誕生日に思うこと

一条真也です。
5月10日になりました。
今日は、わたしの誕生日です。恥ずかしながら、48歳になりました。

  
                    48歳になりました(>_<)


じつは、かのトム・クルーズがわたしの1つ年上です。
そして、ブラッド・ピットジョニー・デップが同い年。
さらに、キアヌ・リーブスが1つ年下であります。
「それがどうした!」と言われれば、それまでですが・・・・・。
もちろん、どうもしません。すみませんでした。
日付が変わるのと同時に、「誕生日おめでとう!」のメールが入ってきました。
ケータイ・メールにも入ってきました。嬉しいです。ありがとうございます!



わたしは、他人のお祝いをするのは仕事柄もあって得意というか大好きですが、自分が祝われることは正直いって苦手です。
でも、誕生日というものには深い意味があると思っています。
まず、「祝う」という営みには人類の良き秘密が隠されています。
わたしは、「祝う」という営み、特に他人に関することを祝うということが人類にとって非常に重要なものであると考えているのです。
なぜなら、祝いの心とは、他人の「喜び」に共感することだからです。
それは、他人の「悲しみ」や「苦しみ」に対して共感するボランティアと対極に位置します。しかし、じつは両者とも他人の心に共感するという点では同じです。
「他人の不幸は蜜の味」などと言われます。
たしかに、そういった部分が人間の心に潜んでいることは否定できません。
でも、だからといって居直り、それを露骨に表現しはじめたら、人間終わりです。
他人を祝う心とは、最高にポジティブな心の働きではないでしょうか。



わたしは思うのですが、人生とは一本の鉄道線路のようなもので、山あり谷あり、そしてその間にはいくつもの駅があるのではないでしょうか。
「ステーション」という英語の語源は「シーズン」から来ています。
季節というのは流れゆく時間に人間がピリオドを打ったものであり、鉄道の線路にたとえれば、まさに駅はさまざまな季節ということになります。
そして、儀式を意味する「セレモニー」も「シーズン」に通じます。初宮参り、七五三、成人式、長寿祝いといった通過儀礼とは人生の季節であり、人生の駅なのです。
それも、20歳の成人式や60歳の還暦などは、セントラル・ステーションのような大きな駅だと言えるでしょう。各種の通過儀礼は、特急や急行の停車する駅です。
では、各駅停車で停まるような駅とは何か。
わたしは、誕生日がそれに当たると思います。
老若男女を問わず、誰にでも毎年訪れる誕生日。
この誕生日を祝うことは、その人の存在そのものを肯定すること、存在価値を認めることに他なりません。それは、まさに「人間尊重」そのものの行為です。



            ムーンキャンドルは、会社からの誕生日プレゼント


わが社では、毎月の社内報に全社員の誕生日情報を掲載し、「おめでとう」の声をかけ合うように呼びかけています。誕生日当日には、わたしが社員のみなさんにバースデーカードを書いて、プレゼントを添えてお渡ししています。
今年のプレゼントは、ブログ「ムーンキャンドル」で紹介した特製の「月あかり」です!
今後とも、冠婚葬祭とあわせて誕生日という文化を盛り上げていきたいと思っています。
そして古代の日本では「祝」も「葬」も同じく「ハブリ」と呼ばれたように、人生の卒業祝い、あの世への引越し祝いとしての、めでたい葬儀を提案していきたいと思います。



「祝い」について最近考えさせられたことがありました。
わが社は今年、創立45周年を迎えます。
ブログ「イベント」にも書きましたが、今年は、通常の隣人交流イベントに加えて、創業の地である北九州市内の高齢者を対象に、グラウンドゴルフ大会とカラオケ大会を企画しています。それぞれの分野の「北九州ナンバーワン」を決める予定です。
大会は4月から各区で予選をスタートし、10月にそれぞれ決勝戦を実施します。
そして、創立記念日の11月18日に優勝者の方々を表彰させていただきます。
約半年をかけた大々的なイベントです。
延べ5000人近くの方々の参加が見込まれています。
従来の隣人交流イベントはもちろんのこと、今回のグラウンドゴルフ大会やカラオケ大会などはすべて「縁」をつくっていただくためのものです。積極的に各種イベントを開催することで、ぜひ今年は「有縁社会」元年にしたいと願っています。



その創立記念イベントの案内を今年に入ってから行っています。
でも、東日本大震災以降、こういったイベントは自粛傾向にあるようです。
じつは社内でも、「今年は自粛すべきでは」との意見もありました。
しかしながら、よく話し合った結果、イベントを決行することにしました。
なぜなら、多くの会員様やお客様が楽しみにされているからです。毎日、大会に備えて、グランドゴルフやカラオケの練習をされている方がたくさんおられます。もはや、これらのイベントはわが社のものではなく、北九州市民のみなさんのものだと思っています。
また、周年記念イベントとは、けっして自社の周年を祝うお祭り騒ぎではありません。
それは、45年間もわが社を生かしていただいた地域社会への感謝の祭りなのです。



考えてみれば、すべての儀式や祭礼とは、感謝を目的としています。
宮参りや七五三、成人式などは、「いのち」を与えられ、「いのち」を育てていただいたことに対する神への感謝であり、各種の長寿祝いもまったく同じです。
また、日本各地で開かれる祭りも、すべては神への感謝と祈りを目的としています。
儀礼や祭りとは、自分自身のためではなく、あくまでも神仏あるいは、お世話になった方々への感謝の「かたち」なのです。
わたしは、サンレーという会社を45年間も育てていただいた北九州のみなさんに心から感謝しています。わたしだけでなく、わが社の社員一同が感謝しているはずです。
ですから、創立45周年のイベントは必ず決行します。
間違った自粛が、日本に新たな災いをもたらすことを忘れてはなりません。
もちろん、被災者の方々を忘れたわけでも、軽んじているわけでもありません。各イベントでは、最初に大震災の犠牲者への黙祷を行い、会場では義援金を募る予定です。



ともあれ、今日は、わたしの誕生日・・・・・。
会社の創立記念日というのも人間の誕生日のようなものです。
この世に生を受け、ここまで育ってきたことを素直に感謝したいものです。 
そして、わたしは冠婚葬祭業とは「ありがとう」産業であるとともに、「おめでとう」産業でもあると思っています。結婚式をはじめ、七五三、成人式、長寿祝いと、人生のあらゆる場面において「おめでとう」の言葉が発せられる冠婚葬祭。
その意味をつきつめて考えたとき、わたしは「悲しみ」の儀式とされている葬儀もまた、その正体とは「お祝い」であると考えずにはおれません。



もともと古代の日本では、「祝(はぶ)り」も「葬(はぶ)り」も同じ意味でした。
葬=祝であることを古代の日本人は知っていたのです。
その真理をよみがえらせることこそ、私たちの使命、わが社のミッションです。
ブログ「人生の卒業式」にも書いたように、さまざまな試みによって、死が「不幸」ではなく、葬儀が「卒業祝い」となるような時代をひらいていきたいと心から願っています。
人の誕生から死まで、いたるところで「おめでとう」の声が行き交う社会、それがハートフル・ソサエティであり、それを実現する会社がハートフル・カンパニーなのです。


2011年5月10日 一条真也