「悪人」

一条真也です。

話題の映画「悪人」を観ました。
吉田修一の原作は、「朝日新聞」に連載され、毎日出版文化賞大佛次郎賞を受賞しています。また、映画のほうも、モントリオール世界映画祭深津絵理が最優秀女優賞に輝いたことで、脚光を浴びています。
「悪」を描いた作品に興味のあるわたしは、この映画を観るのが楽しみでした。


139分もの映画を観終わったとき、正直言って、期待が大きかっただけにガッカリ。
「悪」を描いた映画としては、「告白」のほうがずっと傑作でした。
ラストなどは泣かせる場面なのでしょうが、わたしの心には何の波紋も起こりませんでした。「あらゆる映画を面白く観る」ことを心がけているわたしとしては、珍しいことです。
しかし、「ネタバレ」とかそういった次元を超えて、事前にストーリーは予告編などで知れ渡っていたわけですし、そこには意外性もヒネリも感じられませんでした。
おそらく、「人間には善人も悪人もいない、いるのは悲しい人だけだ」といったテーマなのだと推察されます。また、この映画のレビューにも、そういった感想が目立ちます。
でも、それだけでは、「それで?」と言いたくなってしまいますね。



李相日監督は、あまりにもステレオタイプな映画作りをしたようです。
特に、岡田将生演じる旅館のドラ息子を中心とした軟派な大学生グループとか、加害者の家族を執拗に取材するマスコミ陣とか、老人相手の健康食品の強制販売などの描写にそれを強く感じました。
せっかく、主人公を演じる妻夫木聡深津絵理は深みのある良い演技をしているのに、2人の周囲の描写の浅さが残念でした。



妻夫木聡は、ブログ「涙そうそう」で書いたように好きな役者です。
そして、この映画でも頑張って、良い芝居をしていたと思います。
しかしながら、どうしようもなくミスキャストに思えてなりませんでした。
外国人記者クラブの共同会見で、台湾の女性記者から「妻夫木さんは、どう見ても善人に見えますね」と公開ダメ出しされていましたが、わたしも、まったく同じ意見です。
いくら金髪にしても、妻夫木聡は悪人には見えませんねぇ。いっそ金髪ということなら、ロンドンブーツ1号・2号の田村亮などがイメージに合うのでは?
あとは、昔、「3年B組金八先生」で暴れまくっていた直江喜一(なつかしい!)みたいな感じの役者がいいと思いました。



また岡田将生も好きな役者ですし、この映画での演技も悪くありません。
わたしは、もともと彼とか三浦春馬とか、色白の美男子が好きなのであります。
といっても、けっしてホモではありませんので、悪しからず。(笑)
岡田将生は、「重力ピエロ」に主演したときから、その存在感に注目していました。
その後、「告白」でのKYな中学教師役、この「悪人」でのドラ息子役など、非常にクセのある役をうまく演じています。考えてみれば、「重力ピエロ」も「告白」も「悪人」も、すべて人間の倫理観を問う問題作ですね。



さて、この映画の舞台は九州です。
博多、久留米、長崎、佐賀などの都市が登場します。
九州は、日本において「10%経済」などと呼ばれています。
映画の中で、博多を若者が憧れる希望に満ちた都会として描き、久留米や長崎や佐賀を絶望的な地方都市として描いていることには違和感がありました。
博多を大都会と思っている人には悪いですが、博多は九州最大の都市ではあっても、全国的には地方都市です。
そこでの若者の遊びっぷりというか、羽目のはずし方も、どことなく中途半端です。
良い悪いは別にして、バブルの頃に東京で学生時代を過ごしたわたしは、東京の本当の「学生遊び人」の凄さというのを身をもって感じました。
慶應義塾高校とか早稲田高等学院とか明大中野高校とか、有名私大の附属高校から上ってきた金持ち連中の派手さといったら、すさまじいものがありました。
また、彼らの父親も誰でも知っているような企業の経営者などでした。
それに比べ、この作品で描かれるドラ息子の学生は、福岡にある私立大学に通い、実家は湯布院の旅館だという。
映画に出てくるドラ息子といえば、「若大将」シリーズでスポーツカーを乗り回す田中邦衛演じる青大将をイメージしてしまうわたしには、少々物足りなかったです。
また、旅館のドラ息子が乗る車こそアウディですが、仲間と繰り出す店もファミレスの延長みたいなパブみたいな店で、まったくゴージャスじゃない。
祝杯をあげる酒も、シャンパンやワインなどではなく、生ビールです。はっきり言って、金持ちの馬鹿息子を描こうとしているわりには、設定がショボすぎるのです。
被害者の女性が正月旅行で遊びに行きたかったという場所が、海外のハワイなどではなく、大阪のユニバーサルスタジオというのも、なんか中途半端な印象です。
そう、この映画は何もかもが中途半端なのです。そして、その中途半端さは、九州そのものの中途半端さを揶揄しているように思えて、わたしは不愉快になりました。
東京の若者なら出会いの場がたくさんあっても、地方都市の若者には「出会い系サイト」くらいしか欲求不満の解消法はないのだといったようなメッセージにさえ受け取れるように思い、そこに地方蔑視の意識すら感じてしまいます。
もちろん、これらの設定そのものは、映画というより原作小説に拠っているのでしょうから、監督や脚本家の責任ではないでしょうが。



最後に、映画における企業の描写について考えさせられました。
被害者の女性が勤めていた保険会社などは特定できないのですが、深津絵理が演じる女性が勤務する紳士服量販店は実名で出ていました。
でも、この女性は殺人犯の逃亡を幇助するという役どころです。
最後に、主人公の悲しい機転というか思いやりで、彼女は共犯者ではなく、あくまで連れ回された被害者でいることができましたが。
この紳士服チェーンは福岡の天神に本社を置き、九州全域で営業展開する実在の会社です。他人様の会社をどうのこうの言うのはわたしの主義ではないのですが、なぜ、この会社が実名で映画に登場したのか、まったく理解に苦しみました。
会社の宣伝というのであれば、まったく逆効果ではないかと思うのですが。
その反対に、加害者の祖母を執拗なマスコミから救う運転手が登場する長崎バスなどは良いイメージを残しました。
じつは少し前に、わが社のホテルに映画のロケ撮影の依頼が来ました。
川本三郎原作の「マイ・バックページ」という作品でしたが、偶然にも主演は妻夫木聡でした。彼は高度成長期のジャーナリストの役だというのです。
企画の担当者と相談の結果、わたしはロケ撮影を受ける決心をしましたが、その後、その企画そのものが保留になりました。
自社が撮影に使われる場合、何でもかんでも許可するわけにはいきません。
安易な決断は、企業イメージを損なうからです。以前も、わが社のホテルで映画やテレビのサスペンス・ドラマなど、いくつか撮影の打診がありましたが、例えばそれが殺人事件の舞台といったような場合、必ずお断りしてきました。



なんだか、どうでもいいようなことを長々と書いてしまったように思います。
とにかく、この映画は、わたしにとってストレスの溜まる映画でした。
作品のディテールの中に、「?」と思えるチグハグな部分も目立ちました。
この映画に関しては、深津絵里のみが受賞したという事実がすべてだと思います。
でも、原作はそれなりに評価されているわけですから、おそらくは脚本家や監督の感性にも問題があるのでしょう。こうなったら、原作を読んでみなければなりませんね。


2010年9月26日 一条真也