『卒業』

一条真也です。

今日は、長女が高校を卒業し、卒業式が行われました。
子どもの成長というものは、本当に信じられない速さですね。
ということで、『卒業』重松清著(新潮文庫)を再読しました。
3月は卒業式のシーズンです。
小学校、中学、高校・・・・・卒業式で思い出すのは、なつかしい同級生たちの顔。
著者は昭和38年生まれで、わたしと同い年です。
直接の面識はありませんが、同級生なのです。


                  あらゆるセレモニーは卒業式


わたしの同級生には、他にも、京極夏彦とか酒見賢一とか宇月原晴明とか朱川湊人とかリリー・フランキーなどがいます。
物書きの端くれとして仰ぎ見るばかりの輝けるメンバーの中で、わたしが一番愛読しているのが重松清です。彼の小説は本当に名作ばかりですが、今の季節にぴったり合った『卒業』という作品集を無性に読み直したくなりました。



この本には、4編の中篇小説が収められています。
いずれも、「卒業」をテーマとしています。
最初の「まゆみのマーチ」は、著者の最高傑作とされる『流星ワゴン』と対をなしています。父と息子の物語が『流星ワゴン』であり、母と息子・娘の物語が「まゆみのマーチ」というわけです。
その他、「仰げば尊し」は老教師とその家族と生徒の物語、「卒業」は自殺者と残された家族と友人の物語、そして最後の「追伸」はガンで死にゆく人と遺族の物語です。
それぞれの登場人物たちは、それぞれのやり方で深い悲しみを乗り越え、それぞれの「卒業」を経験することによって、新たな世界へと旅立ってゆくのです。
わたしは、この世のあらゆるセレモニーとはすべて卒業式ではないかと思っています。
七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのです。
そして結婚式も、やはり卒業式だと思います。
なぜ、昔から新婦の父親は結婚式で涙を流すのか。それは、結婚式とは卒業式であり、校長である父が家庭という学校から卒業してゆく娘を愛しく思うからです。
そして、葬儀は人生の卒業式です。最期のセレモニーを卒業式ととらえる考え方が広まり、「死」が不幸でなくなるといいと思います。
本書をはじめ、重松清の小説には「死」をテーマにしたものが多いのですが、必ず「希望」や「再生」と結びつけられていることには救われる気がします。



長女は昨日、まさに卒業式の前日、志望の大学に合格しました。
子どもの合格は、自分自身のときよりも遥かに嬉しかったです。
受験勉強から解放されて、やっと好きな読書ができる彼女に本書をプレゼントしたいと思います。わが家を巣立ってゆく日のために・・・・・。


2011年3月1日 一条真也