藤原新也さん

一条真也です。

写真家の藤原新也さんにお会いしました。
舞台「おくりびと」に三五館の星山社長と中野さんをご招待したところ、藤原さんにもお声がけして、お連れいただいたのです。
一度お会いしたいと思っていた憧れの方でしたので、とても嬉しかったです。


                 ひたすら「死」について語り合いました


藤原さんは日本を代表する写真家です。
1944年、門司港の旅館の息子さんとしてお生まれになりました。
伝説の名著『メメント・モリ』は、星山社長が情報センター出版局時代に編集され、日本中に大センセーションを巻き起こしました。
現在では、三五館から21世紀エディションが出ています。
わたしも一読し、非常に感銘を受けました。
俳優の本木雅弘さんも同書に感銘を受けられた一人で、青木新門著『納棺夫日記』(文春文庫)とともに、映画「おくりびと」が生まれるインスピレーションの源となりました。
今でも、藤原さんと本木さんとの交流は続いています。
わたしはお会いしたことはありませんが、藤原さんからいろんなお話をお聞きすると、本木さんは本当に真剣に「死」を見つめているのだと感じました。
映画「おくりびと」は気になった点もあったにせよ、名作だったと思います。
現実に、世界的な評価も得ました。
でも、それは監督や脚本家の力ではなく、ひとえに本木雅弘という「死を想う」一人の人間の情熱が可能にしたことではないでしょうか。
その証拠に、本木雅弘のいない舞台版には、どうしようもなく不毛感が漂っていました。



藤原さんとは、舞台の終了後に赤坂見附のエンターテインメント・レストラン「NINJA」に場所を移して、さまざまなお話をさせていただきました。
前日に電話をかけられたという門司港の料亭「ひろせ」の女将さん、共通の知人である染織家の築城則子さんのお話にはじまって、心霊写真やオウム真理教の話まで。
藤原さんはITについても非常に詳しく、ブログの進化した形としての「メディウム」のお話は特に興味深かったです。
藤原さんも、匿名ブログなど何の存在価値もないと言われていました。
それから、「i−Pad」は彼岸をイメージできるツールであり、今後の葬儀にとって大きな可能性を秘めているとのアドバイスも頂戴しました。
あとは、「死」についての意見も交換させていただきました。
わたしにとって、まさに至福の時間でした。
藤原さんは、「ジタバタして見苦しく死ぬ人を否定してはいけない」と言われていました。
同席していた星山社長も、「自分は死ぬのがこわい。できるものなら、永遠に生きたい!」と言われていました。なんと正直な方だと思いました。
あと、星山社長といえば、あの「1000の風」を初めて日本に紹介した方です。
その当人から衝撃的なお話を聞きました。
なんと、作者不詳と思われていた「1000の風」の作者が昨年見つかったそうです!
そして、その人物はアメリカ人で、すでに亡くなっているとか。
作者を発見したのは日本人で、現在はパレスチナに住んでいるそうです。
ということで、「おくりびと」から「メメント・モリ」、さらには「1000の風」の話題まで加わって、忍者姿の店員のサービスを受けながら、ひたすら「死」について深夜まで語り合った異様に熱い夜になりました。
藤原新也さん、有意義で楽しい一夜をありがとうございました。
今度は、ぜひ門司港か小倉でお会いしたいです。
今後とも、どうぞ、よろしくお願いいたします。


                      わが青春の一冊


2010年6月3日 一条真也