ハートフル・マネジメント講演

一条真也です。

今日は、16時からホテル日航福岡で講演しました。
主催は「九州メニューフーズSP会」で、食品業界関係の主催で、味の素、キューピー、ニチレイ日清食品といった企業の支店長・部長クラスの方々が中心でした。


                  食品業界関係者に講演しました


じつは、今日は講演前にアクシデントがありました。
小倉から博多まで車で行ったのですが、運転手さんが道を間違えた上に渋滞に巻き込まれ、15時50分の時点で会場から1.2キロ離れた地点にいました。
仕方ないので、そこで車を降り、会場まで全力疾走しました。
ギリギリ15時58分に会場入りできましたが、息は完全に上がってしまいました。
でも、50名を超える方々が真剣な眼差しで講演を聴いて下さいました。
話を始めて数分すると、呼吸も落ち着いてきました。
これまでに講演は数限りなくやってきましたが、こんな滑り込みセーフは初めてです。
運転手さんの責任ではなく、わたしの認識不足、準備不足のせいです。
すべての人間は過ちをおかします。問題は過ちをおかした後の処置です。
論語』には、「子曰く、過ちて改めざる、これを過ちという」との言葉があります。
「過失や失敗は許されるが、それを改めないで繰り返すことは許されず、それこそが真の過ちなのである」という意味です。
わたしは、もう二度と今日のような過ちを繰り返しません!
ということで、今日は非常に反省しました。



さて、講演のテーマは、「心の経営〜ハートフル・マネジメント」でした。
わたしは以下のような話をしました。
2001年10月に冠婚葬祭会社の社長に就任して以来、経営学ピーター・ドラッカーの全著作を精読し、ドラッカー理論のもとに会社を経営していると自負しています。
彼の遺作にして最高傑作である『ネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社)に感動し、これを私個人に対するドラッカーからの問題提起ととらえ、『ハートフル・ソサエティ』(三五館)というアンサーブックを上梓したくらい彼をリスペクトしています。
また、40歳を直前にして「不惑」たらんとし、その出典である『論語』を40回読みました。
古今東西の人物のなかでもっとも尊敬する孔子が開いた儒教の「礼」の精神を重んじ、「礼経一致」をもって会社経営にあたっています。


             ハートフル・マネジメントについて語りました


講演のテーマが「ハートフル・マネジメント」でしたので、『孔子とドラッカー』(三五館)の内容をベースに、以下のような話をしました。
「マネジメント」という考え方は、ドラッカーが発明したものとされている。
ドラッカーの大著『マネジメント』(ダイヤモンド社)によれば、まず、マネジメントとは、人に関わるものである。その機能は、人が共同して成果をあげることを可能とし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることである。これが組織の目的だ。
また、マネジメントとは、ニーズと機会の変化に応じて、組織とそこに働く者を成長させるべきものである。組織はすべて学習と教育の機関である。あらゆる階層において、自己啓発と訓練と啓発の仕組みを確立しなければならない。
このように、マネジメントとは一般に誤解されているような単なる管理手法などではなく、徹底的に人間に関わってゆく人間臭い営みなのである。



今から約2500年前、中国に人類史上最大の人間通が生まれた。
言わずと知れた孔子である。孔子は、「人の道」としての儒教を開いた。
ドラッカーが数多くの経営コンセプトを生んだように、孔子は「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」といった人間の心にまつわるコンセプト群の偉大な編集者であった。
孔子の言行録である『論語』は東洋における最大のロングセラーとして多くの人々に愛読された。特に西洋最大のロングセラー『聖書』を欧米のリーダーたちが心の支えとしてきたように、日本をはじめとする東アジア諸国の指導者たちは『論語』を座右の書として繰り返し読み、現実上のさまざまな問題に対処してきたのだ。
そして、孔子ドラッカーの両者の思想における共通点を説明しながら、「会社は社会のもの」「人が主役」「人はかならず心で動く」ことを訴えました。


                孔子からのメッセージをお伝えしました


「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の中でも、今日はとくに「忠」と「信」について重点的に語りました。なぜなら、今日は食品業界の方々に向けての講演だったからです。薬品業界と並んで、食品業界においては、「忠」と「信」こそ最も求められるべきものだと思います。
まず最初に、「忠」とは何でしょうか。
「忠」は、その字が「心」と「中」から成るように心の中心、つまり真心や誠意のことです。
孔子の時代、忠とは他人に対して、それが目上であろうと、目下であろうと、あるいは異民族の者であろうと、およそ人であるならば、真心から接する態度と考えられていました。忠の本来の意味とは、人に対する誠実さ、対人的なシンセリティの自覚なのです。
日本語あるいは漢字の忠は、英語ではロイヤリティ(loyalty)に相当します。
ブランド・ロイヤリティなどの言葉がマネジメントやマーケティングの世界で使われることも多いですね。しかし、企業やブランドなどの人間でないものに「忠」を言ってよいのかどうかは考える必要があります。
マネジメントにおける「忠」とは、何よりもまず顧客つまりお客様に対する「忠」であるべきだと思います。ドラッカーの言うように、マーケティングの目的とは顧客の創造に他なりませんが、その創造された顧客に対して徹底的に誠を尽くすこと。それは、とりもなおさず、顧客の期待とおりの、あるいは期待を上回る商品やサービスを提供することです。
つまり真のブランド・ロイヤリティとは、顧客がブランドに対して忠なのではなく、ブランドを創造する人々が顧客に対して忠であることでないでしょうか。
結局は、人間とモノの問題ではなく、人間と人間の問題なのです。



「忠」に続いて、「信」というものも大切です。
孔子は、君子とは何よりも他人から信用される人であると述べました。信用とは全人格的なものです。『論語』「泰伯」篇には、以下のような一文があります。
曾子曰く、以て六尺(りくせき)の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪うべからざるや、君子人か、君子人なり」
意味は、「曾子が言った。孤児を託すことのできる者、百里四方ぐらいの一国の運命を任せうる人、危急存亡のときに心を動かさず節を失わない人、そういう人が君子人であろうか、君子人である」
有名な「託孤寄命章(たっこきめいのしょう)」と呼ばれる一章です。
確かに、幼い子どもを誰かに託して世を去っていかねばならないとき、これを託すことができるのは最も信頼できる人物だというのは事実です。ということは、自分はそのとき誰を選ぶだろうと考えてみれば、真に信頼できる人が誰かがわかります。
そして事業も託すことができ、危急存亡のときも心を動かさない人がいたら、それは確かに君子だと言えるでしょう。
この人は、自分が一人子を置いてこの世を去っていくとき、その子を託せる人だろうか。
常にこれを念頭に置けば、いずれの社会であれ、人に裏切られることはない。
そして、このような「信」があってはじめて、上司は部下の苦言に耳を傾け、部下は上司のために一心に働く。つまり、信がなければ、人は動かないのです。



また『論語』「子張」篇には、以下のような一文があります。
「子夏曰く、君子は信ぜられて而る後に其の民を労す。未だ信ぜられざれば、則ち以て己をなやますとなすなり。信ぜれて而る後に諌む、未だ信ぜられざれば、則ち以て己を謗るとなすなり」
意味は、「子夏が言った。君子は官吏に就職したら、十分に信頼を得たのち人民を使うものだ。そうでないと人民は自分を苦しめ悩ますものと思うだけだ。君主に対しても十分に信頼を得た後に諌めるものだ。信用がない間だと、悪口と思われてしまう」
これは現代にもそのまま通用します。いずれの時代であれ、信頼していない人間に心服する者はいませんし、その苦言や忠告に耳を貸す者もいません。
逆に言うと、信頼を得て、はじめて物事は自分の思うように運ぶのです。 
このように、『論語』には古今東西に通用する原理が述べられています。
人類最高の「人望学」の教科書であり、これを読めば、人を動かす「達人」になれます。
今日の講演の締め括りは、『論語』への熱い想いを語らせていただきました。
最後には盛大な拍手をいただき、感激しました。


                  懇親会で(株)名給の青木社長と


講演終了後は、懇親会が開催され、主催者の代表である(株)名給の青木昌博社長をはじめ、多くの方々とお話させていただきました。
食品業界のことも教えていただき、たいへん有意義な一夜となりました。
みなさん、ありがとうございました。


2011年2月25日 一条真也