感情労働の時代

一条真也です。

昨日の新聞に嫌なニュースが載っていました。
26歳の女性看護師が高齢の寝たきり患者の肋骨を次々と折っていたというのです。
フジテレビの「めざましテレビ」でも取り上げていましたが、容疑者の看護師は、いくら看護をしても患者から感謝の言葉がなかったのでキレたそうです。
この事件を知ってから、いろいろと考えさせられました。

               3月14日付「西日本新聞」朝刊より


先日の京都大学「こころの未来研究センター」の研究報告会で、カール・ベッカー先生が「介護におけるバーン・アウト」について話されていたのを思い出しました。
介護するのに疲れた人々が燃え尽きてしまう問題ですが、わたしは介護される人から一言でも「ありがとう」の一言があれば、バーン・アウトの多くは防げたのではないかという感想を持ちました。
しかし現実は認知症の患者さんもたくさんいます。感謝の言葉を期待するのも難しい状況があるわけです。

今回だけでなく、高齢者の介護施設などで働く人々が高齢者を虐待したという事件はよく起こっています。
報道によれば、容疑者は普段は優秀な介護者で、評判も高いようです。
もちろん彼らの行為はけっして許されませんが、やはり、善意の人であり続けるのは大変なことのようです。

現代は、モノを生産したり加工したりする仕事よりも、人間を相手にする仕事をする人、すなわち「感情労働者」が多くなってきました。
感情労働とは、肉体労働、知識労働に続く「第三の労働形態」とも呼ばれます。
「感情社会学」という新しい分野を切り開いたアメリカの社会学者アーリー・ホックシールドは、乗客に微笑む旅客機のキャビンアテンダントや債務者の恐怖を煽る集金人などに丹念なインタビューを行い、彼らを感情労働者としてとらえました。
ホックシールドは言います。
マルクスが『資本論』の中に書いたような19世紀の工場労働者は「肉体」を酷使されたが、対人サービス労働に従事する今日の労働者は「感情」を酷使されている、と。
現代とは感情が商品化された時代であり、労働者、特に対人サービスの労働者は、客に何ほどか「感情」を売らなければならず、したがって感情管理はより深いレベル、つまり感情自体の管理、深層演技に踏み込まざるをえない。それは人の自我を蝕み、傷つけるというのです。



ひるがえって、わが社の場合を見ても、冠婚葬祭業にしろホテル業にしろ、確かに気を遣い、感情を駆使する仕事です。
お客様は、わたしたちを完全な善意のサービスマンとして見ておられます。
もちろん、わたしたちもそのように在るべきですが、なかなか善意の人であり続けるのは疲れることです。
しかし、感情労働のプロとして、ホスピタリティを提供しているということに対しての覚悟と矜持を持たなければなりません。
介護サービスの提供者を含め、感情労働のプロの「こころ」の問題は、今後の日本にとって重大な問題だと思います。
今回の事件の容疑者は昨年、結婚し、子どもも生んだそうです。
それを知って、ものすごく悲しい気分になりました。
このような悲劇が二度と起こらないことを心から願っています。


2010年3月15日 一条真也