「恋とマシンガン」

一条真也です。

日本経済新聞社の方々と飲んで、ホテルに帰ってきました。
赤坂見附の居酒屋で経済について大いに語り合い、カラオケなども少々歌いました。
酔っ払って帰ってテレビをつけると、しばらくして、ある曲が流れてきました。
その瞬間、わたしのハートは大きな衝撃を受けました。


いやー、こんなにオシャレな曲が日本にあったとは!
パリで撮影したと思しきプロモーションビデオも洒落ています。
その曲とは、フリッパーズ・ギターの「恋とマシンガン」です。
フリッパーズ・ギターは、小山田圭吾小沢健二の2人組。
渋谷系ブームの火をつけた伝説的バンドだそうです。
わたしは名前ぐらいは知っていましたが、彼らの曲は聴いたことがありませんでした。
その番組では、1973年生まれの人のハートにストライクな歌を紹介するという趣旨で、袴田吉彦加藤紀子といった人たちが出演していました。
もう1人、お笑い芸人さんが出ていたのですが、すみません、名前を失念しました。
1973年生まれといえば、わたしより10歳若い人たちですが、シブがき隊の「スシ食いねえ」、松田聖子の「SWEET MEMORIES」、平松愛理の「部屋とYシャツと私」などがストライクな曲として取り上げられていました。


ほとんど知っている曲ばかりだったのですが、フリッパーズ・ギターの「恋とマシンガン」だけは初めて聴く曲でした。正確に言えば、意識して初めて聴く曲でした。
これまでに「ダバダバダバダ〜♪」というサビは聴いた記憶があるからです。
ブログ「男と女♪」で紹介したフランシス・レイの名曲をスキャットつながりで連想してしまうほど、ヨーロッパの香りがするJ−POPです。なんでも、「恋とマシンガン」はTBSドラマ「予備校ブギ」の主題歌で、日産のCMにも使われたそうです。


また、スタイリッシュなPVは、1966年のイタリア映画「黄金の七人」をイメージしていると言われています。小山田圭吾は洋楽や洋画に非常に精通していたことで知られ、それらを次々に引用して、自身の曲に取り入れたそうです。
フリッパーズ・ギターは全編英歌詞の「海へ行くつもりじゃなかった」で1989年にデビューし、「ネオ・アコースティック」と呼ばれるジャンルを開拓しました。
その斬新な音楽は、フランスを初めとした海外でも一定の評価を受けたそうです。
彼らのブレイクによって、国内でもネオ・アコースティック・ブームが沸き起こったとか。
小山田圭吾の複雑なコード進行とコーラスワーク、小沢健二の哲学的な洞察にあふれた歌詞・・・・・まさに2人の卓越した才能の一瞬の出会いでした。
彼らのサウンドは、それまでのJーPOPの常識を一変させ、「フリッパーズ以前、フリッパーズ以後」という言葉さえあるそうです。
その影響力は大きく、その後、多くのフォロワーを生み出しました。
たとえば、Mr.Childrenなども、その一つです。
それにしても、時間を超えて、2011年4月末に20年前の名曲に出会うとは!



じつは、今夜、似たような出来事がありました。
東京の止まり木」ことカラオケスナックDANを久々に訪れたのですが、カウンターに座ると、隣の紳士が「やっとお会いできましたね」と話かけてこられたのです。
そして、「ぜひ、この本にサインして下さい!」と言われ、なんと、わたしの処女作である『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)を差し出されたのです。
わたしが驚くと、その方は某大手広告代理店のマーケティング・プランナーで、ずっと以前からわたしの著書を愛読して下さっていたそうです。
DANのマスターから、わたしが時々来店すると聞き、いつかは会えるかもしれないと思って、いつも本を持参して待っておられたというのです。



わたしは、もう本当に感激してしまって、胸がいっぱいになりました。
もちろん、心を込めて本にサインをさせていただきました。
ハートフルに遊ぶ』は、1988年に出版された本です。
まさに、フリッパーズ・ギターが誕生した頃です。
なんだか、わたし自身が80年代末にトリップしたような不思議な夜でした。
真夜中のマシンガンで君のハートも撃ち抜けるさ〜♪
撃ち抜かれたのは、何を隠そう、わたしのハートでした。


                  1988年に出版されました


2011年4月29日 一条真也