揺れる葬祭

一条真也です。

春場所が中止になりそうですね。ブログ「両国にて」を書いて以来、「相撲協会に直訴に行った男」とか「どすこいさん」などと呼ばれて戸惑っています(苦笑)。
今朝の「日本経済新聞」の文化面に「揺れる大相撲」といった特集記事でも出ていないかと思って開いてみたら、「揺れる葬祭」という記事が出ていました。ギャフン!


                 「日本経済新聞」2月5日朝刊より


記事の冒頭には、次のように書かれています。
「伝統的な葬祭文化が揺れている。寺院からの檀家離れ、高齢化・無縁社会化が進んでいるためだ。葬送の形も多様化し、簡素化する中で、葬式不要論のベストセラーが反響を呼んだ。葬儀に対する現代人の意識は大きな転換期を迎えている」
ざっと記事を読んだところ、イオンの参入、仏教界の反発、葬式不要論、無縁社会直葬、さらには「千の風になって」など、非常に広く目配りしているという印象でした。
またしても、島田裕巳氏の『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)と並んで、その反論としての拙著『葬式は必要!』(双葉新書)が紹介されています。
ブログ「葬儀めぐる議論」で紹介したように、「日本経済新聞」2010年9月5日朝刊でも両著は紹介されています。



ただ、今日の記事の最後には、「葬儀が必要かどうかという二項対立的な議論よりも、葬儀の本来の意味を再考し、各人がよいと信じる形で送られることが望まれているようだ」と書かれています。日経新聞編集委員である河野孝氏のこのコメントは的確でもあり、的外れでもあります。
まず、「葬儀が必要かどうかという二項対立的な議論」など重要でないということには賛成です。なぜなら、葬儀は必要に決まっているからであり、必要かどうかという議論の余地などないからです。その証拠に河野氏は「各人がよいと信じる形で送られることが望まれている」と述べていますが、このことがまさに葬送が必要であるということを再確認しているからです。
わたしは、けっして現行の仏式葬儀をすべて良しとしているわけではありません。
葬式は必要!』をお読みになられた方ならおわかりかと思いますが、海洋葬、樹木葬宇宙葬をはじめとしたありとあらゆる葬儀のスタイルを認めています。
葬儀という最期のセレモニーは、一人の人間にとっての「最高の自己実現」であり、「最大の自己実現」です。その最期の儀式スタイルが、各人がよいと信じる形で行われるべきなのは当然ではありませんか!



ちなみに、島田氏が『葬式は、要らない』で批判の矛先を向けたのは葬祭業界というよりも仏教界です。現在、日本の葬儀の約8割が仏式葬儀で行われています。
日経新聞では、次のように「仏式葬儀」について説明しています。
「実際には仏教や儒教神道的な日本古来の死生観が混合している。例えば位牌(いはい)は禅僧が宋から日本に持ち込んだ儒教文化の一つ。今の葬儀の基本は、禅宗で在家のための葬儀法として確立された。
江戸時代に幕府は、キリシタン禁制のため人々が最寄りの寺院で人別戸籍を登録する檀家制度を採った。寺院の寺請け証文がなければ結婚も旅行もできず、強い権限を持った寺院は檀家を経済的基盤として組み込んだ」
さすがは日経新聞! 仏式葬儀について見事に簡潔にまとめていますね。
わたしは、仏式葬儀がこのまま永遠に存続するとは思っていません。
現代日本における葬儀には、もっと多くの選択肢があっていいと考えています。
また、それを団塊の世代が一気に実現してくれるのではないかとも予測しています。
ピーター・ドラッカーは企業繁栄の条件として「継続」と「変化」を挙げましたが、これは企業に限らず、あらゆる文化についても言えることではないでしょうか。
おそらくは、葬祭にも「継続」と「変化」が必要なのです。
要は、変えてはならない部分と変えるべき部分を見極めることが大切です。



仏教界主催の公開シンポジウムにおいて、僧侶で作家の玄侑宗久氏は「個々の人たちにどれだけ寄り添えるかが葬儀では重要」と述べたそうです。
また、玄侑氏は都市部の宗教的浮動層が行う葬儀を全国同一の「葬儀」として論じることに疑問を呈したとか。たしかに、通夜も告別式も行わずに遺体を火葬場に直行させる「直葬」が急激な勢いで増加しているのは東京ですし、香典辞退が普及し始めているのは大阪や京都です。いずれも大都市なのです。
大都市に特有の現象を日本全国の問題として扱うのは無理があるでしょう。
それは無縁社会においても同様で、九州などでは今でも血縁や地縁が根強く残っている地域が多いとされています。九州・沖縄では、まだ「揺れる葬祭」を痛感することは少ないのですが、今後はどうなるかわかりません。
わたしは、まずは日本仏教界が自らの使命と志を確認することが最優先だと思っています。その上で、わたしたち冠婚葬祭業者が仏教界をサポートしていくべきだと思います。
日本仏教の今後について考えるために、いま話題の書『必生 闘う仏教』佐々井秀嶺著(集英社新書)を読むことにしました。


2011年2月5日 一条真也