無縁社会と人間関係

一条真也です。

昨夜、NHKで放映された「無縁社会の衝撃」を観ました。
NHKスペシャル「無縁社会〜“無縁死”3万2千人の衝撃」以来の特集番組です。
今回は、主に東京で暮らす非正規雇用の30代の若者たちを取り上げていました。
彼らは、自分たちを“無縁死”予備軍であると自覚しているそうです。
興味を引いたのは、彼らがいずれもツィッターにハマっていることです。
時間さえあれば、彼らはケータイに向かってつぶやきの言葉を入力します。
そして、見えない誰かからの返信を待つのです。
「無縁死、シャレにならないっす」「このまま仕事がなくなれば、自分も無縁死かも・・・」といった言葉が、ツィッターに次々と記されていきます。
「それは、つぶやきというより悲鳴」という、番組キャスターのコメントが印象的でした。
一方で彼らは、リアルな人間との付き合いを苦手としているそうです。
ITによるバーチャルなコミュニケーションが進歩すればするほど、リアルな対人コミュニケーションが希薄になっていると再確認しました。
“血縁”も“地縁”もなくなってゆく「無縁社会」の中で、ITによる“電縁”だけが増殖しているのです。しかしながら“電縁”とは、あくまでもバーチャルです。
生身の人間との豊かな関係を築くことこそ、「無縁社会」を乗り越える王道でしょう。

 

わが社では、一昨年から「隣人祭り」開催のお手伝いをしています。
冠婚葬祭のインフラ整備ともいえる人間関係づくりのお手伝いですね。
現代社会の最大のキーワードは「人間関係」ではないでしょうか。
社会とは、結局、人間の集まりです。そこでは「人間」よりも「人間関係」が重要な問題になってきます。そもそも「人間」という字が、人は一人では生きてゆけない存在だということを示しています。人と人との間にあるから「人間」なのです。
だからこそ、人間関係の問題は一生つきまとうのですね。  
日本人の自殺率上昇が問題になっていますが、その最大の原因も人間関係にありそうです。サラリーマンが会社を辞める理由のトップも人間関係の悩みだそうです。



さて、わが社のミッションは、「冠婚葬祭を通じて良い人間関係づくりのお手伝いをする」というものです。「良い人間関係づくり」のためには、まずはマナーとしての礼儀作法が必要となってきます。いま、わたしたちが「礼儀作法」と呼んでいるものの多くは、武家礼法であった小笠原流礼法がルーツとなっています。
小笠原流こそ、日本の礼法の基本なのです。
特に、冠婚葬祭に関わる礼法のほとんどすべては小笠原流に基づいています。
小笠原流礼法などというと、なんだか堅苦しいイメージがありますが、じつは人間関係を良くする方法の体系に他なりません。
小笠原流礼法は、何よりも「思いやりの心」「うやまいの心」「つつしみの心」という三つの心を大切にしています。これらは、そのまま人間尊重の精神であり、人間関係を良くする精神ではないでしょうか。



原始時代、わたしたちの先祖は人と人との対人関係を良好なものにすることが自分を守る生き方であることに気づきました。
相手が自分よりも強ければ、地にひれ伏して服従の意思を表明し、また、仲間だとわかったら、走りよって抱き合ったりしたのです。
このような行為が礼儀作法、すなわち礼法の起源でした。
身ぶり、手ぶりから始まった礼儀作法は社会や国家が構築されてゆくにつれて変化し、発展して、今日の礼法として確立されてきたのです。
ですから、礼法とはある意味で護身術なのです。
剣道、柔道、空手、合気道などなど、護身術にはさまざまなものがあります。
しかし、もともと相手の敵意を誘わず、当然ながら戦いにならず、逆に好印象さえ与えてしまう礼法の方がずっと上ではないでしょうか。
まさしく、礼法こそは最強の護身術なのです。
さらに、わたしは、礼法というものの正体とは魔法に他ならないと思います。
フランスの作家サン=テグジュペリが書いた『星の王子さま』は人類の「こころの世界遺産」ともいえる名作ですが、その中には「本当に大切なものは、目には見えない」という有名な言葉が出てきます。
本当に大切なものとは、人間の「こころ」に他なりません。
その目には見えない「こころ」を目に見える「かたち」にしてくれるものこそが、立ち居振る舞いであり、挨拶であり、お辞儀であり、笑いであり、愛語などではないでしょうか。
それらを総称する礼法とは、つまるところ「人間関係を良くする魔法」なのです。
そんなことを考えて書いた本が『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)です。
昨年1月の刊行以来、おかげさまで多くの方々の賛同を得ることができました。
無縁社会」を乗り越えるための具体的な方策集として、お読み下されば幸いです。


                「無縁社会」を乗り越える方策集



2010年4月4日 一条真也