丹羽宇一郎氏

一条真也です。

伊藤忠商事相談役の丹羽宇一郎氏に中国大使就任の話が来ているようです。
各紙にも報道されていますが、どうやら実現しそうな気配です。
わたしは大いに賛成したいと思います。


                6月7日付「朝日新聞」夕刊より


中国は一筋縄ではいかない国です。
一クセも、二クセも、三クセもある国です。
そこの大使になる人には、いくつかの条件が求められると思います。
わたしが考えるに、まず「礼」のある人であること。
次に、「智」のある人であること。
そして、総合的に「教養」のある人であることです。
丹羽氏からは、ご著書が刊行されるたびに送られてきます。
わたしも、自分の新刊を丹羽氏に送らせていただいています。
すると、御多忙にもかかわらず、必ず丁重な礼状が届きます。
頭が下がるほど、「礼」を重んじられる方なのです。
「礼」とは「人間尊重」ということです。
きっと、すべての人間を尊重されている方なのでしょう。
「礼」はもともと孔子が最重視した思想です。
もちろん、中国で生まれた考え方です。



また、「智」とは物事の善悪を知ることです。
総合商社のトップという最も過酷なビジネスの場に長年身を置きながら、丹羽氏はけっしてダーティーな部分に手を染めませんでした。
それどころか、財界人でこんなに正義感の強い方がいるのかと驚くほどです。
単に利益を追求することなく、国連WFP協会の活動などを通じて、常に社会への貢献というものを主眼としています。
著作権への対処の仕方をはじめ、事の善悪がわかっていない中国の人々に対して、ぜひ持ち前の「智」で毅然とした態度で臨んでほしいと思います。



そして、丹羽氏ほど教養のある人はいません。
最新刊『負けてたまるか!若者のための仕事論』(朝日新書)を読むと、「人は読書で磨かれる」と思っておられるそうです。
読書の効用としては、まず論理的思考が養われることをあげています。
「経営とは論理と気合い」と考える丹羽氏は、多くの人間を引っ張っていくには「ついてこい」と叫ぶだけではダメで、きちんと論理的に説明して納得させなければ人は動かないといいます。
また、話をすると、相手が本を読んでいる人間かどうか、だいたいわかるそうです。
言葉の選び方にしろ、話し方にしろ、多少乱暴であっても、自分の思いを的確に表現する言葉を選び、それを順序立てて説明できる能力があれば、言いたいことはしっかり伝わる。そして、ここが重要ですが、これは読書でしか培われません。
さらに、論理的思考が養われれば、自らの言動も論理的にとらえることができます。
丹羽氏は、同書で次のように述べます。
人間には本来「動物の血」が流れている。
人類が誕生して以来、「動物の血」は200万年も脈々と息づいている。
一方、神々の血、すなわち「理性の血」はたかが4000年から5000年にすぎない。
どちらが勝つかといえば、間違いなく「動物の血」です。
丹羽氏は、読書によって「動物の血」を抑制することができると主張し、こう述べます。
「最近では、親殺し子殺し、あるいは通り魔的殺傷事件が後を絶ちません。不満や愚痴がたまると、それを抑制できずにすぐキレてしまう。自分で自分の感情をコントロールできなくなっているのです。これは、読書をしていないことも一因ではないかと私は考えています。」
わたしは、この文章を読んで、非常に感動しました。
丹羽氏が名古屋の書店の息子さんとして生を受けられたことは知っていました。
でも、ここまで本への信頼、本への愛情がある方も珍しいと思います。
「理性の血」が真の「教養」につながることは言うまでもありません。



同書の最後で、著者は「教養」について触れています。
「教養というのは相手の立場に立って物事を考える力があること」として、次のように述べます。
「どうしたら教養を身につけることができるか。もちろん読書も大事です。そしてたくさんの人と接し、人間社会で揉まれることです。自分の思い通りにならないことも多々あるでしょう。そんなとき、なぜなんだろうと立ち止まってみる。自分に非はないかと謙虚に省みる。」
こうした経験を積んでいくことで、相手の立場に立って物事を考えるということが少しづつわかる、つまり少しづつ「教養」がついてくるというのです。
このような教養についての考え方は、孔子にも通じます。
丹羽氏には、孔子のような「人間通」のたたずまいがあります。
これは、もう、丹羽氏以上に中国大使の適任者はいないのではないでしょうか。


2010年6月8日 一条真也