読売新聞

一条真也です。

読売新聞社の記者である堀家路代さんから封筒が送られてきました。
堀家さんは、先日わたしを取材して下さった方です。
ブログ「人生の卒業式」で紹介したように、10月4日付「読売新聞」夕刊一面に掲載の「この人 この一言」で取り上げて下さったのです。
封筒を開くと、新聞が2種類入っていました。当日の夕刊の3版と4版です。
タイトルこそ「葬儀は、人生の卒業式」と同じですが、読むと内容が微妙に異なります。


                   こちらが3版

                   こちらは4版


まず、最初の出だしから両者は違います。
3版は「書店に積まれた一冊の本が、どうしても許せなかった」ですが、4版は「書店に積まれた一冊の本が、気になって仕方なかった」となっています。
また、最終段に「散骨、宇宙葬と“旅立ち”の演出は多様化した。」との一行がありますが、それに続く文章が違います。
3版では、「一方、地縁血縁が薄れ、見送る者もいないまま世を去る人も増えた。誰が参列してくれるだろうか。惜しい人を亡くしたと、心から悲しんでもらえるだろうか。昨夏、自分の葬儀をイメージしてもらおうと、死に装束などを書き込める『思い出ノート』(現代書林)を監修した。」
4版では、「『葬式も時代に応じて変わらなければ』という思いは強い。費用が高く、華美になり過ぎた今の葬式に疑問を投げかける島田氏の意見を、一方的に切り捨てるつもりはない。ただ、人を見送る最後の儀式の大切さは、これからも変わらないと信じる。」



当日、わたしが実際に手に取ったのは4版でした。また、ブログで紹介したのも4版です。しかし、こうやって比べ読みしてみると、明らかに3版のほうが達意の文章です。
「気になって仕方なかった」よりも「どうしても許せなかった」のほうがシンプルで力強いですし、「地縁血縁が薄れ、見送る者もいないまま世を去る人も増えた」という一文は絶対に外せないと思います。なぜ、3版をそのまま生かさず、4版の文面を改変したのか、わたしにはよく理解できません。
3版では、『思い出ノート』に触れてくれたことも嬉しかったです。
これは「自分史ノート」と葬儀準備のための「エンディングノート」を組み合わせた究極の「終活」ノートとして非常に好評をいただき、現在は5刷となっています。
高齢者の方々を対象に、『思い出ノート』を書き込むための講習会なども開催され、多くの人でにぎわっています。
ブログ「決定版『終活』ガイド」にも書いたように、人生の最期を自分でデザインする時代になってきました。自分の葬儀の場面を具体的にイメージすればするほど、死ぬのが怖くなくなってくる。これは、わたしの持論です。
これからも、多くの方々が「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を自然に抱き、心ゆたかに生きていけるお手伝いをさせていただきたいと願っています。

 
                    究極の「終活」ノート


2010年10月15日 一条真也