『礼法を伝えた男たち』

一条真也です。
ブログ「マナー世界一」に書いたように、日本人の礼儀正しさが見直されています。日本人は、礼儀というものを「礼法」という文化にまで高めました。今夜、『礼法を伝えた男たち』綿抜豊昭著(新典社新書)を読みました。


日本の心、振る舞い、美徳を伝えた人々


著者は筑波大学大学院教授で、専門は日本文学だとか。
「はじめに」には、「礼儀作法は、もちろん人と人とが付き合うために必要な実用的所作・知識です。今日、『礼儀作法の本』といえば、そうした所作・知識等が記されたものを示します。しかし、それはそれとして、礼儀作法は、日本の文化としての一面ももっています。わたくしなどは、文化史で、茶道や華道などと同等に扱われてもよいとさえ思っています」と書かれています。「同等に扱われてよい」どころか、礼儀作法こそは民族にとっての「文化の核」です。日本では茶道や華道よりもはるかに重要であると、わたしは思っているのですが。


また、著者は「礼儀とは」という項目で、「もしかしたら他に誰一人いない島や山奥で、たった一人で生きている人がいるかもしれませんが、多くの人は他の人と付き合って生活しています。他人を『人』とも思わず、他人の迷惑おかまいなしに自分勝手に生きている人もいるでしょうが、もし他の人とトラブルをおこさずに生きていこうとしたら、守るべきことがいくつかあると思います。そのひとつが『礼儀』です。礼儀とは、社会生活の秩序を保つために守るべき行動様式のことをいいます。その〈正しい法式〉を『礼儀作法』といいます」と述べています。


しかし、この「正しい」というのが、なかなかクセ者なのです。なぜなら、自分が「正しい」と考えても、他人がそれを「正しい」と考えるとは限らないからです。ある立ち居振る舞いなどを「正しい」と判断する法律があるわけではありません。もちろん、「目上の人を敬う」などの根本的な思想はみんなが共有できます。しかし、たとえばお辞儀をするときは、どのように、あるいは、どのくらい頭を下げるかといった「仕方」には色々な考え方がでてきます。その結果、「違い」すなわち「流派」というものが生じるわけですね。


礼儀作法の流派には、伊勢流、今川流、細川流、吉良流、小笠原流などがあります。その中でも、特に有名で、現在に至るまで続いているのが小笠原流です。他の国では考えられない「正しい行動」がとれたのは、わたしたち日本人が先祖のDNAを受け継いでいるからだと思います。そのDNAとは、「思いやりの心」「うやまいの心」「つつしみの心」です。まさに、これらの心は“小笠原流礼法”として大成されました。


本書には、戦国時代から現代まで脈々と受け継がれてきた小笠原流を中心とする礼法の歴史が描かれています。中でも、小倉藩主であった小笠原「惣領家」についての記述が興味深いです。明治維新のおり、わずか4歳であった惣領家の小笠原忠忱が、小笠原流という日本の伝統文化を後世に残しました。著者は、「明治以後の惣領家」の項に、「忠忱には、後に礼法家としての活動もみられ、明治18年には小倉女学校の依頼により『女礼抄』を著していますから、教授できるだけの礼儀作法を学んだことは間違いありません。(中略)惣領家が『宗家』として礼儀作法を指導するようになるのは、忠忱の孫の小笠原忠統氏からです」と書いています。


免許皆伝の書状を持つ小笠原忠統

結婚披露宴で書状を渡される


この小笠原忠統氏こそは、わたしの礼法の師であります。
正確にいうならば、わたしの父の佐久間進が忠統氏の弟子で、わたしは孫弟子に当たります。でも、わたしが26歳で結婚したとき、その披露宴に忠統氏がお越しになり、直々に免許皆伝の書状を下さいました。
自分の結婚披露宴ということで、ただでさえ緊張していたのに、雲の上の存在である宗家から免許皆伝の書状を頂戴し、わたしの緊張がピークに達したことを記憶しています。このことは事前にまったく知らされておらず、まさに最高のサプライズでした。


故・小笠原忠統氏は、偉大な礼法家でした。忠統氏の指導した礼法とは、次の2つの核からなります。1つめは、『七冊』『九草子』『三議一統』『大冊子』などの古くから伝わる小笠原流の礼儀作法書によるものです。2つめは、小笠原流の惣領家として育てられてきた中で躾けられてきたもの、親や家職の老人たちから口伝えに教えられてきたことです。
著者は、「宗家の礼儀作法」の項で次のように書きます。
「忠統氏は、『宗家』として積極的に活動し、門人を育成し、少なからずの小笠原流に関する著作を残した、現代の特筆すべき礼法家です。いわば、〈忠統系小笠原流〉を創りあげたといってよいでしょう」


モラル・ルネッサンスの時代


その影響を受けた人も各界に少なくありませんでした。
ベストセラー『ドタンバのマナー』を書いた漫画家のサトウサンペイ氏や、東京大学名誉教授を務めた世界史学者の木村尚三郎氏などが有名です。佐久間進 サンレーグループ会長も、その1人でした。佐久間会長は、大学時代の恩師であった樋口清之氏の紹介で小笠原忠統氏と知り合い、師事しています。また、佐久間会長は日本の儀礼文化の継承を目的に、日本儀礼文化協会を1979年に設立し、忠統氏を総裁にお迎えしました。その後、「佐久間禮宗」の名で「実践礼道小笠原流」を立ち上げ、儀礼文化の普及に努めてきました。モラル・ルネッサンスの大切さを訴えた『思いやりの作法』(毎日新聞社)という著書も書いています。日本儀礼文化協会は、現在ではNPO法人になっています。


「Well Being」1996年6月号より


そして、26歳のときに忠統氏から免許皆伝されたわたしは、その後も自分なりに小笠原流礼法の修行に努めてきました。1996年5月に忠統氏が逝去されたときは、葬儀にも参列させていただきました。そのとき、「礼法界の巨星堕つ!!」と痛感したことを記憶しています。そのときの模様は、 サンレーグループ報「Well Being」に掲載されました。


現代に生きる小笠原流礼法


その後わたしは、忠統氏から学んだことを『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)という著書にまとめました。とかく堅苦しいイメージのあった小笠原流礼法を「人間関係を良くする魔法」として取り上げた本です。幸いにして、この本は多くの方々に読まれ、過分な評価もいただきました。これからも小笠原流礼法の素晴らしさを機会あるごとにアピールし、いつの日か、わたしも「礼法を伝えた男」と呼ばれてみたいです。


*このブログ記事は、992本目となります。


2011年3月19日 一条真也