最後まで笑顔

一条真也です。

ブログ『泣いて生まれて笑って死のう』で、「笑い」の大切さについて書きました。
今日の「スポーツ報知」紙を読んで、改めて「笑い」の素晴らしさを知りました。
8日に肺炎で亡くなった横澤彪(よこざわたけし)さん(享年73歳)の通夜の記事です。


               「スポーツ報知」2011年1月14日号


その記事には、「最後まで笑顔」と大きく書かれていました。
亡くなられた横澤さんは、フジテレビの元ゼネラルプロデューサーで「オレたちひょうきん族」などを手掛けた人です。
お笑いブームの最大の仕掛け人であり、日本中を「笑い」の渦に巻き込みました。
フジテレビ退職後は、吉本興業に入社。
同社の常務東京本社代表、専務取締役東京本部本部長を歴任しました。
ちなみに、『泣いて生まれて笑って死のう』で著者の昇氏は不治の病とされるガンに立ち向かう知恵を紹介しています。
その最大の方法こそは笑うことです。笑うと、ガン細胞を直接攻撃するリンパ球である「NK細胞」が活性化されるというのです。
そして、「NK細胞」の「NK」とは本来は「ナチュラル・キラー」という意味ですが、昇氏は「なんば花月」という意味でもあると述べています。
「なんば花月」とは、吉本興業の「お笑い」専門劇場のことですね。
横澤さんの人生とは、文字通り、お笑い文化の普及に努めた人生でした。



13日、横澤さんの通夜が東京・大田区池上本門寺で営まれました。
通夜には、じつに約1000人が参列しました。
田中康夫松金よね子笑福亭鶴瓶ビートきよし兵藤ゆき蛭子能収松村邦洋松尾貴史つのだ☆ひろ氏神一番ブッチー武者杉田成道、中山秀征、松本明子、東貴博小宮孝泰毒蝮三太夫山村美智などが姿を見せたそうです。
タモリビートたけし明石家さんまの“お笑いビッグ3”は姿を見せませんでした。
関係者によると、タモリは12日に横澤さんの自宅を訪れ、対面したそうです。
また、ビートたけし明石家さんまの2人からは花が届けられました。



遺影は、横澤さん本人が選んだ豪快に笑う写真でした。
横澤さんは2006年に悪性リンパ腫を患って以降、自ら遺影の写真を選び、その都度差し替えていったそうです。自身の最期に対する覚悟があったのですね。
実際の通夜で使われた写真は、いかにも「お笑い仕掛け人」らしい遺影だと思います。
遺影は、とても大切です。最期のセレモニーに飾られた故人の写真は、参列者の心に故人のイメージを強く焼き付けます。
その後、参列者は故人を思い出すとき、遺影の姿を心に浮かべることが多いのです。
わたしは、改めて、「笑顔の遺影って、いいなあ」と思いました。
なんだか故人が、「それじゃ、お先に行ってきます!」と言っているみたいですね。
日本中の多くの人々を笑わせてきた横澤彪さんの御冥福を心よりお祈りいたします。
 

2011年1月14日 一条真也