「みつばちハッチ」

一条真也です。

映画「昆虫物語 みつばちハッチ〜勇気のメロディ〜」を観ました。
小学5年生の次女が何か映画に連れて行ってくれというので、ディズニーの「魔法使いの弟子」かジブリの「借りぐらしのアリエッティ」などを観たがることを予想していましたが、意外にも彼女が選んだ夏休み映画は「ハッチ」でした。


「ハッチ」といえば、わたしの小学生の頃に「昆虫物語 みなしごハッチ」をフジテレビ系列で放映しており、毎週観ていました。1970年(昭和45年)から1971年(昭和46年)にかけての放映ですから、もう40年も前になります。
女王蜂である母親と生き別れになったミツバチのハッチは、さまざまな苦難を乗り越えて母を探す旅に出ます。母を慕うハッチの健気な姿に、男の子ながら涙したものでした。
40年ぶりにリメイクされた今回の映画では、虫たちのドラマの中にさり気なく環境問題などのテーマも織り込まれている感がありました。



大人のわたしは退屈するかなと思っていたのですが、どうして、どうして、最初から最後まで集中して観ることができました。
これは以前にも子どもと一緒に観た「ドラえもん」や「ポケット・モンスター」などの劇場版でも感じたことですが、やはり日本のアニメのレベル自体が高いのでしょう。
スタジオジブリもいいですが、日本アニメ界の名門である竜の子プロダクションもさすがに良い仕事をすると思いました。
もともと、日本のアニメはフジテレビが人材を育ててきた部分があり、同社を代表するアニメが竜の子プロの「みなしごハッチ」であり、ジブリの「アルプスの少女ハイジ」や「フランダースの犬」だったのです。
竜の子プロといえば吉田竜夫が創業した会社ですが、「マッハGoGoGo」「いなかっぺ大将」「ハクション大魔王」「科学忍者隊ガッチャマン」「新造人間キャシャーン」「タイムボカン」などの名作を多く生み出しています。わたしが個人的に一番好きだったのは、柔道アニメというよりもカルト格闘アニメと呼ぶべき「紅三四郎」でした。
今日観た「ハッチ」の総合プロデュースは「おくりびと」の小山薫堂氏で、しっかり大人でも楽しめる内容に仕上げてくれていました。



この映画を観ながら、わたしはミツバチについて考えていました。
というのも、ミツバチの社会は究極の「相互扶助社会」だとされているからです。
チャールズ・ダーウィンとともに進化論を唱えたT・H・八クスレーは、1894年に刊行した著書『進化と倫理』の序文で次のように書いています。
「ミツバチの社会は『各人には必要な分だけを与え、各人からは能力に応じてとる』という共産主義的金言の理想を満足する。ミツバチの社会では、生存競争は厳格に制限されている。女王バチ、雄バチ、そして働きバチはそれぞれ割りあてられた適度な量の食物を得る・・・偏理哲学の才のある思索的な雄バチ(働きバチや女王バチにはそんな暇はない)などというものがいたら自らを最も正真正銘の直感的道徳家と称する必要にかられるだろう。彼は働きバチが最小限の生活を得るために終わりなき労苦の人生に身を捧げていることは、啓発された利己心によっても、いかなる種類の功利的動機によっても説明することはできないと完璧なる正当性をもって指摘するであろう。」
(古川奈々子訳)



ミツバチの社会に人間社会の理想を見た人もいました。
『青い鳥』の作者として有名なノーベル文学賞作家モーリス・メーテルリンクは、「博物神秘主義者」などと呼ばれましたが、『蜜蜂の生活』という名著を書きました。
彼は「蜜蜂荘」と名づけた南フランスの家に住み、古代ギリシャ以来の蜜蜂に関する文献を探索しました。彼は毎日、ミツバチの巣に通い続ける有能な養蜂家でもありました。
ミツバチの生態を克明に観察したメーテルリンクは、持ち前の文学的才能により、その社会を統率している「巣の精神」に地球の未来を読み取ったのです。
また、コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズでは、ホームズが探偵引退後に選んだ仕事が養蜂家でした。
ホームズは、ミツバチに関する著作も残したことになっています。
メーテルリンクもドイルも神秘主義者であり、特に「霊魂の不滅」や「死後の世界」を信じていたことで知られています。
その二人がともにミツバチに魅せられたのは非常に興味深いと思います。



さて、この映画では、ミツバチであるハッチと少女アミィが会話を交わします。
ハッチは母とはぐれ、アミィは新しい町に引っ越してきたばかりで誰も友人がいません。
ともに「孤独」を感じていた両者の心の波長が合ったということでしょう。最後に両者が孤独でなくなったとき、互いの言葉が理解できなくなり、会話は不可能となります。
孤独な存在が異なる種ともコミュニケーションするという点は、アンデルセンの「人魚姫」やサン=テグジュぺリの「星の王子さま」を連想しました。
言うまでもなく、人魚や異星人は人間ではありません。それでも、孤独な彼らは人間と交わろうとしました。ハッチとアミィも心を交わした後は、それぞれミツバチの社会、人間の社会へと戻ってゆきます。
また、最初にハッチとアミィのコミュニケーションを可能としたのが、アミィが吹くハーモニカの音色というのが面白かったです。
ハッチはハーモニカが奏でる音楽を「不思議な虫の鳴き声」ととらえたのです。
ここで、わたしはSF映画「未知との遭遇」で人類がエイリアンと最初にコミュニケーションするとき、音楽を用いたことを思い出しました。音楽とは異種間のコミュニケーションを可能とする究極のメディアなのかもしれません。



アミィ」という名前はおそらくドイツ人の少女ではないかと思われます。
ドイツといえば、小説「みつばちマーヤの冒険」を書いたのがドイツの作家であるワイデマル・ボンゼルスでした。
児童文学の古典となっているこの作品では、ミツバチが擬人化され、スズメバチがミツバチを襲う設定なども「みつばちハッチ」とよく似ています。
ボンゼルスが「みつばちマーヤの冒険」を書いたのは1912年ですから、当然ながら「みつばちハッチ」はその影響下にあると思われます。
「マーヤ」から「ハッチ」へという物語の遺伝があったわけです。



物語の最後は、邪悪なスズメバチ軍団とその他の虫軍団の戦争となります。
しかし、川の水が増量したことによってスズメバチの巣が決壊して、両者は力を合わせます。大自然の威力が戦争を終結させたわけです。
最初は悪役として描かれたカマキリもクモもみんなハッチを助けるために全力を尽くしてくれます。スズメバチたちも自分たちの女王蜂とその子どもたちの命を守るために必死です。考えてみれば、カマキリもクモもスズメバチも、みんな生きるために一生懸命なだけなのです。
ブログ「太陽のうた♪」で紹介した「手のひらを太陽に」の歌詞にならえば、「カマキリだって、クモだって、スズメバチだって、みんなみんな生きているんだ、友だちなんだ」です。
ですから、最後に、両軍が和解というか、戦いをやめて虫たちの世界に平和が訪れた場面では静かな感動をおぼえました。
「こんな映画を終戦記念日に観ることができて良かった」とさえ思いましたね。



何よりも、ハッチと母親の再会には涙を押さえることができませんでした。
なんだか40年前の純な小学生に戻ったような気がしましたが、隣を見ると、次女はまったく涙ぐんでなんかいません。平気な顔で、おしゃぶり昆布をしゃぶっていました。(笑)
最後に、エンディングテーマは新しい曲が使用されていましたが、やっぱり40年前の「みなしごハッチ」の主題歌を使ってほしかったです。
「行け〜行け〜ハッチ、みつばちハッチ」で始まり、「姿やさしいモンシロチョウチョ、おどけバッタにテントムシ、みんな友だち、仲間だけれど、母さん欲しかろ、恋しかろ〜」というサビのフレーズが今も耳に焼きついています。
というわけで、65回目の終戦記念日の今日、少年時代の心に戻ることができました。


2010年8月15日 一条真也