コラム(有縁社会)

一条真也です。

おかげさまで、このブログも777本目、ラッキーセブンです!
しかも開設以来、今日で300日目を迎えました。なんとか毎日更新しています。
さて、いま金沢のホテルの部屋でブログを書いていますが、新しい「中外日報」が送られてきました。リレーコラム「時感断想」連載第2回目のコラム掲載紙です。
今回のタイトルは、「無縁社会から有縁社会へ」です。


わたしは、いま、「無縁社会という言葉を使うのはやめよう!」と訴えています。
「言霊」といわれるように言葉には魂が宿ります。
そして、「無縁社会」とは呪いの言葉に他なりません。
もともと、「無縁社会」という日本語はおかしいのです。
なぜなら、「社会」とは「関係性のある人々のネットワーク」という意味です。
ひいては、「縁ある衆生の集まり」という意味なのです。
「社会」というのは、最初から「有縁」なのです。ですから、「無縁」と「社会」はある意味で反意語ともなり、「無縁社会」というのは表現矛盾なのです。


どうも、「無縁社会」という言葉には、心霊番組「あなたの知らない世界」のように、無理矢理に人を怖がらせようとする意図があるように思えます。
というのも、NHKの一連の番組作りを見ていると、どうも、そこには「絶望」しかないように思えるのです。どう考えても、「希望」らしきものが見当たらないのです。
いたずらに「無縁社会」の不安を煽るだけでは、2012年に人類が滅亡するという「マヤの予言」と何ら変わりません。それよりも、わたしたちは「有縁社会」づくりの具体的な方法について考え、かつ実践しなければなりません。
もともと「無縁」も「有縁」も仏教用語だとされています。
中外日報」は多くの仏教関係者が読む新聞ですので、わたしのメッセージが少しでも理解していただけることを願っています。


2010年12月10日 一条真也