肉で、とうてい闘争の武器にはならないヤワな代物なのだそうだ。
だから彼らはあまり戦わない。獰猛なのはアフリカの犀で、インドの連中はただ温和しく地味に密林を歩き回っているだけらしい。群れることもなく孤独にのこのこ山奥をうろついている。図体がでかいからむやみに攻撃される心配もないという」
『かくれ佛教』を読んでこの事実を知った著者は、次のように述べます。
「つまりあの勇ましい立派な角は、少なくとも喧嘩に関しては無用の長物。相手を威嚇するための張りぼてのようなものとか、まあ学問的にはそれなりの理由があるのかもしれないが、無用の長物としたほうが僕は愉しい」



ブッダといえば、「生老病死」の四苦を唱え、「老い」を苦悩として説きましたが、今年で75歳になる著者は、「老い」をけっして悲観的には捉えていません。
たとえば、養老孟司氏の著書について、次のように書いています。
養老孟司が『養老訓』(新潮社)で、『年をとって良かったなと思うことがたくさんあります』と言っている。年寄りは上機嫌で生きましょう、『じいさんは笑っていればいいのです。先日亡くなられた河合隼雄さんは、いつもニコニコされて駄洒落ばかり言っていました。人の意見を訂正するなんてこともなかった』という。たしかに河合隼雄は、テレビでも活字の対談でも、他人の話をノーで受けることがなかった。いつも、まず『そうですね』『なるほど』とイエスで受けとめ、その上で穏やかに、相手の言葉に寄り添うように話し出す。あれは真似ができない。どうしても、思わず、『いや』『でも』と返してしまう。大人と小人、器が違うのだからしかたがないか。とりあえず僕は、話したあとに、ニコッと笑顔をつけ加えるようつとめている。それが気持悪いと言われたりするが」



生老病死」の「死」についても、次のように書いています。
「映画『おくりびと』がなんとオスカーをとった。こいつぁ春から縁起がいい、何故か初雪まで降ってきた。お祝いの品もたくさん頂いた。その中に、『RFK』(Paul Fusco,Aperture Foundation)があった。あのロバート・ケネディの遺体を運ぶ葬送列車を線路端で見送る普通の人たち、その様を列車内からスナップした写真集。
100点に余るショットに写し出された何千何万の人々が全員打ちひしがれている。老若男女、皆、哀しみに打ちひしがれている。虚ろな目で1人ぽつんと立っている。『SO LONG BOBBY』と手書きした幕を掲げている3人。泣いている。唇を噛みしめ目をとがらせている。家族7人が背の順に整列し(きちんと等間隔に)気をつけをしている、父も母もずいぶん若い、端っこのちびは2、3歳、そいつも背すじを伸ばし葬送列車を凝視している・・・・・・。ゆっくりとページを繰った。死者を送る人間たちが美しい」
「死者を送る人間たちが美しい」とは名言ですね。まさに「おくりびと」の言葉。
わたしが思うに、「死者を送る人間たちが美しい」のは、それが人間の存在の本質に関わる営みであるからではないでしょうか。



また、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二氏の著書も紹介されています。
「そこにいるだけで、何となく緊張が解け、リラックスできる所がある。旅に出ると、あちこちぶらぶら歩き回って、そういう場所を探す。ここだ、と手応えがあったら、その地点に居坐り、うつらうつらしたりしてのんびりと過ごす(以前、南の島でそれをやり、日射病で死にかけたことがあるが)。そんなスポットを僕はいくつか持っている。鎌田東二著『聖地感覚』(角川学芸出版)に依れば、そのような場は、その人の『聖地』なのだそうだ」
「聖地」をめぐって、著者は次のように述べます。
「人はなぜ聖地を求め、巡礼をするのか? そこに決まった答えはない。人生がそうであるように『巡礼』も各人各様の理由とかたちをもっている。これからもくりかえし実践され、つづいていくに違いないと鎌田は言う。そう、アキバも冬ソナも軽々に扱ってはいけない。鰯の頭も信心から、その人にとってそれがかけがえのない信仰の対象であるならば(よほど悪質なものでない限り)認めてやらなければいけない。そもそもわれわれの『信仰』は、立場を異にする者から見ればすべて鰯の頭なのである」
さらに、著者は次のように書いています。
「古くから聖地、霊場として崇められている土地には、人間の聖なる感覚を刺戟し増幅させる自然の霊気が強くあるのだろう。三輪山、熊野、出羽三山等々を巡り歩いた鎌田のフィールドワークの記録が興味深い。湯殿山での滝行の描写など、臨場感があって紀行文としても優れている」



著者は、鎌田氏にいたく興味を抱いているようで、次のように書いています。
「著者鎌田東二は、宗教哲学民俗学、日本思想史と、幅広い分野で研究を続けている学者である。この本の最大の魅力は、彼の底抜けに奔放なキャラクターが存分に発揮されているところだ。巻末の略歴紹介の欄に、石笛、横笛、法螺貝奏者、フリーランス神主、神道ソングライターとあって、笑ってしまった。
おもむくままにやりたいことをやっている。
毎朝、祝詞、般若心経を上げ、笛、太鼓、鈴、その他計十数種類の楽器を奉納演奏するので『時間がかかり、忙しいのだ』とぼやいている。お子さんに『お父さんはアヤシすぎる』と言われるそうだ。カバー折り返しに、著者近影の全身写真が載っている。カメラを意識してやや硬くなっているポーズがチャーミング。しばし見惚れた。『スピリチュアル・パワー』がメディアで安易にもてはやされている当節、鎌田の仕事は貴重である。彼のユーモアを大切にする柔らかなセンスに注目したい」
わたしは、この文章を読んで本当に嬉しくて仕方がありませんでした。
わが義兄弟のことを日本を代表する名優がこれほど高く評価してくれたのですから。
また、著者の鎌田氏に対する分析はまことに的を得ており、著者の人間を観る目には只ならぬものがあります。ちなみに、この文章が「週刊文春」に掲載されたとき、鎌田氏は大変喜ばれ、わざわざメールで知らせて下さいました。



そして、本書の白眉は、何と言っても映画に関する発言でしょう。
俳優である著者は、こころから映画を愛しており、こんな言葉も綴っています。
「映像の仕事は何といってもロケが楽しい。その土地の情景に囲まれただけでふしぎと役の人物に成れたような気分が生まれ、弾みがつく。風も陽の光も地べたも快い刺戟を与えてくれる。自分を(幾分かは)役に明け渡す、その感じがこたえられない」



次の文章などは、きわめて映画作りというものの本質を衝いているように思います。
「撮影の現場で一番偉いのは監督である。ただ1人、神様の如く偉い。名うての脚本家も優れたカメラマン、俳優も監督にはかなわない。だから業界では各々のチームを『黒澤組』『小津組』と監督の名前を冠にして呼ぶ。『七人の侍組』でも『東京物語組』でもない。われら配下の者はひたすら組の親分に奉仕する。想像力、創造力等々、命以外は全てを監督に捧げる。俳優が自身でいくらいい演技をしたと思ってもそんなことは何程でもない。親分のメガネに適わなければ切り捨てられてしまう。われわれは僕なのだ。一時、スター俳優が大金を投じてプロデュースするのが流行った時期があった。武田泰淳はそれを奴隷の反抗と評している。三島由紀夫の俳優願望は当時悪ふざけの過ぎた奇行と騒がれたが、実は大まじめな奴隷志願だったのである。その三島の意図を泰淳は即座に言い当てている」



週刊文春」2010年4月1日号に掲載された「小津と笠、黒澤、グルメ」では、著者の知り合いの女性がDVDを持って訪ねてきた話が書かれています。
その30代の女性は小津映画にはまっており、「父ありき」「晩春」「麦秋」「東京物語」などのDVDを持参したとか。彼女は、小津映画で笠智衆原節子杉村春子らの登場人物のレトロな言葉遣いが外国語みたいで新鮮で「ひきつけられる」のだそうです。
彼女と一緒に小津映画のDVDを鑑賞した著者は、次のように書いています。
「むろん僕も『晩春』以降の小津作品はぜんぶ見ているが、彼女のように何度も見返すほどの熱心な観客ではなかった。しかし今回は目から鱗、今までぼんやりと見えていたものが突然ピントが合ってくっきりと現れてきた感じ。『!』と前傾姿勢になった。おれはこれまで何をどこを見てたんだ。うかつ、鈍感、脳たりんであった」



何が著者をそこまで思わせたのか? 著者は次のように書いています。
「これは異界から見た現世の風景だ。いや、末期の眼で見た世界だ。
ここに登場する人たちは、お互いさり気なく助け合って生きている。
親子、兄弟、友人、師弟、それぞれが支え合って暮らしている。
そしてそういう人々もやがて時が来て死んでゆく。
そんな人間たちをカメラがいとおしそうに見つめている。小津は楽園を描いているのだ。浮き世に散在する楽園の破片を大切に注意深くピックアップしているのだ。そこにはただただ懐かしく美しい出来事があるばかり。それ以外の醜いものは一切見ない。断固無視する。その無視にめっぽう力がある。被写体との距離のとり方も絶妙。だからいわゆる人情劇特有の湿っぽさがない。代りに若い女が笑い転げるユーモアがある」
うーん、小津映画の本質が「末期の眼で見た世界」だったとは驚きです!
小津映画のほぼ全作品を観たわたしも、まったく気付きませんでした。


著者は、小津安二郎について次のように述べています。
小津安二郎は生涯独身だった。『秋刀魚の味』に『人間は独りぼっちだ』というせりふがある。笠は、『ひとつだけ、先生について口はばったいことを言わせていただきます。/ご結婚なさったほうが良かったんじゃないでしょうか。なんとなく、そう思います』と書いて思い出話を閉じている。2人の深い係わりからの言葉でドラマチック」


また、小津安二郎と並ぶ日本映画最高の巨匠である黒澤明については、「黒澤さんはよく『昔のシャシンを見ると撮り直したくなる』と笑っていた。『その時一生懸命作ったんだからあれでいい』とも言ってたな」と、著者はさらりと触れています。
実際に「天国と地獄」という黒澤映画で世に認められ、その後、日本を代表する名優になった著者の言葉だけに重みがありますね。



著者は、万人が認める最高の「演技力」の持ち主です。
その本人が、「演技」について次のように書いています。
「ときどき『あの映画のあの演技にはどんな狙いがあったのか?』と聞かれることがある。これがほとんど覚えていない。比較的うまくいった演技ほど覚えていない。撮影現場の情況は絶えず動いている。相手役や監督の調子、天候、暖かかったり寒かったり風が吹いたり。その変化する環境に身を任せるよう自分を仕向けるのが僕のモットー。その場に反応して思いがけないアクションが生まれると楽しいし出来もいい(ような気がする)。頭より身体、結果は身体に聞いてくれ、が理想、記憶にないのが僕としてはベストなのだ。それが僕の『自由』、多少脱線したっていいじゃないか。あらかじめのプランは所詮ひ弱なのである。プランにこだわると身体が萎えてしまう」
本書は、ユニークなブックガイドとして、極上の映画論として、また魅力溢れる1人の名優の人生論として、さまざまな読み方ができる好著だと思います。最後に、著者がいつまでもお元気で、1本でも多くの日本映画に出演されることを願っています。


*このブログ記事は、1999本目です。


2012年8月31日 一条真也

ブログを休みます

一条真也です。

このブログ記事で、2000本目になりました。
2010年2月14日の開設以来、930日間、1日も休まずに続けてきました。
しかも、ご存知のように非常に長文のものも多かったです。
その文章量は、かなりのボリュームになると思われます。


2000本目になりました



でも、思うところあり、この2000本目をもってブログを書くのを休もうと思います。
これまで「一条真也のハートフル・ブログ」を読んで下さったみなさんには、心から感謝しています。特に、ほぼ毎日のように大量の本を紹介してきた書評ブログは、じつに多くの方々にご愛読いただきました。いろんなテーマで2000本の記事を書いてきましたが、ちょっと「一条真也 」と「佐久間庸和」が混在してきたようです。
自分では使い分けているつもりでしたが、気づかないうちに難しくなっていました。
いつかまたブログを書くこともあるかもしれませんが、そのときは、「一条真也 」と「佐久間庸和」の色分けをきちんと区別して書きたいと思います。



このブログを書き続けた約2年半、いろいろな出来事がありました。
昨年の3月11日には、東日本大震災が起こりました
個人的には、愛犬ハリーを見送り尾道の坂で転んで足を骨折しました
多くの冠婚葬祭施設や、グリーフケア・サロンの「ムーンギャラリー」、有料老人ホームの「隣人館」といった念願の施設をオープンすることができました。
葬式は必要!』(双葉新書)、『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)、『隣人の時代』(三五館)、『満月交感 ムーンサルトレター』(水曜社)、『のこされた あなたへ』(佼成出版社)、『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)、『図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)、『ホスピタリティ・カンパニー』(三五館)、『礼を求めて』(三五館)といった、わたしにとって重要な著作も書くことができました。
大学の教壇に立ち、各地の講演やシンポジウムに呼ばれ、取材も受けました。
何より忘れ得ぬ思い出は、「孔子文化賞」を授与されたことです。



ブログのおかげで、多くの方々との御縁も頂戴しました。ブログ「世界平和パゴダ再開」に書いたように、日本で唯一の上座部仏教の聖地が再開されることになりましたが、このパゴダ関係者の方々ともブログを通じて出会うことができました。
ブログという電子メディアを通じて、書き手と読み手には「電縁」というものが生まれます。この「電縁」も、有縁社会を成す大切な「えにし」の1つです。
みなさんとの「電縁」を頂けたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
ブログを休止するに当たっては万感の思いが胸にこみ上げますが、もう自分で決めたことです。わたしには、ブログを書くことよりも優先すべきことがたくさんあります。
ブログは止めても、「天下布礼」の旅は終わりません。
論語』と『ブッダのことば』を読み返して、これからのことを考えたいと思います。



とはいえ、休館していた世界平和パゴダだって再開しました。
わたしも、いつかまたブログを書くこともあるかもしれません。
そのときは、今の文章量よりも減らしてスリムアップするつもりです。
次にお会いするときは、「はてな」ではなく別のブログになるのか、ツイッターフェイスブックになるのか、それとも、やっぱり「はてな」に落ち着くのか、それは分かりません。
でも一応の区切りとして、この「一条真也のハートフル・ブログ」は今回で打ち止めにしたいと思います。なお、オフィシャルサイト「一条真也のハートフルムーン」は従来通りですので、わたしの近況を知りたい方はぜひ、こちらを御覧下さい。
また、わたしに連絡を取りたい方も、こちらのアドレスにメールを下さい。


これまでご愛読いただき、ありがとうございました



来月早々に海外に行きます。
ヨーロッパを業界の仲間たちと回ってきます。
今度の海外出張には、あえてパソコンは持参しません。
しばらく日本には帰ってきませんが、深夜0時1分にブログが更新されていないかと気にして下さる方々のことを思うと、胸が痛みます。
それらの方々には、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。
最後に、「謝」の一文字を記させていただきます。
感謝の「謝」であり、謝罪の「謝」です。
「ありがとう」と「ごめんなさい」です。
この二つの思いを「謝」の文字に込めたいと思います。



今夜の月は、とても美しい満月です。
しかも、今月二回目の満月となる「ブルームーン」です。
その月を見た者は幸せになるという言い伝えがあるそうです。
夏の終わり、葉月晦日ブルームーン・・・・・
満月は欠けていき、いつか夜空から姿を消します。
しかし、月は新たに生まれ、再び満ちていきます。
それでは、みなさん、お元気で・・・・・
いつかまた、必ずお会いしましょう!


2012年8月31日  ブルームーンの夜に  一条真也