我喜屋優監督

一条真也です。

沖縄に来ています。
興南高校我喜屋優理事長、いや同校野球部の我喜屋優監督にお会いしました。

今年、史上6校目の春夏連覇を達成し、いまや「時の人」です。
沖縄だけでなく、日本中のヒーローと言ってもよいでしょう。


                      我喜屋優監督と


産経新聞」で9月28日〜30日に3回にわたって「話の肖像画」というコーナーに我喜屋監督が取り上げられていました。
第1回目の冒頭で、「春夏連覇で地元の歓迎ぶりはすさまじかったです」という記者の言葉に対して、我喜屋監督は次のように述べています。
「学校の体育館で優勝報告をした時、オジー、オバーが涙を流して祝福してくれる姿を見て、改めて連覇の重みを実感し、感激しました。夏の大会はちょうど沖縄の慰霊の日のころ始まるので、夏の甲子園=慰霊の日という思いが、県民の心にあるのでしょう。高校野球で優勝することが、沖縄の人々の心の文化作りだったと思います」
もともと夏の甲子園の開催時期を「お盆」の時期としたことは、太平洋戦争における戦没者の供養の意味があったのとされています。
選手たちが坊主頭を義務づけられているのも、彼らを僧侶に見立てるためだとか。
夏の甲子園とは国民的慰霊祭であるという本質を、監督は熟知しておられます。
わたしは拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)で、わたしたちは死者に支えられて生きているのだと書きましたが、おそらく我喜屋監督はそのことも知っています。
春夏連覇の偉業の裏では、多くの死者たちの支えがあったのかもしれません。


               「礼」を重んじる考え方に感銘を受けました


死者を供養することは「礼」の基本です。沖縄は「守礼之邦」です。
我喜屋監督は、選手たちにも一貫して「礼」の教育を行ってきました。
監督が初めて野球部の寮に行ったとき、非常に驚いたそうです。
整理整頓はできていないし、残飯の山が残されていたからです。
監督は、まず選手たちの生活から変えなければと思ったとか。
起床時間を守るとか、食事を残さないとかの約束事をきちんと守れる選手は、グラウンドでも手を抜きません。それから、毎朝6時に起きて15分間散歩をするようにしました。
我喜屋監督は、この散歩に意味を持たせ、「散歩しながら何かを見て感じてこい」「ゴミが落ちていたら拾ってこい」と選手たちに命じたそうです。

             
                  貴重なお話をお聞きしました


散歩が終わると、感じたことが各自に1分間でスピーチさせたそうです。我喜屋監督は次のように述べます。
「ゴミ拾いも大事。ゴミが落ちているのは、捨てた人の心のミスかもしれないし、間違って落としたのかもしれない。でも現実的にゴミが落ちていることは、だれかが犯したミスを見つけてしまったわけだから、それをカバーするのが見つけた人の責任。見て見ぬふりをすると、今度は後ろの人に迷惑をかける」
我喜屋監督は、野球もまったく一緒だと言います。投げた選手が悪送球したから相手がセーフになったと思うのではいけません。
自分が全力でボールを受け止めれば悪送球した選手のミスもカバーできるし、進塁を防ぐこともできるのです。
「一つのミスは次の人がカバーしろ」というのが我喜屋監督の野球であり、それをゴミ拾いから選手たちに教えたわけです。
しかし、選手たちのゴミ拾いによって隣りにあるわが社の結婚式場は大変助かっているわけです。今日は、そのお礼も丁重に申し上げました。



選手たちが自然にゴミ拾いができて、1分間のスピーチもできるようになったとき、嫌なことをすべて克服する喜びを知りました。
そして、この成功体験が「気づき」を生み、それが野球にもつながったのです。
「早くカバリングしなければ」「すぐバント守備をしなければ」と瞬時に気づくようになったのです。監督いわく、「第六感が働き、無意識に野球ができるようになったのです」
これは、陽明学でいう「知行合一」の境地に近いと思います。まさに、わが社のようなホスピタリティ・サービス業に最も必要なものこそ「気づき」です。


              『孔子とドラッカー』に目を通す我喜屋監督

            孔子ドラッカーについて話させていただきました


我喜屋監督は、わたしは大学の客員教授として「孔子研究」「ドラッカー研究」を教えていることに興味を持たれ、いろいろと質問されました。そこで、拙著『孔子とドラッカー』(三五館)をお渡しし、しばし孔子ドラッカーについてお話させていただきました。
わたしが、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』の話題に触れると、意外にも監督は高校野球を題材としたそのベストセラーの存在を知らず、ドラッカーにもあまり関心があるようには見えませんでした。
それよりも監督は、「礼」を尊重する孔子の思想に御関心がおありのようでした。
ならば、『もし甲子園の優勝監督が『論語』を読んだら』という本を書こうかなあ。(笑)



我喜屋監督の指導は技術うんぬんというよりも、徹底して「精神」に重きを置いています。監督は次のように言います。
「私の野球は、マウンドでもバッターボックスでも、だれも助けてくれない――というものです。必要なのは精神力の強化です。気持ちが後ろ向きだと人間、駄目になる。だから、気持ちがしっかりした子供を育てないといけない。精神力をつけるためには、細かいことや嫌なことを黙々とできなければいけない。技術を伸ばすのも精神力、実力を表に出すのも精神力、精神力の養成が一番大切なのです」
わたしは、この我喜屋監督の発言を知って、感動しました。
ここまで、「精神力」の大切さを真剣に訴える日本人が、いま、他にいるでしょうか?
ビジネスの世界、いやスポーツの世界でも、「精神論ではダメ」といった言葉をよく聞きます。野球においても、「精神力」などは時代遅れで、やれ「IQ野球」とか「科学野球」とかいった小賢しいキーワードが踊っています。
しかし、野球も人間が営みである以上、「精神」がすべての核となるのは当然です。
我喜屋監督が率いる興南野球が春夏連覇したことは「精神力」の重要性を再確認させてくれる快挙ではないでしょうか。



新聞インタビューの最後に、我喜屋監督は次のように語っています。
「野球の試合はその日で終わるが、人生のスコアボードは一生終わらない。人生のスコアボードの勝者を目指してがんばってほしい」
人生のスコアボード・・・・・素晴らしい言葉だと思います。わたしたちも、人生のスコアボードの勝者となって、胸を張って、この世を卒業していきたいものですね。
我喜屋監督、今日はお会いできて光栄でした。
史上初の春・夏・春の3連覇を期待していますよ!


2010年10月8日 一条真也