ワールドカップ

一条真也です。

サッカーのワールドカップで、日本がカメルーンを破り、白星をあげましたね。
4大会連続出場の日本は、自国開催以外の大会では初白星となります。
新聞やテレビなども、今朝は報道がすごいですね。
大相撲の野球賭博のニュースがかすんでしまいました。(苦笑)


                    

わたしは別に「サッカー通」ではありませんが、ワールドカップのような巨大な国際イベントには心が躍ります。基本的に「お祭り男」ですから。(笑)
特に、サッカーのワールドカップの場合は、非常に「平和のためのメディア」というイメージを強く感じます。
それは、「戦争の代用品」という意味においてです。
サッカーのワールドカップの第1回大会は、1930年にウルグアイで開催されました。
第1次世界大戦と第2次世界大戦のちょうど間の時期です。
この巨大イベントが、20世紀のこの時期に誕生したことの意義が大きいと思います。
20世紀は、とにかく人間がたくさん殺された時代でした。
何よりも戦争によって形づくられたのが20世紀と言えるでしょう。
もちろん、人類の歴史のどの時代もどの世紀も、戦争などの暴力行為の影響を強く受けてきました。20世紀も過去の世紀と本質的には変わりませんが、その程度には明らかな違いがあります。
本当の意味で世界的規模の紛争が起こり、地球の裏側の国々まで巻きこむようになったのは、この世紀が初めてなのです。
なにしろ、世界大戦が1度ならず2度も起こりました。



その20世紀に殺された人間の数は、およそ1億7000万人以上といいます。
アメリカの政治学者R・J・ルメルは、戦争および戦争の直接的な影響、または政府によって殺された人の数を推定しました。
戦争に関連した死者のカテゴリーは、単に戦死者のみならず、ドイツのナチスなど自国の政府や、戦時中またはその前後の占領軍の政府によって殺害された民間人も含まれます。また、1930年代の中国など国際紛争によって激化した内戦で死亡したり、戦争によって引き起こされた飢饉のために死んだりした民間人を含みます。
その合計が1億7180万人であるとルメルは述べているのです。




多くの人々が、「戦争を地球上からなくすことなど不可能である」と言います。
たしかに人類の歴史を見ると、そうかもしれません。
しかし長いあいだ、人類は奴隷制が永久に続くものだと信じていました。
日本でも、明治維新の前後まで、国内で内戦がなくなるなど誰も考えませんでした。
でも、西南戦争の後、133年間も国内においては戦争は起こっていません。
世界がこの日本と同じような状況に絶対にならないと誰が言えるでしょうか。
かつてドイツの哲学者カントが「永久平和のために」のなかで述べたように、私たちは地球上から戦争がなくなるまで愚直なまでに「燃えるような理想主義」を持ち続けなければならないのです。



人類にとって最大の「プロジェクトX」とは、宇宙空間への進出でも、タイムマシンや心を持つロボットの発明でもなく、やはり戦争の根絶でしょう。
現在、いまだ明治維新の世界版は起こっていません。
また、世界政府のような存在も実現してません。
わたしたちにできることは、せめて、ワールドカップなどの「戦争の代用品」を通して、少しだけでも完全平和の世界を覗き見ることだけです。
最後に、もう一度言いますが、人類は奴隷制が永久に続くものだと信じていました。
その後、奴隷制は、人種差別問題へとその形を変えました。
人種差別問題が最後まで問題になったのが南アフリカでした。
その国で、いま、ワールドカップが開催されているわけです。
今年の2月だったか、映画「インビクタス」を観ました。
南アの黒人首相ネルソン・マンデラとワールドカップの物語です。
モーガン・フリーマンが演じたマンデラの勇気ある姿が思い起こされます。


2010年6月15日 一条真也