隣人愛と勇気

一条真也です。
おはようございます。東京に来ています。
昨日、東京の新橋にある(社)全互協で、わたしが委員長を務める「広報・渉外委員会」に続いて、「社会貢献基金運営委員会」が開催されました。


                「社会貢献基金運営委員会」の資料


社会貢献基金とは、地域のさまざまな災害の救済、社会福祉事業、環境保全事業、国際協力など 社会貢献活動を行う各種団体等への助成、並びに社会貢献に資する調査・研究を目的とした事業に対する助成を行うためのものです。
それによって、日本の生活文化と地域社会の発展に寄与することを目的としています。
互助会の全国組織である社団法人・全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)は会員企業、さらには互助会会員からの募金による「社会貢献基金」を運営し、さまざまな団体に対しての助成を行っています。詳しくは、「全互協・社会貢献基金HP」をご覧下さい。



毎年、多くの団体から助成金交付の申し込みがあります。
厳正なる審査の結果、交付するプロジェクトを選びます。
ブログ「互助社会に向って」にも書いたように、「互助会」が「互助社会」への入口となるために、社会貢献基金による助成活動の意義は非常に大きいと考えています。
昨日も、300近い申し込みを「障害者福祉事業」「児童福祉事業」「高齢者福祉事業」「国際協力・交流事業」「環境・文化保全」「研究助成事業」の6部門に分けて、助成させていただく事業を選ばせていただきました。
本当は、すべての事業を助成したいぐらい、どれも意義のある事業や活動ばかりです。
いまは東日本大震災の被災者の方々に目が向いていますが、じつは日本中、世界中に支援を必要としている人々がいます。
そういった人々の苦しみを見て見ぬふりをすることは出来ません。
まさに『論語』に出てくる「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉が思い出されます。


わたしにとっての最大の「勇」の人の1人に、マザーテレサがいます。
シスター・マザーテレサは1910年にユーゴスラビアで生まれ、18歳で修道院に入りました。そして、36歳のときに「貧しい人々のために働け」という神の声を聞き、修道院を出て、インドのカルカッタで貧しい人々のために生涯を捧げました。
修道院を出るとき、彼女は5ルピー、日本円にしてわずか200円しか持たずに、町に出て行ったといいます。これは勇気のある行動以外の何ものでもないでしょう。
そして、その「勇」が、彼女にとても人間業とは思えない偉業を成し遂げさせたのです。


「私があなた方を愛したように、あなた方も、相愛しなさい」というイエスの言葉にマザーの一生は要約されていると言っていいでしょう。
エスが行った無償の愛を20世紀後半に実行した人であり、宗教、民族、年齢、性別、社会的地位などに一切関わりなく、必要とする人々に愛の手を差し伸べた人でした。
ある日のこと、マザーは、歩道で死にかけている女性を見つけました。
彼女の苦しみを和らげ、ベッドで心静かに人間らしく死なせてやりたいと思って、女性を連れて帰りました。この愛の行為をきっかけとして、マザーは、1952年8月に「清い心の家」にルマン・ヒリダイとも呼ばれる「死を待つ人の家」を開設することになりました。
「死を待つ人の家」では、数え切れないほど多くの死にゆく人々を看取りました。
マザーは、ヒンドゥー教イスラム教の人が亡くなるときは、その宗教のお経を唱えて送ってあげました。マザーの活動の源泉はカトリックの神への信仰でしたが、その根源にあるものは、人間の生命は限りなく尊いというイエスの教えであり、それこそ、一神教多神教といった枠組みを超えて今後のすべての宗教のあるべき姿を示したのでした。
それを失うと、宗教とは心の狭い原理主義に陥り、最後は戦争にまでつながります。



マザー亡き後も、インドのカルカッタでは彼女の後継者たちが「死を待つ人の家」を守っています。昨日は、そのマザーテレサの「死を待つ人の家」に関連する事業への支援を決定することができて、非常に感慨深かったです。
NPO法人 風に立つライオンという団体が、医学生・看護師をインドの「死を待つ人の家」に派遣し、ボランティア活動を実施しています。
鹿児島に、堂園晴彦先生というお医者さんがおられます。有床ホスピス「堂園メディカルハウス」を運営し、年間100人以上を看取ってきた方です。堂園先生は「病気」ではなく、病気を抱える「人」を診ることができる医師を育成したいと考えていました。
2000年、自分のホスピス医療を検証するために「死を待つ人の家」にボランティア研修に行き、入浴介助をしているとき、無性に涙が出てきて仕方がなかったそうです。
そして、この体験を学生にも味わわせたい、ヒューマニズムの原点を学ばせたい、人々の助けになりたいという思いから、このNPOを設立されました。
医療従事者のうち医学生10名、看護師5名をインドの「死を待つ人の家」および「レインボーハウス」といったホスピス施設に派遣し、堂園先生が引率されます。
日本の末期医療、またデス・エデュケーションにとっても非常に意義深い活動です。
というわけで、社会貢献基金助成金を交付させていただくことになりました。
この活動の団体名である「風に立つライオン」とは、まさに「勇気」の別名ですね。


また昨年に続いて、任意団体 緊急クラウンジャポンへの支援も決定しました。
この団体は、赤い羽根をつけた俳優さんで知られており、クラウン(道化師)によって「笑い」を通じたコミュニケーションを広く提供しています。
代表の村上純子さんはフランスでクラウンの勉強をされましたが、現在、村上さんを含めて3人のクラウンが活躍しています。
昨年は高齢者が主な対象でしたが、今年は病院生活を送っている児童が対象で、中には重度の患者もいるそうです。今後は、障害者の活動場所も訪問する予定とか。
この活動は、アメリカの医師であるパッチ・アダムスが始めた「ホスピタル・クラウン」の運動から生まれました。パッチ・アダムスは、ロビン・ウィリアムス主演の映画「パッチ・アダムス・トゥルー・ストーリー」の実在のモデルとしても有名ですね。


講演のために来日した際、パッチ・アダムスはケアに対して、「7つの信条」というものを語りました。以下のような内容になっています。
1.ひとをケアする理由はただひとつ。人間を愛しているからです。
2.ケアは愛を動詞化する。ケアは概念ではなく、行動です。
3.ひとを思いやるという人生を送ることによって、あなたは自分のなかで一番深い平和と安らぎを得る。
4.良い意味のお返しをすること(良きカルマを積む/カルマからの解放)。
例えば、米国がアフガンに爆弾を落とし始めたとき、私はアフガンの人々を愛したいと思い、即座に現地に飛んだ。
5.平和のためにクリエイティブになる。例えば、死の床でアメイジング・グレイスを歌う。
6.情熱を持ち、不可能だと思っていた夢を見る。
7.ひとをケアすることは、科学的見地からしても、あなたのためにいいことがある。



この「7つの信条」に共鳴した多くの人々が、現在も世界中で「ホスピタル・クラウン」の活動を続けておられます。心から敬意を表したいと思います。
マザーテレサにパッチ・アダムス・・・・・彼らは、大いなる「隣人愛」の人です。
そして、その「隣人愛」を実践した彼らは、大いなる「勇気」の人でもありました。
彼らの後継者たちも、「隣人愛」と「勇気」を受け継いでいます。
それは、まるで「魂のDNA」とでも呼ぶべきものかもしれません。
いやあ、人間って、まだまだ捨てたもんじゃありませんね!


2011年4月28日 一条真也