死後のブログ

一条真也です。

11月18日は、わが社の創立44周年記念日でした。
その日の「朝日新聞」の朝刊で、ノンフィクションライターの黒岩比佐子さんの訃報を知りました。一度お会いしたいと願っていた方だったので、まことに残念な訃報でした。


               11月18日付「朝日新聞」朝刊より


黒岩さんは、趣味の明治時代の古書収集を生かして多くの名著を書かれました。
『「食道楽」の人 村井弦斎』(岩波書店)はサントリー学芸賞を、『編集者 国木田独歩の時代』(角川選書)では角川財団学芸賞を受賞されました。
昨年11月にガンが見つかりましたが、治療を受けながら、社会主義者堺利彦の評伝『パンとペン』を10月に上梓されたばかりでした。
わたしは、黒岩さんにお会いしたことはありませんが、非常に親近感を感じていました。
なぜなら、このブログにも最近よく登場する「サロンの達人」こと佐藤修さんの親しい友人だったからです。佐藤さんは、「コモンズ書店」というネット書店を開かれていますが、その専属作家は黒岩さんとわたしの2人だけでした。
奇しくも、佐藤さんのHPのブック・コーナーには、黒岩さんの遺作となった『パンとペン』と拙著『140字でつぶやく哲学』(中経の文庫)が並んで紹介されています。


                   佐藤修さんのHPより


そんなわけで、黒岩さんには身内意識のようなものがあったのです。
また、佐藤さんと久々にお会いしたのも黒岩さんの影響がありました。
9月25日、池袋にある立教大学の生協の書店に入ったら、『古書の森 逍遥』(工作舎)という黒岩さんの著書が目に入り、購入しました。
古書店通いで出会った魅力的な雑書の数々を紹介した本ですが、佐藤さんのブログに、よく著者の黒岩さんのことが書かれていたので興味が湧き、購入しました。
それで、佐藤さんのことを思い出したので電話をしてみました。すると、佐藤さんは非常に驚かれて、「あれ? ちょうど今、あなたのことを話していたところなんだよ!」と言われるのです。ということは、わたしたちは同時に互いのことを考えていたわけです。



まさに、シンクロニシティ共時性)と呼ばれる現象です。
これは心理学者ユングの唱えた概念ですが、作家コリン・ウィルソンは「シンクロニシティとは、宇宙の意志である」といったようなことを述べています。
ならば、わたしたちが同時に互いのことを思い出したのは天の意志であり、何としても佐藤さんに会いに行かなければなりません。というわけで湯島にある佐藤さんのオフィスを訪問した結果、わたしは学生さんたちへのメッセージ・ブックに寄稿したり、「自殺のない社会」をテーマにしたフォーラムに出て発言することになりました。
やはり、何らかの天の意志があったのかもしれません。
そして、忘れてはならないことは、そこに黒岩さんの著書の存在があったことです。
もしかすると佐藤さんとの再会は、黒岩さんの見えない計らいだったのかもしれません。


                  黒岩比佐子さんのブログより


当然ながら、佐藤さんは黒岩さんの急逝を深く悲しんでおられます。自身のブログにも、「追悼」、「生命の価値」、「じゃあ、またあした!」などの追悼記事を書かれています。
ところで、「黒岩比佐子さんのブログ」を覗くと、壮絶な闘病生活の様子が伝わり、胸が締め付けられます。聖路加病院に転院されて、わずか3日目の逝去でした。
お亡くなりになる数日前から、ご近所の方、同期の方、そして後輩の方などが本人の代筆でブログを書いています。そして、驚くべきことに、黒岩さんが亡くなられてからも、そのブログは続いているのです。黒岩さんの近くにおられた隣人や友人たちが、彼女の代わりにブログを代筆しているのです。
哲学者の池田晶子さんが亡くなられた後、彼女の著者が出版されたとき、「著者が死んでも本は出る」というコピーが帯に書かれていましたが、まさか死後のブログとは!


                   本人の死後も続くブログ


わたしは、死後も続いている黒岩さんのブログに心の底から感動しました。
なぜなら、本人がいなくなった後もブログが書かれるには、ゆたかな人間関係がなければ不可能だからです。亡くなった本人も、自分と考え方のまったく違う人に自分のブログを書かれるのは嫌なはずです。また、書くほうにしても、故人の考え方をしっかり理解しているという自信と覚悟がなければ書けないはずです。
わたしの場合に置き換えても、いま、わたしが死んだら、誰がこのブログを代りに書いてくれるでしょうか? そう考えたとき、とても黒岩さんが羨ましくなりました。
そして、死後のブログという事実を目の前にして、ブログとは故人への追悼儀礼となり、供養となり、さらには故人からの死後通信にもなりうるのではないかとさえ思いました。



故人とのコミュニケーションという視点では、佐藤修さんの「節子への挽歌」が見事な実例と言えるでしょう。なにしろ、佐藤さんは最愛の奥様を亡くされてから、1日も欠かさず、なんと1175日間も彼岸の奥様へ向けてブログを書かれているのです。
亡くなった方のことを思い出すことは、故人にとって一番の供養だと思います。
毎日、仏壇に手をあわせて故人を思い出す人はたくさんいるでしょう。
しかし、佐藤さんは毎日、仏壇で祈った後で奥様宛のブログを書くのです。
こんなにも深く奥様を愛していた人は、ちょっといないのではないかと思います。
わたしは、佐藤さんの奥様への挽歌ブログは、もはや供養の「かたち」として前人未到の域に達しているのではないかと思えてなりません。



そして、ブログというスタイルを取っている以上、佐藤さんの言葉は奥様にだけ届いているのではありません。不特定多数の人々のもとに佐藤さんの言葉は届いています。
その中には、愛する人を亡くした人もおられることでしょう。
そして、その人々は佐藤さんの挽歌ブログを読み、悲しみを癒されていることでしょう。
そう、佐藤さんも「ブログは多くの人へのプレゼントです!」という記事に書かれているように、ブログとは心の贈り物なのです。
わたしは、よく、「一条さんはプロの書き手なのに、あんなに無料ブログをたくさん書いてもいいんですか?」などと言われたりします。しかし、ブログはタダだからいいのです。
そこに「贈与」という幸福な営みが生まれるからいいのです。贈与とは、贈る側も贈られる側も幸せになれる行為です。そして、まさにブログとは贈与なのです。



それにしても、ブログというコミュケーション・ツールがここまで人と人との心を結びつけるとは思いませんでした。今でこそ毎日ブログを書いていますが、わたしは、もともとブログが嫌いでした。自分の正体を明かさずに、他人の誹謗中傷を書き散らす、「匿名ブログ」には現在でも強い嫌悪感を抱いています。
しかし、ブログが新しい「心の社会」を拓き、新しい人間関係を作っていることも事実だと思います。Webという電子空間を媒介とする「電縁」が、たしかに存在しているのです。


                  佐藤修さんの「節子への挽歌


ちなみに、黒岩さんは佐藤さんの亡くなられた奥様とも親しく、よく3人で食事をされたそうです。おそらく、うつし世で黒岩さんと佐藤さんの奥様は再会されていることでしょう。
それにしても、黒岩さんは、なんと、幸福なライターだったのでしょうか。今度、黒岩さんの著書を担当した3人の編集者が故人の思い出を語るトークショーを開くそうです。
10冊目の著書であり、遺作となった『パンとペン』の初版が刷り上ったとき、黒岩さんが愛しそうに本を抱き上げている写真がブログに掲載されています。黒岩さんは、「わたしがいなくなっても、この孝行息子が頑張ってくれる」と言われたそうです。
その言葉をブログで読んだとき、目頭が熱くなりました。



わたしにも、何十冊もの子どもたちがいます。黒岩さんの息子さんたちのように優秀ではありませんが、やはり、どの子も、わたしにとっては可愛いわが子です。
そして、彼らはわたしの墓でもあると思っています。
本を1冊出すたびに、わたしは、いつも「また、墓を1つ建てた」と思うのです。
そう、著書というのは、著者が生きた証に他なりません。
どんな本であろうが、それは書いた人間にとっての墓碑銘ではないでしょうか。
わたしは、本を書くたびに、死ぬのが怖くなくなっていくような気がします。
黒岩さんも、おそらくは10冊の息子さんたちの存在によって、死への恐怖が和らいだのではないかと思います。多くの孝行息子に恵まれ、ゆたかな人間関係に恵まれた黒岩さんは、52年の生涯を全うされ、今月17日に堂々と人生を卒業していかれました。
黒岩比佐子さんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。



( ここまで書いた後、ふと佐藤さんのブログを覗いてみたら、わたしのことが書かれていました。「社会の基本は血縁や地縁です」という記事で、わたしのブログ記事を紹介していただいています。なんだかお互いにブログの応酬みたいですが、これも、黒岩比佐子さんのお導きかと思います。)


2010年11月21日 一条真也