有権者の求めるもの

一条真也です。

昨年の政権交代後で初の大型選挙となった第22回参院選挙は、民主党が大敗し、自民党が復調、みんなの党が躍進しました。
わたしは政治にあまり関心のない人間なので、別にどうという感想もありません。
でも、今回は少しだけ考えたことがありました。



それは、まず膨大なタレント候補の選挙演説をテレビで観ていて違和感を感じたことから始まりました。
谷幸雄氏は逆立ちをし、庄野真代氏は持ち歌である「飛んでイスタンブール」を熱唱し、中畑清氏は「絶好調!」と叫んでいました。
そして、彼らを眺める聴衆の冷ややかな視線。それを見たとき、わたしは「この人たちのマーケティングはズレているな」と思ったのです。
わたしは、ピーター・ドラッカーマーケティング論を思い出しました。
もちろん、ドラッカー政治学者ではありません。経営学者です。
しかし、彼の説いたマーケティングについての考え方は、政治、それも選挙という行為にじゅうぶん通じる考え方だと思います。



ドラッカーいわく、マーケティングとは「顧客の創造」です。
では、顧客とはいったい誰でしょうか。ドラッカーは大著『マネジメント』(ダイヤモンド社)において次のように述べています。
「顧客は誰かの問いこそ、企業の目的と使命を定義するうえで、最初に考えるべき最も重要な問いである。やさしい問いではない。まして答えのわかりきった問いではない。だが、この問いに対する答えによって、企業が自らをどう定義するかが決まってくる。」(上田惇生訳)
顧客とは、企業にとっては製品やサービスを買ってくれる消費者であり、病院にとっては患者であり、大学にとっては学生です。
そして、政治家にとっては、もちろん有権者ですね。



ドラッカーいわく、マーケティングは顧客からスタートします。
すなわち顧客の現実、欲求、価値からスタートするのです「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」と問うことが重要なのです。
たとえば、化粧品について考えてみますと、かのレブロンを名だたる巨大企業に育てあげた天才的経営者チャールズ・レブソンは「工場では化粧品を作る。店舗では希望を売る」との名言を残しました。なるほど、女性が化粧品を買うとき、じつは希望を買っているというのは納得できます。
この考え方は、セオドア・レビットやフィリップ・コトラーといったマーケティング界の巨人たちも共有しています。
化粧品を購入する女性は、本当は「希望」を買っている。この事実は非常に大きな示唆を与えてくれます。同じように考えていけば、消費者が本当に買っているものと、企業が売っていると思いこんでいるものとの間にはズレがあることに気づきます。



歯ブラシを購入する人が本当に欲しいものは「健康な歯」です。
洗剤の購入者が本当に欲しいのは「清潔な衣料」です。
ドリルを買う人が欲しいのは「穴」です。
CDやDVDを買う人は丸い銀板が欲しいわけではなく、音楽や映像、つまりエンターテインメント娯楽を求めている。
「当たり前のことではないか」と思うかもしれませんが、意外と企業やその経営者が「自分はこれを売っている」と思い込んでいるものと、実際に顧客が求めているものは違っていることが多いのです。
そのために、ろくに穴が開かないのにデザインだけは費用をかけたドリル、洗浄力が弱いくせに色のきれいな洗剤のようなピント外れの製品が市場に出されることになります。



今回の選挙におけるタレント候補たちの姿を見ていて、わたしは「この人たちは有権者が求めているものを勘違いしたのだな」と思いました。
有権者が求めているものは、けっして逆立ちでも歌でも知名度でもありませんでした。
もちろん、彼ら自身というより、彼らを担ぎ出したり、後押しした政党のマーケティングそのものが失敗したわけですが。


2010年7月12日 一条真也