坂と文学の街で転ぶ

一条真也です。

ブログ「御袖天満宮」の神社を出た後、「全互協の康夫ちゃん」こと山村直毅さんの提案で、再びロープウェイで山頂まで上がり、歩いて下山しようということになりました。
下り坂の途中に、「文学のこみち」や「おのみち文学の館」などがあるからです。
そう、「坂の街」である尾道は「文学の街」でもあるのです。


                    「文学のこみち」を歩く

                      志賀直哉の文学碑


「文学のこみち」では、奇岩の横にいろんな文学碑がありました。
尾道にゆかりのある作家・志賀直哉の『暗夜行路』の文学碑などもありました。
道がけっこう曲がりくねっていて、ちょっと足を踏み外すと転落するような危険なゾーンもありました。わたしも文学碑に書かれてある内容を読み、あるいは写真を撮影しながら歩くには「危ないなあ」と感じていました。そして、数百段を下る石段の場所まで来ました。ここを下ると、「おのみち文学の館」に行けるそうです。
わたしは、MAPを見ながら石段を下りようとしたところ、最初から2、3段目のところで足を踏み外して転び、足首をグニャリと捻ってしまいました。
激痛が足首に走りましたが、そのまま石段を下りました。
でも、足首がズキズキ痛んで我慢できなくなり、途中のベンチに座って休みました。
本当は、タクシーを呼んで駅にそのまま向かいたかったのですが、山の山頂近くなので不可能です。つまるところ、わたしが下界へ下りるには数百段の石段を一歩づつ歩いて下りるしか方法はないのです。山村さんが背負ってくれるなら別です。
しかしながら、いくら山村さんが巨漢だとはいえ、彼もフウフウ言いながら汗をかいて歩いているので、そんなことは言い出せません。
せめて肩ぐらいは貸してもらったほうが良かったと後から後悔しましたが・・・・・。
それで、結局、痛めた足首を庇いながら、長い石段を下りて行きました。
石段の最後で転ぶならまだしも、最初に転ぶとはツキがありません。


                  「おのみち文学の館」の前で


途中で、「おのみち文学の館」があったので、とりあえず入りました。
そこでタクシーを呼んでもらおうと頼みましたが、それも不可能だということでした。
尾道の坂の上にはまったく車が上がれないことには驚きました。
タクシーはおろか、パトカーも、消防車も、救急車も、霊柩車も上がれないのです。
これでは、高齢者がこの「坂の街」に住むことは難しいでしょう。
単純な「坂の街はロマンティック」だけでは済まない厳しい現実を思い知りました。


                    『放浪記』の文学碑

                   館内の林芙美子コーナーで

                    林芙美子の書斎を再現


仕方がないので、文学の館をざっと見学しました。
『放浪記』の林芙美子の資料が多く展示され、書斎も再現されていました。
わたしは、ブログ「北九州商工会議所・新年賀詞交歓会」で紹介した北九州市立文学館の副館長である今川英子さんのことを思い出しました。
今川さんは、林芙美子研究の第一人者として有名なのです。
また林芙美子といえば、ブログ「門司港レトロ」に書いた門司港とも縁の深い作家です。
そう、門司港尾道はよく雰囲気が似ているように思います。
さらに言えば、「坂の街」である長崎も似ているかもしれません。


                    坂道写真館がありました


「おのみち文学の館」からさらに脇道に入って歩くと、志賀直哉の旧居があるそうです。
しかし、足首の痛みが限界に近かったので、そちらは諦めました。
わたしは、再び下界をめざして石段を下りて行きました。
坂の途中に、「坂道写真館」というものがありました。
数十分後、ようやく下界に辿り着いたわたしたちは、尾道では本当に珍しい流しのタクシーを拾いました。そして、まずは薬局に寄り、応急処置のシップ薬を買いました。
シップを貼るとき、靴と靴下を脱いだら、すごく腫れ上がっていました。
その後、荷物をピックアップしてから尾道駅に向かい、JR山陽線に乗車しました。
福山駅で下車して、駅の食堂で山村さんと一緒に福山ラーメンを食べてから、わたしは小倉に向かう「のぞみ」に乗り込みました。
足首の痛みは、ひどくなる一方です。
小倉駅ではホームにサンレー社長室の鳥丸耕一課長が迎えに来てくれることになっているので、そのまま小倉の整形外科に向かいます。
今日は「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生が小倉に来て、夕食をともにする約束です。病院での診療が長引けば、約束の時間に間に合わないかもしれません。
連絡を取りたかったのですが、なんと、鎌田先生はケータイを持っていないのです!
わたしは心身ともにストレスを抱えながら、「のぞみ」号で小倉をめざしたのでした。


2011年5月21日 一条真也