大地震

一条真也です。

わたしは今日、東京の羽田空港を14時05分発のスターフライヤー81便で発ち、15時50分に北九州空港に到着しました。
空港のロビーが騒然となっており、大型のテレビ・モニターには大量の自動車が水に浮かんで流されている衝撃的な映像が流されていました。
14時46分に東北の三陸沖で大地震が発生したというのです。


東京でも被害は小さくありませんでした。
ちょうど、わたしが飛行機に乗って空中にいるときに地震が起きたわけです。
もし一便遅かったら、わたしは北九州に帰れなかったでしょう。社員のみなさんも心配してくれたようで、わたしの携帯には大量のメールが残されていました。
まだ東京に残っている父の佐久間会長と連絡が取れないとのことで大変心配しましたが、先ほど無事を確認しました。佐久間会長は日本商工会議所で会議をしていたそうですが、古いビルなので即座に避難したそうです。



サンレー本社の社長室に戻ってテレビをつけたら、ニュース番組のキャスターたちもみんなヘルメットをかぶっていました。こんな光景は初めてなので違和感がありますが、まだ何が起こるか予断を許さない状況なのです。
ちょうど昨日、新橋の全互協で行われた広報・渉外委員会で「災害時の支援対策について」という議題を話し合い、そこでは地震についても議論を繰り広げたばかりでした。現在、東京の交通機関は麻痺しており、多くの人たちは足止めを食らっています。
わたしには多くの親戚・知人・友人が東京にいますので、本当に心配です。
また、東北地方にも業界関係者をはじめ、たくさんの知り合いの方々がいます。
被害が最小限にとどまってくれることを祈るばかりです。



あと、機上で『村上春樹 雑文集』(新潮社)という本を読んでいたのですが、その中に阪神淡路大震災についてのくだりがあって驚きました。
1995年1月17日午前5時46分に巨大な地震が何の前触れもなく神戸とその近辺の都市を襲いました。日の出にはまだ間があり、温かい布団にくるまって眠っていた人々は崩れ落ちたコンクリートに押し潰され、家屋の生き埋めになり、さらには火事の炎に焼かれました。そして、6400人を超える人々が命を失ったのです。当時アメリカにいた村上春樹氏は「東京の地下のブラック・マジック」という文章で次のように述べています。
「最初にCBSのニュースでこの報道を聞いたとき、その出来事が事実としてうまく呑み込めなかった。神戸は日本の中でももっとも地震の少ない場所のひとつとして知られていたからだ。僕は少年時代を神戸近郊で過ごしたが、その十八年間に地震らしい地震を経験した記憶はない。そこに住む人々は誰ひとり(地震で家を失った僕の父母をも含めて)、大きな地震が自分たちをいつか襲うかもしれないなんて、夢にも思っていなかったはずだ」
わたしは今日、この文章を読んだ直後に大地震の報に触れたのです。
村上氏は、「それに加えて大地震に対する日本政府の危機処理能力は、信じがたいほどお粗末なものだった。彼らは驚愕に文字どおり立ちすくみ、敏速で適切な対処をすることに失敗した」とも述べています。
今回は、敏速で適切な対処ができれば良いのですが・・・・・・。


2011年3月11日 一条真也