東京スカイツリー

一条真也です。

東京に来ています。
今日は、浅草でランチ・ミーティングをしました。
吾妻橋のあたりから、かの東京スカイツリーがよく見えます。


                  東京スカイツリーを見ました

                 浅草からスカイツリーがよく見える


昨日、東京都墨田区で建設中の東京スカイツリーが大きな話題になりました。
1日の午後29分に高さ601メートルに達し、中国広東省の広州タワー(600メートル)を抜いて、自立式電波塔として世界最高になったのです。1日の工事終了時には604メートルに達し、おそらく2日の今日はもっと高くなったことでしょう。


                     天下の珍建築?                 


2009年11月、浅草にある「すみだリバーサイドホール」で講演しました。
そのとき見えたスカイツリーはまだそれほどの高さではありませんでしたが、今日はずいぶんと高く見えました。しかし、横にある黄金色のウ○コのようなアサヒ飲料本社ビルのほうがどうしても目立ってしまうのですが・・・・・(苦笑)。
改めてアサヒ飲料本社ビルが「天下の珍建築」であることを痛感しました(笑)。



世界一の高さになった東京スカイツリーをながめながら、いろんなことを考えました。
人間は誰でも高いものに憧れるます。みんな、高いものを目指して集まってきます。
高いものといえば、塔です。古代から、人間は様々な塔を建ててきました。
なぜ、人は塔を建てるのでしょうか。
人間が塔を建てるという心理は、子供がカードを積みあげる心理に似て、横溢する気力のためであると言ったのは、18世紀イギリスの美術評論家ジョン・ラスキンです。
『塔の思想』(池井望訳、河出書房新社)を書いたマグダ・アレクサンダーは、自己存在を空中高く表現したいとする高所衝動を根源の要因としました。
塔というのは人間の無限の上昇志向を象徴するものだというのです。



高い所に達するというのは、結局、天に至るということです。
エホバの神の怒りを買ったバベルの塔をもち出すまでもなく、『ジャックと豆の木』でも天に行くわけで、ここにも上昇感覚があります。天というのは、神様のいる場所なのですね。ヨーロッパではキリスト教が発達してから、塔は教会建築の中で欠かすことのできない建造物になりました。
塔がつくられたのには2つの意味があったといいます。
まず教会の塔をカンパニーレと呼びますが、このてっぺんには鐘が置かれています。
要するに、時を知らせる鐘つき堂なのです。その鐘の音の聞こえる範囲が、キリスト教世界におけるコミュニティというものでした。
また、同じ教会の塔を眺めることのできる人々も、コミュニティの成員としての連帯感を持ったのです。社会学者の加藤秀俊氏によると、ミレーの「晩鐘」などはそういう風景を心憎いまでに描いているそうです。
キリスト教会というのは、そのカンパニーレを通じて視聴覚的にコミュニティ形成の媒体として機能してきたのだと言えるでしょう。



今日、西洋の都市や村に行くと、大きな塔が必ずと言っていいほど残っています。
高さが157メートルあるケルンの大聖堂や、ベニスのサンマルコ聖堂や、ピサの斜塔など、あげていけばキリがありません。これらの他にも何百何千という塔がキリスト教の浸透とともにヨーロッパに建てられました。いずれも、天にまします神と地上に住む人間とをつなぐための象徴的な建造物だったのです。
このようなキリスト教会における塔や、エッフェル塔エンパイア・ステート・ビルディングなどの、西欧文明が構築した様々な塔を見る時、ラスキンやアレクサンダーの解釈は説得力を持ちます。



まさに塔には、天に至るという人間の志向心理が隠されているとしか思えません。
しかし、日本における様々な塔を見る時、人間の意志や高所衝動だけでなく、塔にかける人々の美しい心の願いや祈りが強く感じられるように思います。
日本では、出雲大社のような古代の巨大建造物もありましたが、仏教の伝来とともにさかんに仏塔がつくられるようになりました。
最も古いものは6世紀末にできた大野丘北塔ですが、これがどんなものであったかは現在わかっていません。現存するものとしては、法隆寺法興寺などに、高さ30メートル、50メートルといった高い塔がああります。
これらは三層、五層で設計されており、一般に三重塔、五重塔と呼ばれています。


                     浅草の雷門前で

                  浅草寺に通じる仲見世通り


さて今日は、浅草から東京スカイツリーを見たわけです。
浅草といえば、かつて有名な塔が存在しました。
明治期から大正末期まで浅草の名物だった12階建ての塔である「凌雲閣」です。
「雲を凌ぐほど高い」という意味でしたが、「浅草十二階」の通称で親しまれました。
江戸川乱歩押絵と旅する男」や川端康成「浅草紅団」などにも登場した凌雲閣ですが、関東大震災で半壊し、解体されました。


                    東京スカイツリーの勇姿


洋の東西に関わらず、塔は人間にとって永遠のロマンです。
人は塔を見ることによって、天空を見ます。そこから、「天国」や「極楽」といった平和で美しい心の理想郷のイメージを自然に描けるのでしょう。
だから、人は高いものに憧れ、それを目指して集まるのかもしれませんね。


2011年3月2日 一条真也