本のタイトル

一条真也です。

京都にいます。

今朝の「朝日新聞」に『葬式は、要らない』の書籍広告が出ていましたね。
「老人大国に衝撃が走る、全国民必読の書!」というコピーが踊っています。
昨日のブログでこの本を取り上げたとき、「一読して、このタイトルは版元がつけたものではないかと思いました」と書きましたが、まさにそのとおりだったようです。
当初は『葬式は、ぜいたく』というタイトルで進められていたそうです。
それが校了直前に版元の意向で急遽、『葬式は、要らない』に変更されたとか。
島田裕巳氏のブログの2010年1月6日を読むと、タイトル変更にあわせて本文も書き直しをしたことが書かれています。
こういうことは、よくあることです。
著者として、わたしも経験があります。
えてして著者の想いを示すとか、内容を明らかにするということより、出版社は扇情的なタイトルをつけたがるものです。
もちろん、そのほうが本が売れるからです。
その結果、タイトルに内容がそぐわず、「看板に偽りあり」といった本も増えてきます。
わたしは、いつも著書のタイトルづけのときは、自分の想いを編集者に一生懸命伝えます。自分の意にそぐわないタイトルをつけられそうなときは、死に物狂いで抵抗します。
誰でも我が子の名前は真剣につけるのと同じです。
著書も我が子だからです。
 
              書名には著者の想いが込められています


島田氏はタイトルの変更について、どう考えているのでしょうか?
ブログを読むと、どうも、「著者は『業者』なのだから、タイトルも決められたものに従うだけ」といったような印象を持ちます。
島田氏は、いま、どういう心境でしょうか?
本が売れて大喜びでしょうか?
オウム事件後のバッシングで傷ついた心は癒されたでしょうか?
それとも?



わたしは、これから京都大学に向かいます。
共同研究員を務める「こころの未来研究センター」の」研究報告会に出席するためです。
鎌田東二(京大教授)、島薗進(東大教授)といった日本を代表する宗教学者の方々とお会いします。
わたしは、みなさんに聞いてみたいと思います。
「先生は、島田さんの『葬式は、要らない』を読まれましたか?」
そして、「先生は、葬式は要らないとお考えですか?」と。
本のタイトルは永遠に残るものです。
島田氏は戒名を無意味だと述べておられますが、戒名だけでなく書名も無意味だとお考えですか?
著者の想いも込められておらず、また本の内容とも食い違ったタイトルという空虚な記号だけが、「老いる覚悟」も「死ぬ覚悟」もない老人大国にゆらゆらと漂っています。


2010年2月20日 一条真也