CD「また会えるから」

一条真也です。

今日の小倉はとても良い天気です。
サンレー本社の前にある「月の広場」を歩いていたら、設置してあるスピーカーから歌が聴こえてきました。「また会えるから」というグリーフケア・ソングです。
愛する人を亡くした人へのメッセージ・ソングですね。
CDとして市販されていますが、じつはわたしが作詞しました。


              グリーフケア・ソングCD「また会えるから」


「また会えるから」は実際の葬儀の場面でもよく流されます。
冠婚葬祭業者として、多くの愛する人を亡くした方々に接するなかで作詞しましたので、新井満さんの「千の風になって」とはまた一味違った味わいになっているのではないかと思っています。CDのディスクは満月のデザインになっており、なかなか好評です。
作曲・編曲および歌は、夫婦デュオとして人気のココペリさんにお願いしました。


今日、まさに「愛する人を亡くした人へ」というグリーフケア・エッセイの雑誌連載が終了することになりました。残念ながら雑誌が休刊することになったためです。
わたしから雑誌の読者および編集長へのラスト・メッセージが「また会えるから」でした。
日々、さまざまな出会いがあり、さまざまな別れがあります。
でも、わたしたちは、きっと、また会えます。



死別はたしかに辛く悲しい体験ですが、その別れは永遠のものではありません。
あなたは、また愛する人に会えるのです。
風や光や雨や雪や星として会える。
夢で会える。あの世で会える。
生まれ変わって会える。
そして、月で会える。
いずれにしても、必ず再会できるのです。
ですから、死別というのは時間差で旅行に出かけるようなものなのです。
先に行く人は「では、お先に」と言い、後から行く人は「後から行くから、待っててね」と声をかけるのです。それだけのことなのです。



考えてみれば、世界中の言語における別れの挨拶に「また会いましょう」という再会の約束が込められています。
日本語の「じゃあね」、中国語の「再見」もそうですし、英語の「See you again」もそうです。フランス語やドイツ語やその他の国の言葉でも同様です。
これは、どういうことでしょうか。
古今東西の人間たちは、つらく、寂しい別れに直面するにあたって、再会の希望をもつことでそれに耐えてきたのかもしれません。
でも、こういう見方もできないでしょうか。
二度と会えないという本当の別れなど存在せず、かならずまた再会できるという真理を人類は無意識のうちに知っていたのだと。
その無意識が世界中の別れの挨拶に再会の約束を重ねさせたのだと。
別れても、あなたは愛する人たちとはかならず再会できる.
わたしは、そう思います。



CD「また会えるから」は、アマゾンや公式サイト「ハートフルムーン」から購入できます。
また、もうすぐ、フォトブック『また会えるから』を刊行する予定です。
京都で、グリーフケア研究の第一人者カール・ベッカー先生にお会いしました。
ベッカー先生に『ロマンティック・デス』(幻冬舎文庫)、『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)、『最期のセレモニー』(PHP)の3冊の本と「また会えるから」のCDをお送りすると約束しましたので、今から同封するお手紙を書きます。
それでは、このブログで、またお会いしましょう!


2010年2月23日 一条真也