信長の人心掌握術

一条真也です。

今日のヤフー・ニュースに「信長の人心掌握術示す墨書」という記事が出ていました。
「信長」という名前と「人心掌握術」という言葉の取り合わせに興味を抱き、クリックして記事を読んでみました。Web版「中日新聞」の記事に詳しく書かれていました。


                   Web版「中日新聞」より
 

それによると、昨日、愛知県小牧市教委は国史跡の小牧山城(同市堀の内)の石垣から、墨で人名が書かれた石1点が見つかったと発表。
小牧山城といえば、織田信長が1563年に築いた城です。近世城郭の原型とされ、城郭の石に書かれた墨書として日本最古の石材になるそうです。これまで城郭の墨書は、信長が1576年に築城を始めた安土城のものが最古とされていました。
墨書が書かれていた場所は、本丸北西側の斜面です。堆積岩の一種(縦60センチ、横35センチ、高さ20センチ、重さ93・5キロ)の石材に書かれていました。
その内容ですが、なんと「佐久間」と縦書きで書かれていたそうです!
そう、わたしの本名の「佐久間」です。いやあ、驚きました。



城郭考古学者である奈良大学千田嘉博教授によれば、「佐久間」とは、信長の重臣だった佐久間信盛を指している可能性が高いそうです。
佐久間信盛は信長が家督を継ぐ以前からの重臣でした。
千田教授は、「最も目立つ工区に重臣佐久間信盛を割り当てて仕事をさせた。信長の巧みな人心掌握術をうかがわせ、興味深い」と話しているそうです



龍馬とカエサル』(三五館)で、「名前による人心掌握」について書きました。
人間にとって最も目に心地よい映像は自分の姿であり、最も耳に心地よく、最も大切な響きを持つものは自分の名前だといわれます。
アメリカの鉄鋼王・アンドリュー・カーネギーは、子どもの頃から人を組織し、統率する才能を示しました。10歳のとき、人間というものは自分の名前に並々ならぬ関心を持つものだということを発見し、この発見を利用して他人の協力を得ました。
スコットランドにいた少年時代、彼はウサギを捕まえましたが、そのメスウサギは妊娠したメスで間もなくたくさんの子ウサギで小屋が一杯になったのです。すると、餌が足りません。そのとき彼は、近所の子どもたちに対し、ウサギの餌になる草をたくさん取ってきた者の名を子ウサギにつけるというアイディアを思いつき、この計画は見事に成功しました。後に経営者となったカーネギーは、自分の下で働く多数の労働者たちの名前を全部覚えていることを誇りにしていました。そして、彼が陣頭指揮を取っているあいだ、ストライキが一度も起こらなかったと自慢でした。
かの田中角栄も驚異的な人数の名前を憶えていたそうです。
古今東西、部下の名前を憶えることは成功者の必要条件といえるでしょう。



そして、信長もまた、「名前による人心掌握」の人だとは知りませんでした。
数多い戦国武将の中でも、信長といえば、部下の機嫌などは一切取らずに自分の思いのままに事を進めるイメージがあります。
信長のスローガンは「天下布武」でした。これは、武力によって天下を統一しようという野望の表れです。いっぽう、わたしは人間尊重思想によって社会を良くしたいという願いを込めて天下布礼をスローガンにしています。
龍馬とカエサル』には「ハートフル・リーダーシップの研究」というサブ・タイトルがついていますが、信長には「ハートフル」など無縁だとばかり思っていました。
ところが、「佐久間」の墨書によって、彼にもまたハートフル・リーダーの要素があったことを知ったのです。正直言って、これまで、わたしは信長があまり好きではありませんでしたが、なんだか今度の新発見で好きになってきました。
信長は「佐久間」と書くことによって、わたしの心も掌握したのでした!


                ハートフル・リーダーシップの研究


2011年6月9日 一条真也