グレート・ダディ

一条真也です。

伊藤忠商事の九州支社長である高嶋正次さんが小倉に来られ、松柏園ホテルで打ち合わせをしました。その後は、忘年会として松柏園で夕食を御一緒しました。
高嶋さんはサンレーグランドホテルのある八幡西区則松のご出身ですが、明治学園中学から小倉高校、そして一橋大学から伊藤忠商事に入社され、石油関連の仕事などをされてきました。そう、わたしの高校の先輩なのです。高嶋さんの弟さんは東筑高校から一橋大学三菱商事に入社されました。とても優秀なご兄弟なのです。


                       高嶋正次さん


高嶋さんは九州支社長になられてすぐの2008年3月、トルコとドバイを訪問する経済視察団に参加されました。JR九州の石原進会長が団長でしたが、そのとき、わたしも参加したのです。高嶋さんには、いろいろと大変お世話になりました。
たしか飛行機の中でも隣席になり、いろんなお話をさせていただきました。
現役バリバリの商社マンでありながら、幅広い教養を持っておられ、特に石油ビジネスを通じて体験されたイスラム教についてのお話など、非常に参考になりました。
とても気さくな先輩で、不遜ながら、わたしは長いお付き合いになる予感がしました。
実際、その後、伊藤忠商事丹羽宇一郎会長(当時)を紹介していただきました。
また、九州支社の関連会社からなる「藤州会」の講演会の講師として呼んでいただいたりもしました。本当に、ひとかたならぬお世話になりました。


                 ドバイのホテルで、高嶋さんと

                 伊藤忠商事「藤州会」での講演


高嶋さんは、最初の奥様と、わが社の松柏園ホテルで結婚式を挙げられました。
しかし、とても残念なことに奥様は若くしてお亡くなりになられました。
そのとき、2人の娘さんがいましたが、上のお嬢さんは小学2年生、下のお嬢さんはまだ幼稚園児だったそうです。どれだけの御苦労があったか、わたしなどには想像もつきません。上のお嬢さんが高校生、下のお嬢さんが中学生の頃、シンガポールに転勤が決まりました。男手ひとつで2人の娘さんを育てていた高嶋さんは、親子3人でシンガポールに赴任されたそうです。シンガポール行きの飛行機の中では、なぜか石原裕次郎の「北の旅人」が流れていました。常夏の国に飛んでいる時に聴いたので、印象的だったとか。
二次会で訪れた店で、高嶋さんは思い出の「北の旅人」を歌ってくれました。


2008年の秋、高嶋さんは再婚されることになりました。
奥様はラジオ局に勤務の才色兼備の素晴らしい方でしたが、明治学園の同窓会で知り合われたそうです。結婚披露宴にはわたしも招待され、とても楽しみにしていたのですが、そんな矢先にお父様がお亡くなりになられました。
葬儀は、わが社の北九州紫雲閣で執り行われました。
それで披露宴の時期は少し延期されましたが、2009年の春、晴れて行われました。
わたしも参列させていただきましたが、ホテル日航福岡で行われた披露宴は非常に心あたたまる素晴らしいお祝いの会となりました。



高嶋さんは新郎の謝辞の中で、お父様のご逝去に触れられましたが、わざわざ後輩であるわたしの著書の中の「死は最大の平等である」という言葉を紹介して下さいました。
わたしは驚くとともに大変嬉しかったのですが、本当は「結婚は最高の平和である」という言葉を紹介してほしかったです。その日、幸せそうな奥様の様子と、新しいパートナーを得たお父さんを嬉しそうに見守る2人のお嬢さんの笑顔が忘れられません。
上のお嬢さんは一橋大学に入学後、現在は青山学院の大学院に通われています。また、下のお嬢さんは日本女子大に通われているそうです。
男手ひとつで育てたばかりか立派な大学に入学させることができた高嶋さんを、わたしは心から尊敬します。わたしにも2人の娘がいますが、もし高嶋さんのような状況になったとき、わたしなら絶対にギブアップしたと思います。最後までしっかりと父親としての役目をまっとうされた高嶋さんは偉大なる父、「グレート・ダディ」です!



高嶋さんは、最後に玉置浩二の「メロディ」を素晴らしい歌唱力で歌われました。
この歌の歌詞には、高嶋さんのこれまでの人生が反映されているような気がしました。
波乱万丈の人生を送られながらも、いつも笑顔を絶やさず、けっして絶望せず、前向きに仕事人として家庭人として全力を尽くしてこられた高嶋さん。
わたしは、もちろんビジネスマンとしてもそうですが、父親としての高嶋先輩に大いに学び、父親として真摯に娘たちに向き合いたいと思いました。
高嶋さん、今日は、ありがとうございました。これからも、いろいろと御指導下さい。


2010年12月15日 一条真也