『ワケありな映画』

一条真也です。

『ワケありな映画』沢辺有司著(彩図社)を読みました。
ブログ『トラウマ映画館』で紹介した本がとても面白かったので、わたしは他にも映画に関する本が読みたくなりました。それで、アマゾンで本書を発見したのです。


               映画史上最も危ない46本の問題作!


フリーライターである著者は、横浜国立大学教育学部総合芸術学科卒業後、編集プロダクション勤務を経て渡仏したそうです。そして、パリでシネフィル生活をしながら、アート、旅、歴史、語学を中心に書籍、雑誌の執筆・編集に携わってきたとか。
本書のタイトルにもなっている「ワケありな映画」とは何か?
「はじめに」で、著者は次のように説明しています。
「ある種の映画は、観客の心を乱し、狂気を生み、流血を生み、社会を根底からゆるがす。そのなかから、また同じような映画が連鎖的に生まれる。
世の中には、どこかいびつなものをかかえて生まれてしまう映画があるようだ。
本書では、こうした映画を、“ワケありな映画”と呼ぶ」


著者が言うように、「ワケありな映画」は連鎖します。
80年代のアメリカで、レーガン大統領暗殺未遂事件が起きました。
その狙撃犯は、映画「タクシー・ドライバー」の影響を強く受けていました。
ロバート・デ・ニーロが主演して大ヒットを飛ばしましたが、この「タクシー・ドライバー」という作品は、州知事候補暗殺未遂事件の犯人の手記をもとに作られたそうです。
さらに、その犯人はスタンリー・キューブリック監督の問題作「時計じかけのオレンジ」に触発されて事件を起こしたというのです。
時計じかけのオレンジ」「タクシー・ドライバー」ともに、過激な暴力描写および社会への悪影響を理由に、一時は上映禁止となりました。


また、「タクシー・ドライバー」の脚本を書いたポール・シュナイダーは三島由紀夫の伝記映画「Mishima」のメガホンを自ら取りました。
これは『金閣寺』、『鏡子の家』、『奔馬』という三島の3作品をベースに、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込んで自決するラストシーンに至るという内容でした。
わたしもビデオで観賞したことがありますが、「美」を追求した三島の精神世界を見事に表現しており、非常に完成度の高い作品でした。しかし、作中の同性愛的な描写が三島の遺族の逆鱗に触れ、この映画は公開中止となってしまったのです。
「Mishima」と近親関係にある映画に「太陽を盗んだ男」があります。
ブログ「太陽を盗んだ男」で紹介した、日本映画史に残るカルト・ムービーです。
個人が原爆を作るという途方もない映画でしたが、この映画の脚本を手掛けたレナード・シュナイダーは「Mishima」の監督ポール・シュナイダーの実の兄なのです。
この「太陽を盗んだ男」もいまだにカルト的な高い人気を誇る作品ですが、作中の天皇に関する描写が災いして、長らくソフト化されませんでした。


映画は巨額の資金、多くの役者やスタッフ、膨大な時間を注ぎ込んで製作されます。
大きな金、人、時間が動くからには、トラブルや悲劇に見舞われることもあります。
ホラー映画の名作として知られる「ローズマリーの赤ちゃん」は、公開直後に監督であるロマン・ポランスキーの愛妻シャロン・テートが惨殺されるという悲劇に直面しました。
ブラック・サンデー」は、爆破予告があったために上映中止になりました。
「スパルタの海」は、戸塚ヨットスクール事件で関係者が逮捕されたためにオクラ入りになりました。「愛のコリーダ」は、わいせつをめぐって監督が訴えられました。
そして、日米合作の大作「トラ・トラ・トラ」は、日本映画界で「天皇」とまで呼ばれた黒澤明監督を解任するという大騒動を巻き起こし、黒澤監督の自殺未遂にまでつながりました。


最近、世間を騒がせた「ワケありな映画」といえば、「靖国 YASUKUNI」と「ザ・コーヴ」が挙げられます。前者は靖国神社にまつわるさまざまな事象を、後者は和歌山県太地町で行われているイルカ追い込み漁を取り上げています。そして、両作品ともに「反日映画」というレッテルを貼られ、猛烈な上映反対運動が起きました。
わたしも正直なところ、この両作品のテーマには批判的です。
特に、「ザ・コーヴ」の撮影方法はフェアでないと思っています。
しかし、作品を観ないうちから上映禁止にしようとする姿勢にも反対です。
まずは映画を観て、「この映画はドキュメンタリーといいながら、事実を歪曲している」「この映画は社会に悪影響を与える」と思えば、堂々と上映禁止を訴えればよいのです。



このように、本書には古今東西の「ワケありな映画」が46本収められています。
著者は、「おわりに」で「映画という同じ宇宙のなかでも、まったくちがった惑星で撮られているような映画が頁を隣にしている」と書いています。本当に、そんな感じです。
著者は、本書を書き進めていく中で、何度か同じ人物に出くわしたことが面白かったそうです。著者は、次のように書いています。
「満たされない孤独な男にシンパシーを感じるポール・シュナイダーは、『時計じかけのオレンジ』から『タクシー・ドライバー』のつなぎ役となり、『Mishima』にいたっていた。
井筒和幸の2本の映画は、上映中止に。80年代のスピルバーグは、死者がでたハリウッド映画のそばを足跡を残すこともなくすりぬけていった。橋本忍は、宗教大作をへて、脳内に蓄積したあらゆる映画的イメージを『幻の湖』に凝縮していた。
舛田利雄は、“ワケあり”もおかまいなしで、飄々と大作を撮りつづけていた。
そして、『黒部の太陽』の熊井啓と『殺しの烙印』の鈴木清順を解雇したのは(熊井はのちに撤回)、日活でワンマン体制を敷いていた堀久作社長(当時)だった」
著者は、これほどの人物が重なったことについて、「“ワケあり”に近しい傾向をもつ、ある種の映画人というのが存在するのかもしれない」と述べつつ、「映画史がつづくかぎり、“ワケありな映画”は必ず生まれてくる」といいます。
それは自然の摂理であり、「ふつうに畑で野菜を育てれば、スーパーの店頭には並べられない傷入りの割れもの野菜が必ずでてくるのとおなじだ」と喝破して、「おわりに」を締め括っているのです。本書で取り上げられている映画の裏事情にも色々と驚きましたが、最後の著者の言葉にも驚きました。
よりにもよって、映画を野菜に例えるとは! 
この独特のセンスが本書全体に何ともいえないユーモラスな空気を漂わせています。
わたしは、もともと大の映画好きで、これまでにも多くの映画を観てきました。
でも、本書を読んで、もっともっと多くの映画を観たくなりました。
それにしても、映画とは異界を覗き見る窓ですね。


2011年5月14日 一条真也