一条真也です。
映画「インセプション」を観ました。
レオナルド・ディカプリオと渡辺謙の共演が話題を呼んでいますね。
しかし、テーマやストーリーそのものも非常に興味深い映画でした。
脚本は「ダークナイト」のクリストファー・ノーラン監督。気鋭の映像作家が手がけた、想像を超えた次世代アクション・エンターテインメント大作として人気を呼んでいます。
主役のコブを務めるのはレオナルド・ディカプリオですが、彼は「シャッター アイランド」にも主演しましたね。その感想は、ブログ「シャッター アイランド」に感想を書きました。
ところで、「インセプション」の冒頭から「シャッター アイランド」そっくりな風景が出てきて、驚きました。主人公と妻や子どもたちとの関係などの設定も、「シャッター アイランド」そっくりです。正直、「どうして、こんな紛らわしいことするの?」と思いました。
あと両作品には、ともにディカプリオが水に溺れるシーンが出てきました。
「タイタニック」や「ザ・ビーチ」といい、よほど水と縁がある人なのですね。
さて、「インセプション」のストリーを簡単に紹介します。
ディカプリオ扮する企業スパイのコブは、人の夢の世界にまで入り込み、無意識から他人のアイデアを盗むという高度な技術を持っています。
あることが契機で彼は国際指名手配犯となりますが、最後に危険なミッションを与えられます。それは、「インセプション」と呼ばれるほぼ不可能に近い仕事でした。
「インセプション」とは「植え込み」という意味。つまり、彼のミッションとは他人の夢に潜り込んで、ある「考え」を植え込むことだったのです。
まず面白いと思ったのは、人間の無意識を何階層にも分かれるものと捉えており、その階層間の行き来をエレベーターで行うことでした。
人間の意識を建物の階層で比喩するのは、よくあることです。
イギリスの作家コリン・ウィルソンなども、無意識を地下室、超能力などを可能とする超意識を屋根裏部屋に例えています。
しかし、その無意識がさらに何層にも分かれ、エレベーターで移動するという発想が面白いと思いました。ふと、「無意識」と「エレベーター」の間には何か相関関係がないかと思って調べてみたら、両者はほぼ同時期に出現したことが判明しました。
想像していた通り、「無意識」の発見と「エレベーター」の発明は、同時だったのです。
「無意識」を発見したのは、もちろん、ジークムンド・フロイトです。
1886年、彼が30歳のときにウィーンへ帰り、神経病理学者のシャルコーから学んだ催眠によるヒステリーの治療法を一般開業医として実践に移しました。
そして、フロイトは治療経験を重ね、その技法にさまざまな改良を加えて、自由連想法を編み出します。これを毎日施すことによって患者は心の奥底にある「トラウマ」という見えない外傷を思い出すことができると考えたのです。
この治療法は「精神分析」と名づけられました。
まさにフロイトによって、人類は「無意識」の存在を知ったのです。
その後、フロイトは1899年に『夢判断』を発表。
夢による無意識の分析を体系づけます。
『夢判断』ははじめ一部の限られた読者しかいませんでしたが、ある人物がこれに注目します。カール・ユングです。フロイトと並んで「無意識」の偉大な追求者となりました。
さて、エレベーターです。
すでに、エレベーターは紀元前から存在していました。古代ギリシャのアルキメデスが、ロープと滑車で操作するものを開発していたのです。
その後も、釣り合い鐘(カウンターウェイト)を用いたものなどが発明されましたが、現在のような電動エレベーターが登場したのは19世紀の終わりです。
発明したのは、かのオーチス・エレベータ社でした。
同社は、1889年に世界初の電動エレベーターを開発し、ニューヨークのビルに採用されました。以降、ニューヨークの摩天楼化に拍車がかかったとされています。
映画「インセプション」にも夢の中で構築した摩天楼の風景が出てきますが、現実の摩天楼を創り上げた立役者がエレベーターであったとは興味深いですね。
このように、「無意識」と「エレベーター」はほぼ同時に現れたわけです。
近代のテクノロジーが人間の意識に与えた影響といえば、京都の美学者である秋丸知貴さんが専門家ですので、早速お聞きしてみました。
秋丸さんによれば、ヴァルター・ベンヤミンの『写真小史』(1931年)以来、フロイトの「無意識」概念に影響を与えたのは、実際に無意識を可視化する「写真」や「映画」であるというのが現在のメディア論では一般的だそうです。
わたしは、「写真」や「映画」とともに「エレベーター」も、「無意識」概念に影響を与えた可能性は大いにありうると思います。
ちなみに、エレベーターについて秋丸さんが関心を持っているのは、新しい空間概念の開拓という問題だそうです。例えば、ジョルジュ・フリードマンは、1966年に書いた著書『技術と人間』で次のように述べています。
「空間についていえば、飛行機はわれわれを高所からの眺望に慣れさせるが、こうした観点に立つと、われわれにとって親しみのある風景、都市、街、田園といったものは図式的、幾何学的な投影にすぎなくなる。つまりここでもまた解釈的、合理的な知覚に対する挑戦が生じるのである。その上、『這う者』が水平面で動き回っているのに対し、飛行家は空間における上昇、下降によりそこに第三の次元を付け加える。このような経験については、その他の技術(大きなビルのエレベーター、高速ケーブルカー、ロープウェー)が都会の大衆のための代替物あるいは補完物となっている」
秋丸さんは、「自分自身は身動きをせずに、自然的環境では有り得ない高さまで急速に上昇・下降し、また外を眺めることが出来る場合は、これもまた自然的環境では有り得ない直線的な動きでを地上を俯瞰するという経験は、人間の外界理解に全く影響を与えなかったはずはない」と考えているそうです。
実際に、新しい空間概念という点で、エレベーターとキュビズムを結び付ける先行研究もあるとか。非常に興味深いテーマですね。
この映画が「シャッター アイランド」に似ていると先に述べました。
他にも似ているというか、自然と連想してしまう映画が2本存在します。
「マトリックス」と「バニラ・スカイ」です。
「マトリックス」はコンピューターによるバーチャル・リアリティ(仮想現実)の物語であり、「バニラ・スカイ」は見たい夢を売るというサービスの物語でした。
この両作品を合体すれば、そのまま「インセプション」になると思いました。
まあ、夢とは究極のバーチャル・リアリティですから、それらをテーマとするだけで必然的に似てくるのかもしれませんが。
ちなみに、江戸川乱歩がファンからサインを求められたときに色紙に必ず書いたという「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」という言葉があります。
これは、夢と現実の危うい関係を見事に表現しています。
ノーランが「インセプション」の世界作りに着手したのは、映画の製作開始から10年ほど前のことだそうです。映画パンフレットによれば、ノーランは次のように語ったそうです。
「夢というテーマに、強く惹かれるようになったんだ。軸になるのは、目覚めている時と、夢を見ている時の関係についての物語だった」
「夢の世界は、その人自身の脳によって創り出される。広大な創造力の世界を、アクション映画として描くことはできないかと考えはじめたんだ」
「インセプション」は「マトリックス」みたいに、シリーズ化されるかもしれません。
ディカプリオと渡辺謙の名コンビがこれからも見られると思うと楽しみです。
最後に、個人の夢というものは、いつか操作される日が来るのでしょうか。
夢のコントロールという考え方自体は珍しいものではありません。
たとえば、チベット仏教には「夢の修行」というものがあり、体系化されています。
その手順とは、最初に白い光をイメージして寝るそうです。
そして、梵字の文字をイメージする。すると、次第に夢に変化が現れるそうです。
夢の中に過去の記憶が出てくるようではまだ執着が強い証拠であり、修行を積んでゆくうちに、だんだんと現在の日常生活に起きている出来事が夢に出てきます。
ついには、すべての夢が光になるそうです。「インセプション」の夢のコントロール・レッスンの内容は、このチベットの「夢の修行」に似ていました。
映画を作るにあたって参考にしたのかもしれません。
「夢の修行」はローテクですが、ハイテクによる「夢のコントロール」は可能なのか。
脳機能学などの研究がさらに進み、コンピューター・サイエンスと合体すれば、不可能ではないかもしれませんね。
もしかして、日本のドクター苫米地とかが実際に開発しませんかね?(笑)
それを企てる組織を考えてみると、ひと昔前なら巨大広告代理店などが連想されましたが、今なら天下御免のSF企業グーグルですかね。
創設者のラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンの二人なら考えそうなことですね。
彼らは、とにかくSF的な発想が大好きですから。
そのうち、「グーグル・アース」や「グーグル・ブック」に続いて、「グーグル・ドリーム」なんていう新サービスが生まれたりしてね。(笑)
グーグル以外では、わたしは航空会社が怪しいと思います。
「インセプション」でも旅客機を使って、標的を眠らせ、その夢の中に入ってゆくというシーンがありました。
旅客機には、機内音楽のサービスがありますよね。
じつは、わたし、あれ、ほとんど利用したことがありません。
音楽を聴きたいときは、自前のウォークマンやi−Podで聴いていました。
だって、なんだか、あのイヤホンって得体が知れないじゃないですか。
あそこから何か変な音波とかサブリミナル・メッセージとか流されたら、洗脳されてしまうではないですか。
ナイトフライトなどで、イヤホンを耳につけたまま熟睡している人々を見て、いつも「この人たち、簡単に洗脳できちゃうかも?」と思っていました。
「インセプション」でも音楽は重要な役割を果たしており、夢から覚醒するキー・ミュージックとしてエディット・ピアフの「Non Je Regrette Rien」が使われていました。
わたしはこの歌が大好きなのですが、映画「エディット・ピアフ/愛の讃歌」(原題は「La Vie En Rose」)で初めて聴きました。
そのときはマリオン・コティヤールが主役のピアフを好演していましたが、この「インセプション」にも彼女が出演していました。
ピアフの曲を使ったのは、コティヤールに対するノーランの心遣いだったのでしょうか?
2010年7月22日 一条真也拝