『ニッポン昔話』

一条真也です。

花輪和一の『ニッポン昔話』上下巻(小学館)を読みました。
著者は、異色の漫画家として知られます。
幼少時代は床下で育てられるなど、両親から虐待を受けていたそうです。
中学を卒業し、埼玉から上京してからは、働きながら雑誌の挿絵を描いていました。
ある日、伝説の漫画誌『ガロ』に掲載された、つげ義春の「ねじ式」に大変なショックを受けます。そして自ら漫画を描いて投稿、見事に入選します。
それ以来、湧き出る憎悪の念をひたすら漫画にぶつけてきたとか。
その作風は、初期は猟奇的な物語が中心で、その後は主に平安〜室町時代の日本社会を舞台にした怪奇ファンタジーが中心です。
一貫しているのは、「人間の業」というテーマでしょうか。
それも、緻密かつ濃密な描線で描くのです。そのため、丸尾末広氏と並んで、「猟奇系」あるいは「耽美系」作家と呼ばれるようになりました。
知る人ぞ知る存在だった著者が有名になったのは、刑務所に入ったからでした。
大のメカ好きで改造モデルガンや故障した拳銃を修理して所持していたのです。
それが銃刀法違反にあたり、警察に逮捕されて、懲役3年の実刑判決を受けました。
漫画評論家呉智英氏が証人として裁判に出廷し、「花輪和一は重要な漫画家である」ということを力説しました。
しかしながら、それが裏目に出てしまいます。
「それほど著名な漫画家であれば、なおさら社会的な影響が強い」と受け取られ、異例の「執行猶予なしの実刑」となったのです。
まったく皮肉な結果ですが、当の著者は、まったく控訴など考えず、異例の判決に素直に従ったのでした。
根っからの漫画家である著者は、刑務所での経験を『刑務所の中』という獄中記漫画に描きました。同作品は大ヒットし、映画化もされました。さらに、第5回手塚治虫文化賞の最有力候補となりましたが、本人は受賞を拒否しました。
自分はマイナー漫画家を自負しており、いかなる賞も貰う資格がないというのが、その理由だそうです。


                     幻の名作がよみがえる


そんな気合の入ったというか、異色の漫画家である著者が「日本昔話」に挑みました。
1999年に「ビッグコミック・オリジナル」に連載された後、限定5000部で発売し、即完売したという幻の名作だそうです。読む前は、よくコンビニに置いてある「本当の昔話はこんなに残酷だ」という、エロ・グロものを予想していました。
かつて、グリム童話などを中心として、童話のもつ残酷性を取り上げ、それを強調するような本がブームになったことがありました。たしかに、各民族が長年受け継いできた民話や伝説にもとづく「メルヘン」にはそのような側面があることは事実です。
その流れで、日本昔話も同じようなエロ・グロ性が強調されたことがありました。
でも、いたずらにエロ・グロ性に注目するのみでは、童話や昔話の持つ奥の深さや本来の魅力を見落としてしまうのではと危惧していました。



しかし、本書を一読して、そんな不安は吹っ飛びました。
いや、これは大変な作品です。
いたずらに、昔話を貶めるのでもなく、単なる昔話の紹介でもなく、花輪和一という作家の死生観や無常観が見事に表現されています。
たとえば、上巻の「かくや姫」では月世界こそ浄土であるという世界観がいきなり示され、竹取伝説と浄土信仰が結びつけられます。
わたしは、つねづね「月こそ、あの世」と考えている人間ですので、狂喜しました。
また、下巻では「鶴の恩返し」と「笠地蔵」が1つのエピソードにミックスされたり、とにかく斬新な新解釈が多く、著者のオリジナリティが炸裂しています。
「ちょっとUFOとか宇宙人ネタが多いかな」という印象はありましたが、日本人の「こころ」の底の無意識に訴えかけてくる名作であることに変わりはありません。
先日のブログに書いた新藤兼人監督の映画「鬼婆」にも通じる世界かもしれません。



そして、緻密で濃密な描線が表現する昔話の世界の魅力的なこと!
下巻の帯には、「こんなにも、鮮やかな宇宙が脳髄を駆ける!!」というキャッチコピーが踊っていますが、その通りだと思いました。
かつて、わたしは講談社の絵本が好きでした。
現在でも、復刻版を持っていますが、戦前の日本画家たちがリアルに描いた日本昔話のキャラクターたちに怪しくも幻想的な香りを嗅いだものでした。
花輪和一の『ニッポン昔話』は、なつかしい講談社の絵本を思い出させるような、刺激的な絵が満載です。
なんだか講談社の絵本をもう一度、読み返したくなりました。


                       
                       講談社の絵本


2010年4月5日 一条真也