誕生日

一条真也です。

5月10日になりました。
今日は、わたしの誕生日です。
恥ずかしながら、47歳になりました。
かのトム・クルーズがわたしの一つ年上で、ブラッド・ピットジョニー・デップが同い年、そしてキアヌ・リーブスが一つ年下であります。
「それがどうした!」と言われれば、それまでですが。どうもしません。はい。
日付が変わるのと同時に、「誕生日おめでとう!」のメールが入ってきました。
ケータイ・メールにも入ってきました。
嬉しいです。みなさん、ありがとうございます!


わたしは、他人のお祝いをするのは仕事柄もあって得意というか大好きですが、自分が祝われることは正直いって苦手です。
でも、ここ数年は誕生日というものを見直しています。
まず、「祝う」という営みとは何でしょうか。
ヤフーなどの検索サイトで「祝い」とか「祝賀会」を調べてみて下さい。
きっと、おびただしい数でヒットするはずです。
その内容も企業の創立の周年記念にはじまって、叙勲、受賞、出版記念、還暦、金婚式など、実にバラエティに富んでいます。
わたしの好きなポップス歌手のディーン・マーティンに「Everybody love somebody sometime」という名曲があります。
日本語にすると、「誰かが誰かに恋してる」ですが、それにならえば、まさに今この瞬間にも「誰かが誰かを祝ってる」のです。


わたしは、「祝う」という営み、特に他人に関することを祝うということが人類にとって非常に重要なものであると考えています。
なぜなら、祝いの心とは、他人の「喜び」に共感することだからです。
それは、他人の「悲しみ」や「苦しみ」に対して共感するボランティアと対極に位置します。しかし、じつは両者とも他人の心に共感するという点では同じです。
「他人の不幸は蜜の味」などと言われます。
たしかに、そういった部分が人間の心に潜んでいることは否定できません。
でも、だからといって居直り、それを露骨に表現しはじめたら、人間終わりです。
他人を祝う心とは、最高にポジティブな心の働きではないでしょうか。



わたしは思うのですが、人生とは一本の鉄道線路のようなもので、山あり谷あり、そしてその間にはいくつもの駅がある。
「ステーション」という英語の語源は「シーズン」から来ています。
季節というのは流れゆく時間に人間がピリオドを打ったものであり、鉄道の線路にたとえれば、まさに駅はさまざまな季節ということになります。
そして、儀式を意味する「セレモニー」も「シーズン」に通じる。初宮参り、七五三、成人式、長寿祝いといった通過儀礼とは人生の季節であり、人生の駅なのです。
それも、20歳の成人式や60歳の還暦などは、セントラル・ステーションのような大きな駅だと言えるでしょう。
各種の通過儀礼は、特急や急行の停車する駅です。



では、各駅停車で停まるような駅とは何か。
わたしは、誕生日がそれに当たると思います。
老若男女を問わず、誰にでも毎年訪れる誕生日。
この誕生日を祝うことは、その人の存在そのものを肯定すること、存在価値を認めることに他なりません。
別に受賞とか合格といった晴れがましいことがなくても祝い、祝われる誕生日。
それは、まさに「人間尊重」そのものの行為です。
わが社では、毎月の社内報に全社員の誕生日情報を掲載し、「おめでとう」の声をかけ合うように呼びかけています。
誕生日当日には、わたしが社員のみなさんにバースデーカードを書いて、プレゼントを添えてお渡ししています。
今年のプレゼントは、なんと「仁義礼智忠信孝悌」のブレスレットです!
今後とも、冠婚葬祭とあわせて誕生日という文化を盛り上げていきたいと思っています。
そして古代の日本では「祝」も「葬」も同じく「ハブリ」と呼ばれたように、人生の卒業祝い、あの世への引越し祝いとしての、めでたい葬儀を提案していきたいと思います。


2010年5月10日 一条真也