宮ぷーと赤い花

一条真也です。

ブログ「かっこちゃん」で紹介した山元さんから、早速メールを頂戴しました。
入院中の宮田さんへの花束をお預けしたのですが、賀詞交歓会の後、山元さんはわざわざ病院まで行って、宮田さんにお渡ししてくれたそうです。


                     宮田さんと花束

                  これを読んだとき、涙が出ました


山元さんは、わたしが贈ったメッセージカード付きの花束と宮田さんが一緒に写った写真をメールに添付して送って下さいました。
そのカードには、「宮ぷーへ 早く元気になってくれること、満月を見ながら祈ります。 一条真也」と書きました。宮田さんは、とても喜んで下さったそうで、なんと、わたし宛てに「いちじょうさん ありがとう」というメッセージをレッツ・チャットに打って下さいました。
それを見たとき、わたしは涙が出ました。
こんなとき、泣かない人はいないでしょう。
出版界の青年将校」こと三五館の中野長武さんは、これまで涙を流したことがないそうです。でも中野さんだって、このシチュエーションではきっと泣くと思います。



今日は、山元加津子さんがわざわざわが社の賀詞交歓会にお越し下さり、本当に嬉しかったです。じつは、わたしは、山元さんがお一人で来られて居心地が悪いのではないかとずっとパーティーの間中、気がかりでした。
わたしの挨拶も胸がつまって上手にできませんでした。
というのも、今年からいよいよ「隣人の時代」が始まったという話をしました。
そのとき、例のタイガーマスク運動について触れたのです。
もともと、わが社は毎年11月18日の創立記念日に、北九州市内の老人施設にお菓子などをお配りしたり、児童養護施設にお菓子や文房具などをお配りしています。
児童養護施設には、親がいないお子さん、または何らかの事情で親と離れて暮らしているお子さんが生活しています。文房具なども不足しがちなようです。
あるとき、クレヨンのセットをお配りしたことがあるのですが、しばらくして社長であるわたし宛にお礼状と1枚の絵が届きました。



その絵には大きな赤い花が描かれていました。
手紙を読むと、そこには次のような内容が書かれていました。
「今までクレヨンのセットが園に1つしかなかったので、赤などはすぐ減ってしまって使えませんでした。私は赤い花の絵が描きたかったのですが、描くことができませんでした。サンレーさんが新しいクレヨンをたくさんプレゼントしてくれたので、やっと描くことができます。最初に描いた絵は、社長さんにプレゼントします」
わたしは、この手紙と赤い花の絵を前にして涙がとまりませんでした。
このモノ余りの世の中で、このお子さんたちはなんとモノを大切にし、また感謝の気持ちというものを持っているのだろうと思って感動したのです。いくら親がいても感謝の気持ちを持たず、わがまま放題の子どもはいくらでもいます。わたしは、このお子さんたちを育てている園の先生たちに心から尊敬の念を抱きました。
そのことを思い出したとき、胸にこみ上げるものがありました。
それで、挨拶がうまくまとめられなかったのです。



まあ、そのときは何とか涙をこらえましたが、宮ぷーからのレッツ・チャットのメッセージを見たときは、たまらず泣きました。
山元さんはわが社の社員やお客様をはじめ、誰とでも気さくに話していただきました。
また、賀詞交歓会の最後まで居てくださって、すごく感激しました。
帰宅された後、山元さんから届いたメールには次のように書かれていました。
「私は今日、何度も父のことを思いました。父がそばできっとよかったねと笑っていると思いました。父がそして大好きな星山さんが出会わせてくれた一条さん。どうぞこれからも、私をお友達に加えてください。お願いします」
山元さん、こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。
じつは、山元さんのお父様の葬儀を担当させていただいた担当者も、挨拶をさせていただいたようです。山元さんはとても嬉しそうに彼と話しておられました。
今夜は、多くの人たちの心がつながりあった素敵な一夜でした。
これも、見えない姿で山元さんを守っておられるお父様のおかげです。
そして、三五館という「こころの出版社」を経営される星山社長のおかげです。
山元さんのお父様、星山社長、ありがとうございました。


2011年1月12日 一条真也