司法修習生への講演

一条真也です。

西日本新聞の講演を終えた後、わたしは松柏園ホテルに戻りました。
そこで、「辰巳塾」という司法修習生の勉強会で講演しました。
これは、北九州を代表する弁護士の1人である辰巳先生が、母校の慶應義塾大学出身の司法修習生を対象に開催されているプライベートな勉強会です。


                 「礼」と「法」について語りました


わたしは、ここ数年、この辰巳塾で、「礼と法について」という講演を行っています。
日本は法治国家ですが、現実世界で最も影響力のあるものは法律かもしれません。
「法」というコンセプトをよりよく理解するためには、儒教の人間尊重思想である「礼」というコンセプトと対比するとよいでしょう。
「礼」は「人間尊重」ということですが、儒教の中核をなす重要なコンセプトです。
古代中国において、孔子が重要視しましたが、それを受け継いだのが孟子です。


                  孟子の「性善説」を説明しました


孟子は、人間誰しも、あわれみの心を持っていると述べました。
幼い子どもがヨチヨチと井戸に近づいて行くのを見かけたとします。
誰でもハッとして、井戸に落ちたらかわいそうだと思い、救ってやろうと思います。
それは別に、子どもを救った縁でその親と近づきになりたいと思ったためではない。
村人や友人にほめてもらうためでもない。また、救わなければ非難されることが怖いためでもない。してみると、かわいそうだと思う心は、人間誰しも備えているものです。
悪を恥じ憎む心、譲りあいの心、善悪を判断する心も、人間なら誰にも備わっています。
かわいそうだと思う心は「仁」の芽生えである。
悪を恥じ憎む心は「義」の芽生えである。
譲りあいの心は「礼」の芽生えである。
善悪を判断する心は「智」の芽生えである。
人間は生まれながら手足が4本あるように、この4つの芽生えを備えている。
あまりにも有名な性善説の根拠となった「四端の説」です。
孟子は「人間の本性は善きものだ」という揺るぎない信念を持っていました。



人間の本性は、善であるのか、悪であるのか。
これに関しては、古来から2つの陣営に分かれています。
東洋においては、孔子孟子儒家が説く性善説と、管仲韓非子の法家が説く性悪説が古典的な対立を示しています。
西洋においても、ソクラテスやルソーが基本的に性善説の立場に立ちましたが、ユダヤ教キリスト教イスラム教も断固たる性悪説であり、フロイト性悪説を強化しました。
そして、共産主義を含めてすべての近代的独裁主義は、性悪説に基づきます。
毛沢東が、文化大革命孔子孟子の本を焼かせた事実からもわかるように、性悪説を奉ずる独裁者にとって、性善説は人民をまどわす危険思想であったのです。独裁主義国家の相次ぐ崩壊や凋落を見ても、性悪説に立つ政策が間違いは明らかです。



これは国家だけでなく、企業におけるマネジメントでも同様です。
「マネジメントの父」であるドラッカーは、大いなる性善説の人でした。
マネジメントとは何よりも、人間を信じる営みであるはず。
しかし、お人好しの善人だけでは組織は滅びます。
1人でも「悪党」と呼びますが、悪人はみな団結性を持っています。
彼らに立ち向かうためには、悪に染まらず、悪を知る。
そしてその上手をいく知恵を出すことが求められるのです。



孟子は、「人間はもともと良い性質を持っているのだ」という性善説を唱えました。
それに対して荀子は、人間の本性は悪であって、善というのは「偽り」であるとの性悪説を主張しました。ここでの「偽り」は、現在のわたしたちが言うフェイクとしての「偽」ではなく、ニンベン(つまり、人)にタメ(為)と書く「人為」、つまり後天的という意味です。
先天的には人間の性は悪ですが、後天的に良くなるのだというのです。
そこで悪を抑えるものとしての「法」が重視されるわけです。



荀子の門下からいろいろな弟子が出ました。
韓非子』の韓非や秦の政治を支えた宰相の李斯などが有名です。
もともと秦には法家の伝統がありました。商鞅が法律万能、厳罰主義を政治の基本とし、それで秦が強くなったことはよく知られています。
秦にはもともと法家の説に基づいて政治をやってきたという伝統があり、李斯はその伝統にしたがって秦の政治に携わったわけです。
もとより始皇帝その人自身が「焚書坑儒」で知られるように徹底した儒教嫌いであり、「礼」よりも「法」を好んだ歴史的事実が知られています。
「礼」とは相手を尊重することであり、隣国の領土を侵犯する行為は最も「礼」に反するからです。「礼」を重んじていては、始皇帝は中国を絶対に統一できなかったでしょう。


                 ローマ帝国の法政策を語りました


法による政治で中国を統一したものの、秦はわずか14年しか存続しませんでした。
その反対に長きにわたって繁栄したのがローマ帝国です。
東ローマ帝国の滅亡まで、実に1500年以上も続いています。
このローマ帝国も「法」によって治められていました。世界中に影響を与えたローマ法は有名ですが、初代皇帝アウグストゥスが何よりも「法」を重んじたのです。
たとえば、ローマ帝国で深刻な問題となっていた離婚と少子化を食い止めるために、彼は2つの法律を成立させて、これらを見事に減少させています。
「ユリウス姦通罪・婚外交渉罪法」と「ユリウス正式婚姻法」です。要するに、不倫は公的な犯罪となり、離婚すれば多額の税金を払わねばならなくなったのです。
作家の塩野七生氏は、「古代の西欧世界において人間の行動原理の正し手を、ユダヤ人は宗教に、ギリシャ人は哲学に、そしてローマ人は法律に求めた」と述べています。
ローマ人は、現実世界に対する法律の影響力の大きさを証明したと言えるでしょう。


           「よく学び法を修めし人なれば 礼も修めて鬼に金棒」


最後に、わたしは司法修習生の方々に向けて、「法律的には許されても、人間として許されないことがある」と述べました。これは、辰巳先生の信条でもあります。
酒気帯び検査を切り抜けたからといって、飲酒運転は絶対に許されません。
相手が泣き寝入りしようが、セクハラを許してはなりません。
いくら証拠がなくても、ウソを言って人を騙してはなりません。
結局は、法律とは別に「人の道」としての倫理があり、それこそが「礼」なのです。
現実世界における法律の影響力は絶大です。
しかし、大切なのは「礼」と「法」のバランス感覚なのです。
最後は、次の短歌を詠んで若き法曹の徒に贈りました。
「よく学び法を修めし人なれば 礼も修めて鬼に金棒」


                  講演後、みなさんと会食しました


講演終了後は、みなさんと一緒に会食しました。
辰巳先生の差し入れで美味しいワインを頂きました。また、ゼンリン・プリンテックスの大迫会長が飛び入り参加され、素晴らしい赤ワインを差し入れてくれました。
今日は本当に一日中喋りっぱなしでした。計算すると、4時間以上喋っていました。
最初に飲んだシャンパンがほどよく冷えていて、火照った喉に気持ち良かったです。


2011年4月16日 一条真也



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