「塔の上のラプンツェル」

一条真也です。

アニメ映画「塔の上のラプンツェル」を観ました。
いま、東北の方々が大変な思いをされ、関東の方々も節電に努められています。
こんな時機に、なかなか映画など観る気にはなれません。
しかし、ネットでの評価が非常に高いのと、ある方が「今こそ、日本人はこのようなハッピーエンド映画を観る必要がある」と言われたのを知り、思い切って観てみました。


ストーリーは有名ですので隠しませんが、この作品のラストはハッピーエンドです。
ディズニー・アニメの最高傑作かもしれないと思うほど、素晴らしい作品でした。
わたしは3D版で観たのですが、「3D技術もここまで来たか!」という感じです。
この作品は、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズの新作で、第50作目です。
詳しくは、「ディズニー・アニメーション・スタジオ50作の歩み」を御覧下さい。
「ディズニー・プリンセス」映画の最新作ということで、白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫(「眠れる森の美女」)、ベル(「美女と野獣」)、ジャスミン(「アラジン」)、アリエル(「リトル・マーメイド」)に続く、ラプンツェルという名のヒロインが誕生しました。
ラプンツェル」は、グリム童話を代表する作品で、「髪長姫」などとも呼ばれます。
映画「塔の上のラプンツェル」は、驚くほど長い“魔法の髪”を持ち、それを自由自在に操る主人公が、自身に秘められた謎を求めるアドベンチャー・アニメーションです。



物語は、太陽の雫から生まれた“魔法の髪”を持つラプンツェルが、赤ん坊の頃に悪い魔女から誘拐され、深い森に囲まれた高い塔の上に幽閉されます。
そこから18年間一度も外に出たことがないラプンツェルは、母親(じつは悪い魔女)以外の人間に会ったことはありませんでした。
ある日、お尋ね者の大泥棒フリンが、追手を逃れて塔に侵入してきます。
フリンとの偶然の出会いはラプンツェルの秘密を解き明かす冒険の始まりでした。



ラプンツェル」という言葉は「ちしゃ」と訳されることが多いです。
なんでも、妊婦が食べるのによいとされる植物だそうです。
もともとはヨーロッパの民話で、そこではセクシャルな物語でした。この民話から、グリム兄弟が性的な要素を取り除いたのです。
グリム童話は、18世紀のドイツでグリム兄弟が編集したものです。
兄のヤーコブ・グリムと弟のヴィルヘルム・グリムはともに言語学者でしたが、協力して『ドイツ語大辞典』などの偉大な業績を残しました。彼らはまた、ヨーロッパに伝わる民話を広く集めて、『グリム童話集』を編集したのです。



このグリム童話は、主に「死と再生」をテーマにした作品が多いことで知られています。
たとえば、「赤ずきんちゃん」は、オオカミの腹の中からよみがえります。
「白雪姫」や「眠り姫(いばら姫)」は、まさに仮死状態で眠り続けている王女が王子のキスによって目をさまします。
そして、グリム童話といえば「シンデレラ」が有名ですが、もともとは「灰かぶり」という名前でヨーロッパ全域に存在した民話でした。灰とは死のシンボルです。
『グリムはこころの診療室』(平凡社)の著者であるユング派心理学者の矢吹省司氏によれば、擬似埋葬として灰をかぶせるのは太古からのならわしであり、灰かぶりの娘であるシンデレラとはじつは「死の娘」であったといいます。矢吹氏によれば、「かぶる」という行為自体が「死」をほのめかしているそうです。
「生まれ変わるためには死ななければならない」という考え方が通過儀礼の底には流れていた。そのために、少女の世界から大人の女の世界へ、さらには独身生活から結婚生活へ移ってゆくとき、「かぶりもの」を身につけて「死」を装うという風習があったわけです。日本の花嫁がかぶる「角かくし」や「綿帽子」や「ずきん」なども元来はそのような「かぶりもの」の一種だったのです。



民話から編集されたグリム童話は「メルヘン」と呼ばれます。
民族の無意識が積もったメルヘンには、さまざまな生きる知恵が隠されています。
メルヘンに出てくる「森」も「洞窟」も「地下」も「水底」も、「無意識」の別名です。
人は無意識にふれることによって本来の自分を知り、初めて自分らしく生きることができるのかもしれません。そんな生き方を「メルヘン流ライフスタイル」と呼ぶ矢吹氏は『グリムはこころの診療室』の最後に掲載された「人はなぜメルヘンを必要とするのか?」で、次のように述べています。
「メルヘン流ライフスタイルとは、ひと言で言って、『深く生きること』です。それは、心理学的に言えば、自分の内面の深み(無意識)に向けて開かれた生き方のことです」
この見方は、まさに矢吹氏が学んだユングの思想そのものであるといえるでしょう。
ユングほど、人間の無意識というものを肯定的にとらえた人物はいないと思います。


              娘たちに読んであげた『ラプンツェル』の絵本

                    『ラプンツェル』の絵本より


さて、「ラプンツェル」の物語は、わたしには大変なじみ深いものです。
なぜなら、2人の娘たちがこの物語が好きで、幼い頃に寝かしつけるとき、よく読んであげていたのです。『オールカラー版世界名作 イソップ・グリム・アンデルセン15』(国際情報社)という中の1冊でした。
古書店で求めた古い絵本ですが、カラフルな挿絵になかなかの味わいがあり、子どもの想像力を刺激するようでした。ですから、わたしにとっての「ラプンツェル」は、とにかく娘たちとの思い出とともにあります。
特に、長女がこの話が大好きでした。その長女も今月の22日に18歳になりましたが、この物語も主人公ラプンツェルが18歳の誕生日を迎えることから冒険が始まります。
波乱万丈の物語を見事にアニメ化した「塔の上のラプンツェル」を観て、わたしの心に一番残ったのは、ラストでの両親とラプンツェルの再会でした。
幼い頃に魔女に誘拐された娘を探すため必死になって生きる両親の姿が、北朝鮮から拉致された横田めぐみさんの御両親の姿と重なりました。
「もし、わたしの娘が何者かに連れ去られたとしたら、自分はどうなっていただろうか」と想像すると、涙が出てきました。



物語にはハッピーエンドが必要です。それは、このたびの東日本大震災における被災者の方々の人生という物語においても同様です。作家の平野啓一郎氏は、3月21日にツイッターで、次のように被災者に呼びかけました。
「被災された方へ。自分の人生を、眩しいほどのハッピーエンドが待ち構えている一篇の長篇小説だと考えてみて下さい。あなたの人生の物語はまだ途中のページです。残りのページでは、数多くの登場人物が、主人公であるあなたを助けてくれます。そうして立ち直っていく主人公は、最高に美しい人間です。」
まったく同感です。その意味でも、大いなるハッピーエンドが待っている「塔の上のラプンツェル」を被災者の方々、特に娘さんたちに観てほしいと心から願います。
避難所で映画を観るなど難しいかもしれませんが、いつか、避難所を出てから、DVDでもいいですから、この映画を観てほしいです。
そして、横田さん一家の物語にも、ハッピーエンドが待っていることを祈っています。



2011年3月26日 一条真也