サザエさん通り

一条真也です。

友人の鈴木登士彦君と会った後、用賀から東急田園都市線に乗りました。
すると、すぐ次の駅が桜新町であることがわかり、あわてて下車しました。
次の打ち合わせまでまだ少し時間があったので、桜新町にある「長谷川町子美術館」を訪れようと思いついたのです。なぜなら、いま「先祖」や「隣人」について考えているところなのですが、それらの「無縁社会」を乗り越えるテーマを考えているうちに「サザエさん」が大きなヒントになるのではないかと思ったのです。
サザエさん」の磯野家は、血縁も地縁も大切にします。
墓参りもすれば、家に仏壇もある。波平そっくりのご先祖さまもよく登場します。
また、お隣の伊佐坂先生の一家とも良好な関係を保っています。
サザエさん」とは、まさに古き良き日本の「有縁社会」を描いているのです。
そこで、桜新町の駅から「長谷川町子美術館」に向かう商店街を歩きました。
通称「サザエさん通り」として知られています。
実際に、作者の長谷川町子がこの町に住んでいたからです。


                  サザエさん通りの入り口

                  商店街にはたくさんの旗が


わたしは、以前もここに一度来たことがあります。
というのも、ある冠婚葬祭互助会が桜新町にセレモニーホールを建設しようとしたとき、住民の反対運動が起こったのです。
週刊誌などにも「サザエさんの町に斎場が!!」などと書かれ、話題になりました。
わたしは、その騒動に大きな関心を抱きました。
果たして「サザエさんの町を台無しにする文化環境破壊」なのか、それとも「単なる住民エゴ」なのか、ぜひ自分の目で判断してみたいと思い、桜新町に出かけたのでした。
初めて歩く「サザエさん通り」は、旗こそ翻っているものの、それ以外には何も「サザエさん」をイメージさせるものがなく、その直前に訪れた鳥取県は境港の「水木しげる妖怪ロード」に比べて寂しいなという印象を持ちました。
「おいおい、これでサザエさん通りかよ」とつぶやいた思い出があります。


                お寿司屋さんの前に波平とサザエが!

                おお!八百屋さんの店番をマスオが!

                  甘味屋さんの前にはタマまで!


でも、今回は以前と違いました。
サザエさん通り」の至る場所に、磯野家の人々が出没しているのです。
お寿司屋さんの前には波平とサザエがいて、マスオが八百屋さんの店番をしていて、なんと猫のタマまでが甘味屋さんの店先にいました。
「これでこそ、サザエさん通りだよ」とつぶやきながら、わたしは大いに満足して「長谷川町子美術館」に向かったのでした。
ところで、くだんのセレモニーホールは、ちゃんと建設されていました。ネットで見てみると、あれほど反対していた地元の人々も「意外と便利!」と喜んでいるそうです。
サザエさん通りも充実したし、セレモニーホールも無事に建設されたわけですね。
まずは、めでたし、めでたし!


2010年6月15日 一条真也