卒業のうた♪

一条真也です。

3月は卒業式のシーズンです。
長女が高校を卒業したこともあって、ちょっとおセンチになり、昨夜は重松清の『卒業』を読み返しました。今度は、卒業にまつわる歌が聴きたくなりました。
「卒業」といえば、わたしはすぐに菊池桃子斉藤由貴の同名の名曲を思い出します。
わたしが大学生の頃に、2人ともアイドルとして人気絶頂でした。
いやあ、2人とも本当に可愛かったですねぇ。


先にデビューしたのは菊池桃子のほうでした。
わたしは東京都品川区平塚のマンションに長く住んでいたのですが、菊池桃子が同じマンションに住んでいました。彼女の母校である品川区立荏原第二中学校もすぐ近くでしたし、彼女のお母さんは戸越銀座で飲食店をやっているという噂でした。
その店の名は明かされていませんでしたが、わたしがよく通ったお店のママさんが菊池桃子によく似た美人だったので、きっとあの人はお母さんだったのだと信じています。
一度、思い切って「菊池桃子さんのお母さんですか?」と尋ねたことがあったのですが、「あら、嬉しいわね」とか何とか言ってうまくはぐらかされてしまいました。
そのときは、何らかの事情で事務所から口止めされているのかなと思っていました。
彼女の「卒業〜GRADUATION」は、今聴いても良い曲です。
「緑の木々の隙間から春の陽射しこぼれて」という歌いだしから、すでにスタンダードの貫禄を持っています。この歌の作詞は、あの秋元康氏が手掛けています。
現在また、AKB48の「桜の木になろう」で卒業ソングのマーケットを押さえようとしていますが、まさに「おそるべし!秋元康」です。


菊池桃子から少しだけ遅れて、斉藤由貴がデビューしました。
特にわたしは斉藤由貴の大ファンでした。そのことを処女作『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)にも書いたほどです。
NHKの朝の連続テレビ小説「はね駒」も毎日欠かさず観ていましたし、報知映画賞で新人賞を受賞した映画「雪の断章〜情熱〜」の名演技も心に残っています。
1986年には「第37回NHK紅白歌合戦」に初出場しましたが、同時に紅組キャプテンを当時最年少で務めました。
10年後となる96年の「第47回NHK紅白歌合戦」で最年少キャプテンの記録は松たか子が更新しましたが、紅白の初出場で初司会は今でも斉藤由貴ただ一人です。
これは、日本の芸能界の歴史に残る快挙ではないでしょうか。
その彼女のデビュー曲が「卒業」です。今でも卒業ソングの定番ですね。
この歌も、とにかく歌詞が素晴らしい!「卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう  でも、もっと悲しい瞬間に涙はとっておきたいの」、「卒業しても友達ね  それは嘘ではないけれど  でも、過ぎる季節に流されて会えないことも知っている」といったフレーズは何度聴いても胸にジーンときます。


そして、卒業ソングといえば、この歌を忘れることはできません。
尾崎豊の「卒業」です。斉藤由貴尾崎豊は交際していた時期があったそうですが、奇しくも2人とも「卒業」というタイトルの名曲を残しているのは不思議な縁を感じますね。
尾崎豊の「卒業」は斉藤由貴菊池桃子のそれとは違って、非常にシリアスな「魂の叫び」ともいうべき歌です。彼がこの歌を歌っていた頃は、全国の中学、高校で校則に違反していないかという検査が毎朝実施されていました。
中には、まるで空港のようなボディチェックまで実施した学校もあったと聞きます。
このたびの4大学入試投稿事件によって、携帯電話の没収をはじめとした受験生のボディチェックが強化されることを思うと、心が痛みますね。


さて尾崎豊は、すでに人生を卒業していきました。
でも、彼の長男である尾崎裕哉君が「I LOVE YOU」をカバーで歌っており、それがまた非常によく似ているので驚きました。
そして、なんだか泣けてきました。この数日、すっかり父親モードになって、「血のつながりと」か「家族の絆」といったものに弱くなっているのです。
裕哉君を見ていると、まさに尾崎豊の遺体そのものだと痛感します。
「遺体」という言葉の元来の意味は、死んだ体ではなくて、文字通り「遺した体」。
本当の遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち子なのです。
人は、この世を卒業しても、遺体を残すことができるのですね。
今度は、ぜひ、裕哉君に「卒業」を歌ってほしいです。


2011年3月2日 一条真也