『世界史読書案内』

一条真也です。

『世界史読書案内』津野田興一著(岩波ジュニア新書)を読みました。
著者は高校の世界史の先生です。本書の読者も、おそらくは高校生あたりを想定しているのでしょう。実際、本書は著者が勤務する東京都立西高等学校での授業プリントが母体となっています。


                 〈今〉と〈自分〉が見えてくる!


「世界史ってなんのためにあるの?」
本書の「はじめに」は、いきなりこの言葉から始まります。
著者は、フランス社会経済史学者である小田中直樹氏の著書『歴史学ってなんだ?』(PHP新書)を参考に、次のように世界史を学ぶ意味を3つあげます。
第1に、「事実」としての世界の歴史を知るのは、世界そのものを理解することにつながること。
第2に、世界にはもちろん日本も含まれるので、世界史を学べば日本の歴史をよりよく理解できること。
第3に、「今」を知ることにつながること。
「今」とは、ここにいる自分、と置き換えてもよいとして、著者は次のように述べます。
「すべては他人と比べてみないとわかりません。『今』ここにいる自分自身を知るには、なにか他のものと比べることではじめて見えてくるものなのではないでしょうか。これは言葉を換えてみると、『相対化すること』と言うことができます。自分自身を絶対視してしまうと、自分の悪いところが、そしてまたよいところすらも見えなくなってしまいます。だから、比較することによって自分自身を見つめなおすことができるのです。歴史は、とりわけ世界史は、そのための素材をたくさん提供してくれます」
著者のいうような比較の方法としては、2つのやり方があります。
ひとつは「時間軸をずらす」こと。それによって、「今」の社会とは異なる時代の社会と比較することができます。
もうひとつの方法は、「空間軸をずらす」こと。わたしたちが住む日本とは異なる地域の、社会の仕組み、習慣、伝統などを知ることによって、日本社会の特徴、個性、あるいは欠点を知ることができるというのです。



本書には数多くの世界史に関する本が紹介されています。
特に興味深いのは、第2章「20世紀という時代」です。
「戦争と革命の世紀」と呼ばれた20世紀を振り返る上で、レマルクの『西部戦線異常なし』、ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』、山崎豊子の『大地の子』といった文学作品も並んでいます。
そして、著者が最も衝撃を受けたというV・E・フランクルの『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』が紹介されています。
心理学者であったフランクルアウシュヴィッツで起こった悪夢を客観的に描写したこの本を著者は大学時代に読んだそうです。
そして、本気で吐き気をもよおし、読み終わった後は放心状態になったそうです。
読書をして、そんな経験をしたのは後にも先にもこの時だけだったと当時を振り返り、著者は次のように述べます。
「ここには人間が描かれています。極限状態におかれた人間の姿が描かれています。地位や身分や名誉や、それまでに積み重ねてきたものや性別や生まれなど、もろもろのものがすべてはぎとられ、生身のリアルな人間の姿がそこにはあります。どれほど人間は醜くなれるのでしょうか、そしてまたどれほど人間は美しくなれるのでしょうか。『人間はいかに生きるべきであるか』――これは、学生時代から今にいたるまでずっと考え続けているぼくの人生のテーマですが、それに対して真正面から答えてくれたのがこの本でした。絶望と希望、まさに現代社会に生きるわれわれが直面し、そして抱えてゆかねばならないこの二つの原則と取り組むには最高の本となるでしょう。そして『人間とは何か』という問いかけに対しても大きなヒントを与えてくれるでしょう」



著者には、かねてから持論がひとつあるそうです。
それは、「すべての学問は“人間とは何か”という問いかけに答えるためにある」というものだとか。これは文系、理系に関係なく、すべての学問に当てはまるのではないかとして、「みなさんはどう思いますか?」と著者は読者に問いかけます。
わたしは、著者の意見とおおよそ同じなのですが、少しだけ違います。
わたしは、あらゆる学問はもちろん、政治も経済も法律も教育も医療も芸術も宗教も、とにかくありとあらゆる人間の偉大な営みは、ひとつの目的を持っていると思っています。
その目的とは、「人間を幸せにする」ということです。
「人間とは何か」という一種の自分探しではなく、「人間を幸せにする」という方法論の模索です。本書からも、人間を幸せにするために歴史を学ぶヒントを与えてもらいました。
「世界史って、こんなにも面白いものだったのか!」と知的好奇心を刺激されました。
そして、ますます世界史が好きになりました。
高校の授業で世界史を選択している長女にも、本書を推薦したいと思います。


2010年9月9日 一条真也