葬式は、要るさ!

一条真也です。

大阪に来ています。
雑誌の企画で公益社の古内耕太郎社長と対談しました。東京出身の古内社長は、1963年生まれで、わたしと同い年です。慶応のご卒業で、外資系の保険会社を経て、フューネラル業界に転職されました。お会いしたのは今回で二回目だったのですが、非常にスマートで頭脳明晰な方です。特にマーケティングに関しては一家言持っておられ、業界誌で連載もされています。


公益社の古内社長と


対談では、いろんな話題が出て、互いに情報交換もしました。公益社さんは専門葬儀社さんで、わが社は冠婚葬祭互助会です。この両業界は、日頃は反目しているとされています。また、相手を批判し合う会社もあります。でも、ともに「おくりびと」集団であり、素晴らしい事業に携わっている点では同じです。公益社さんも素晴らしい会社でした。

古内社長は、「葬儀は文化です」と何度もおっしゃっていました。わたしも、まったく同感です。葬儀産業は、哲学産業であり、芸術産業であり、宗教産業です。すなわち、究極の文化産業です。

公益社さんは一部上場企業ですが、わたしが何よりリスペクトするのは、グリーフケア・ワークに力を入れてこられたことです。グリーフケア・ワークとは、愛する人を亡くした人を支える行為です。わが社も、今年から、グリーフケアのサロンを開設する予定です。

愛する人が亡くなることは、その人の住む世界の一部が欠けるということです。欠けたままの不完全な世界に住むことは精神の崩壊を招きます。葬儀とは、儀式によって悲しみの時間を一時的に分断し、物語の癒しによって不完全な世界を完全な状態に戻すのです。

葬儀というものを人類が発明しなかったら、おそらく人は発狂して、とうの昔に絶滅したかもしれませんね。
また、葬儀は遺された人々のバラバラになりそうな悲しみの心を繋ぎ合わせる役目も果たし、悲しみのどん底で引きこもろうとする人を社会に引き戻す力となります。
さらに、孟子は人の道を歩む上で一番大切なことは親の葬儀をあげることだと述べ、哲学者ヘーゲルも同様の「親の埋葬理論」を説いています。

約7万年前にネアンデールタール人が死者に花を手向けた瞬間からサルが人になったとも言われるほど、葬儀は「人類の精神的存在基盤」なのです。
古代から死者を弔うのは人間だけです。人間とは葬儀を行う動物であり、葬儀を行うから人間なのでしょう。

「葬式は、要らない」ですって。
馬鹿を言ってはいけません。
「葬式は、要るか?」ですって。
答えは簡単です。
もちろん、「葬式は、要るさ!」
古内社長との対談を終えて、わたしは大きな声で叫びたくなりました。


2010年2月19日 一条真也