6月8日の祈り

一条真也です。

昨日、6月8日は日本人の「こころ」にとって重要な日でした。
あの「大阪教育大附属池田小事件」から10年、そして、「秋葉原無差別殺傷事件」から3年という節目の日だったからです。


                  「朝日新聞」6月8日朝刊


それにしても、あの2つの事件が同じ6月8日に起こったことに今さら驚いています。
今や「秋葉原」の代名詞となった「AKB48」の第3回選抜総選挙の投票締め切り日の昨日、秋葉原の事件現場近くでは花を手向け、手を合わせる人々の姿がありました。
また、大阪の附属池田小では追悼式が開かれました。
6年生4人が「祈りと誓いの塔」の鐘を鳴らし、全校児童が黙祷したといいます。


                  「朝日新聞」6月8日朝刊


10年前、わたしは附属池田小事件に大きなショックを受けました。
犯人の宅間守は、わたしと同じ1963年に生を受けました。
そして、彼が附属池田小学校に乱入して大量殺人を犯したとき、ちょうど、わたしの長女が同じく国立の福岡教育大附属小倉小学校に通っていました。
ですので、事件当時は大変な衝撃を受けたことを記憶しています。
そのときに犠牲になったお子さんたちの親御さんの心中を思うと、胸が痛みます。



愛する人を亡くした人へ』(現代書林)にも書きましたが、かけがえのない人と死別した場合、その悲しみには何よりも時間が必要です。
グリーフワークの世界では、配偶者を亡くした悲しみが癒えるのは最低でも3年、幼いわが子を亡くした悲しみが癒えるのは最低でも10年かかるとされています。
事件から10年経った今、あの親御さんたちの悲しみは少しは癒えたのでしょうか。
朝日新聞」の記事によると、本郷由美子さんという父兄の方の談話が出ていました。
本郷さんは、長女の優希さん(当時7歳)を事件で失いましたが、「なぜ、あんなことになったのか」という終わらぬ自問自答を繰り返してきたそうです。
その中で、傷ついた娘が最後に歩いた39メートルに意味を見出しました。歩いてみると、由美子さんの歩幅で68歩分ありました。由美子さんは、「あんなにけがを負っても一生懸命生きられるんだなと。私も68歩分、母として生きよう」と語っておられます。


                  悲しみを癒すための時間とは


ブログ『都市伝説と犯罪』で紹介した本の著者・朝倉喬司によれば、戦前の大量殺人犯にはどこかしら人情味のようなものが感じられるのに比べ、最近の大量殺人犯にはそんなものの欠片もありません。たとえば、同書の冒頭にある「検証・秋葉原通り魔殺人事件」は、次のような一文で始まっています。
「19世紀の産業革命が世界に2度の大戦をもたらしたとしたら、20世紀末に始まったIT革命が世の中に今、盛大に呼び込んでいるのが、個人の、無目的なテロだ」
これは、同書で最も印象に残った名文でした。
ブログ「名前の祈り、ネットの呪い」にも書いた加藤智大がネットの世界にはまり込んでいく様子が本書にも綴られています。ネットで無視されれば極端に落ち込み、ネットで批判されれば逆上して、ついには秋葉原の路上を血で染めてしまう。そこには、明らかにネットから呪いをかけられた1人の被害妄想の人間の姿があります。
この被害妄想について、朝倉喬司は次のように述べています。
「被害妄想、というと、精神の病の何か格別な症状のように思われがちだが、必ずしもそうではなく、私たちのごくふつうの心の働き方、働かせ方に広く根を張った、その分、いったんそれが先鋭化すると、とても頑固に当の本人を呪縛してしまう『心の一傾向』なのだと思う。そして私は、携帯やインターネットによるコミュニケーションは、この種の『妄想』の成長に極めて促進的に働く特性をもっていると考えている」
この朝倉喬司の見方は非常に的確であると思いました。



そして、もう1人忘れてはならない現代の大量殺人犯が、「附属池田小事件」の犯人である宅間守です。判決の日、「どうせ死刑なんやろ。ひとこと言わさんかい!」と裁判長に向かって怒鳴り、法廷から引きずり出されていった宅間。
自ら極刑を強く希望し、判決の1年後には実際に死刑に処された彼は、わたしたちには窺い知れない深い「こころの闇」を抱えていました。法廷や獄中で、「反省」の態度を引き出したい弁護人など完全無視し、宅間は以下のような言葉を吐き続けました。
「やる限り極刑覚悟でやるんやから、どっちにしろ数こなす必要があったからね。幼稚園でやっとったら、もっと殺せた思います」
「大量殺人は、後に続くやつが出てくることを祈りながらやるんでね。今でもずっと祈ってるけど・・・・・世の中むちゃくちゃになったらええんです」
「遺族は国から7500万円もらってホクホクですな、よろしいな」



この稀代の殺人鬼を妊娠したとき、宅間の母親はうわ言のように、こう口走ったとか。
「あかんわ、これ。おろしたいねん私、あかんわ絶対、お父ちゃん」
まるでオカルト映画「オーメン」の主人公ダミアンのような悪魔の子を宿したと思ったのでしょうか。著者は、このエピソードを紹介した後、次のように述べます。
「母親は何を感じたのだったか。精神を病んだ本人自身、今は記憶も蒸発しているに違いない。確かなことは、63年、父親の意向でこの世に生を受けた宅間が、ほぼ母親の『予言』どおりの生涯を送ったということである」
そして、「あかん」とつぶやいた若き日の母親に答えるように、宅間は獄中で「これでよかったのだ、これで。私は生まれてきたのが間違いだったのだ」と手記に書きました。
母子の間の問答が成立したのかどうか、わたしは知りません。
知っているのは、何の関係もない8人の犠牲者が巻き添えを食ったという事実です。



一部の人々は、ネットなどで宅間守や加藤智大を英雄視しているとか。
いつの世も、大量殺人の犯人に憧れる人々がいるようです。彼らは、いつでも自分自身が理不尽な凶行の被害者や遺族になりうるのだということを想像すべきでしょう。
あのような悲劇が2度と起こらないように、祈らずにいられません。


2011年6月9日 一条真也