リベラルアーツ講演

一条真也です。

金沢市の「太陽が丘」にある北陸大学にやって来ました。
ここは地名も素晴らしいですが、自然が豊かで、眺めの良い場所です。
こちらでも桜が咲いていましたが、兼六園の周辺と違って山手にあるためか、五分咲きから六分咲きといったところでした。あと2・3日したら満開でしょう。


                  北陸大学の桜は六分咲き?


その北陸大学の新1年生を対象に「フレッシュマン・セミナー」で講演しました。
演題は、「リベラルアーツとしての読書〜あらゆる本が面白く読める方法」です。
拙著『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)の内容をもとに話しました。
200名近くが参加しており、そのうち60名近くが中国からの留学生でした。
昨年は中国人留学生が130名ぐらいいましたので、その数は半分以上減っています。
聞くと、このたびの大震災による放射能事故を怖れて、留学生の親たちが日本に行かせないのだそうです。それを聞いて、切ない気持ちになりました。
わたしにも今年から大学生となる娘がいます。
中国の親御さんたちの気持ちは痛いほど良くわかります。


                 200人近くの学生が受講しました


そして、それほどの危険を冒すというか、リスクを怖れずに日本にやってきた60名の留学生たちが、たまらなく愛おしくなりました。
中国人だけでなく、日本人も同じです。昨日、じつの娘と横浜で別れたわたしが、今日は金沢で娘と同年齢の大学1年生たちと出会ったのです。
北陸大学で教鞭を取るのは今年で4年目です。
1年生だった最初の学生たちは、もう4年生になりました。
しかし、今年は、非常に特殊な心境です。
わが娘と同年齢であることから、200人の生徒たちに格別な情が湧いてきて、みんな自分の子どものような気分になってきたのです。
それで、最初に「みんなを自分の子どもと思って、1年間話をします。みんなは変なオヤジと思うかもしれないけど、わたしは、みんなが可愛くて仕方ない。心を込めて話をさせてもらいます」と言いました。なんだか、今年は金八先生みたいな“センチメンタル熱血教師”になりそうな予感がします。しかし、教師と生徒として出会うのも貴重な「縁」ですので、その縁を大切にしたいと思います。


                  「教養とは何か」を問いました


さて、まだ日本語に慣れていない留学生も多いはずです。
それで、なるべく黒板に漢字をたくさん書くようにしました。
これまでの授業と同じように、書いて、喋って、喋って、書きました。
ふと気づくと、わたしのスーツは白墨の粉で真っ白になっていました。
90分間、書き通し、喋り通しでした。
リベラルアーツ」は「教養教育」などと訳されます。
では、本当の「教養とは何か」を学生たちに問いかけました。
そして、本こそは、時間も空間の制約から自由になれる真の「リベラル・メディア」であり、さらには「こころの食べ物」だと訴えました。


                 読書の楽しさと効用を説きました


歴史書や伝記などを読む面白さも訴え、特に中国の書物を読む重要性を説きました。
幕末維新までの日本では、漢籍素読儒学の教養が教育の大きな柱でした。
なかんずく中国の歴史とそれに登場する人物とが、日本人の人間研究に大きく役立ったのです。『史記』『十八史略』『三国志』『資治通鑑』『戦国策』などは当然読むべき教養書でした。あの福沢諭吉ですら『左伝』15巻を11度読み通しました。
そして、福沢はその内容をすべて暗誦していたといいます。
これが福沢の人間を見る目をつくったので、漢籍でまず鍛えられた頭脳で、蘭学や英語をやったから眼光紙背に徹する勢いで、たちまち西洋事情を見抜いてしまったのです。



中国は広大な大陸に広がる天下国家で、異民族による抗争の舞台であり、その興亡盛衰における権力闘争は、それ自体が政治のテキストです。これに登場する人物は、大型、中型、小型、聖人もあれば悪党もあり、そのヴァラエティさは万華鏡の如くです。
まさに人間探求、人物研究の好材料を提供してくれるわけで、日本人は中国というお手本によって人間理解の幅を大きく広げ、深めてきたと言えます。
「鉄血宰相」と呼ばれたプロイセンビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という有名な言葉を残しています。
西欧の人々は主にローマ帝国の衰亡史などを参考に人間理解をしてきました。
生物のなかで人間のみが、読書によって時間を超越して情報を伝達できるのです。
人間は経験のみでは、一つの方法論を体得するのにも数十年かかりますが、読書なら他人の経験を借りて、一日でできます。
つまり、読書はタイム・ワープの方法なのですね。
本とは「タイムマシン」であり、「どこでもドア」なのです。
「時間」からも「空間」からも自由になれる、ものすごいリベラル・メディアなのです!


                本は、ものすごいリベラル・メディア


安岡正篤は、古典、特に中国古典を読むことを人々に薦めました。
中国古典の特徴を一言でいえば「実学」ということになります。
すなわち、実践の場で役に立つのです。
では、どういう点が実学だと言えるのでしょうか。
まず、第1に応対辞令です。安岡は「中国古典は応対辞令の学問だ」と言いましたが、たしかにこのテーマが中国古典の大きなテーマになっています。応対辞令とは、社会生活のもろもろの場における人間関係にどう対処するか、という対処の仕方ですね。
第2は、経世済民です。つまり政治論で、これもまた中国古典が好んで取り上げる重要なテーマです。政治論といっても専門的でなく、組織をどう掌握してどう動かすかなど、幅広い応用がきくものが多いといえます。
第3は、修己治人です。つまりは指導者論で、上に立つ者はどうあるべきか、組織のリーダーにはどんな条件が望まれるのかを論じるのです。
これもまた中国古典の得意とするテーマであり、『論語』をはじめ、あらゆる古典がさまざまな角度から指導者像を探っています。


                  実際に本の読み方を指導しました


科学や技術がどんなに進歩しても、結局、それを動かすのは人間です。
肝心の人間に対する理解を欠いてはなりません。
また、時代の変化に応じて自分が変わっていこうとする姿勢は大切ですが、自分の心棒となるものは決して変えてはなりません。
心棒まで変えてしまうと、変化に流され、振り回されるだけです。
心棒とは揺るぎのない価値観や考え方です。明確な価値観や考え方があるからこそ、変化に適切に対応して、新しいものを生み出すことができます。
こうした価値観や考え方を育てるために古典が役立つのです。


                 最後は、『論語』について話しました


講演の最後には、少しだけ孔子ドラッカーの話をしました。
わたしは、『論語』とドラッカーの一連の著作によって人生の難所を切り抜けてきました。
その経験を話し、孔子ドラッカーも時代を超えて、ともに「社会の中で、人間がいかに幸せに生きるか」を追求した人であると述べました。
そして、孔子は古代のドラッカーであり、ドラッカーは古代の孔子であるとして、来月からの「孔子研究」の講義のイントロダクションにつなげました。
みんな、90分間、まったく私語もせず、真剣に聞いてくれました。
次回は、「孔子の思想」として『論語』について大いに語ります。
特に、中国の留学生たちに孔子の話ができることは大きな喜びであり、孔子への最大の恩返しだと思っています。大きな使命を感じています。
今年は、1年生の親代わりとして何でも相談に乗ります。
みんな、気軽に声をかけて下さいね!


2011年4月13日 一条真也