隣人談義

一条真也です。
今日は、サンレー本社にお客さまをお迎えしました。
隣人愛の実践者」こと奥田知志さんです。
東八幡キリスト教会の牧師であり、NPO法人・北九州ホームレス支援機構の理事長を務められている方です。前回初めてお会いして意気投合しましたので、わたしは朝から奥田さんの訪問を楽しみに待っていました。


               奥田知志さんから著書をプレゼントされる


奥田さんは、2人の同行者と一緒に13時過ぎにいらっしゃいました。
最初に、刊行ホヤホヤの奥田さんの著書『もう、ひとりにさせない』(いのちのことば社)をプレゼントしていただきました。
非常に嬉しかったです。東京では多くの出版関係者や著者から本を頂戴する機会があるのですが、北九州の方から著書を頂いたのは初めてです。
奥田さんをはじめ、北九州市のような地方都市で活躍されている方々もどんどん本を書いて、全国に情報発信していってほしいと願ってます。この本については、じっくり読ませていただき、必ず感想をブログに書くつもりです。



さて奥田さんの同行者は、東京から来られたNHKの方々でした。
制作局第1制作センターの経済・社会情報番組部に所属しているチーフ・プロデューサーの河瀬大作さんとディレクターの山森英輔さんのお2人でした。
聞くと、「クローズアップ現代」を作られているそうです。
おおっ、「隣人祭り」を初めてテレビで紹介した番組じゃないですか!
今日は、「絆プロジェクト北九州」の取材に来られたとのこと。
これは、奥田さんが中心となって進めておられる東日本大震災の被災者を北九州市に受け入れて総合的にサポートしようという計画です。
北九州市へ避難してこられた方々が社会的に孤立することがないよう、被災者に対して、住宅確保や生活物資の提供から心のケアまで、自立・生活再建に向けた、公民が一体となっての「新しい仕組みづくり」です。
民間の力を最大限に活用したこの仕組みは、これからの地域福祉を推進する力として期待されている、「新しい公共」による先進的な取り組みとなります。
北九州市や北九州商工会議所も、最大限の協力をするため、いち早く担当ラインを立ち上げました。それぞれの組織がしっかりと役割を果たし、被災者にとって北九州市が「第二のふるさと」ともなるよう、心のぬくもりが感じられる支援を一体となって行うというプロジェクトなのです。



すでに数十世帯が東北から移住して来られ、新生活をスタートさせているそうです。
住まいは整い、家具や家電も寄付で十分に用意されています。
後は、移住された方々の仕事が必要になってきます。
その件で奥田さんから具体的な相談を受け、わたしは快諾いたしました。
わたしは、「絆プロジェクト北九州」を素晴らしいプロジェクトだと思っていますし、出来る限りの協力をさせていただきたいと思っています。


                  「読売新聞」6月9日朝刊


奥田さんといえば、今朝の「読売新聞」に北九州ホームレス支援機構の記事が出ていました。ホームレスの方々のための宿泊型自立生活施設支援である「抱僕館」を八幡東区に建設する活動をしているという記事でした。
ブログ「ホームレス支援」にも書いたように、わが社は北九州ホームレス支援機構の活動を応援しています。「無縁社会」を乗り越える意義ある活動だと思います。
その宿泊型自立生活施設支援ですが、わが社が現在進めている高齢者専用賃貸住宅高専賃)のスタイルも参考になるのではないかと思いました。


                  「読売新聞」6月9日朝刊


同じ「読売新聞」には、「建築家の目『仮設』に提案」という記事もあり、被災地の仮設住宅の問題も取り上げられていました。
敷地に「みんなの家」を作るとか、孤独感のない配置とか、それなりの提案が建築家から出されてはいるのですが、どうもピンと来ませんでした。
思うのですが、仮設住宅というのは、あくまでも仮設。いずれは壊してしまう建物です。もったいない気がするのは間違っているでしょうか。
その方々に本当に必要なのは「仮の棲家」ではなく「終の棲家」ではないでしょうか。
そこで、思い浮かぶのも、わが社の新しいスタイルの高専賃です。もちろん、法律や行政や土地の問題とか、多くのハードルはあるのでしょうが、何よりも被災者の生活と幸福を第一に置くならば、最初から「終の棲家」を低コストで作るべきだと思います。



今日は、その他にも奥田さんといろいろな話をしました。
なにしろ年齢も同じですし、めざす社会も似ているので、とにかく話が合うのです。
最初は原子力のエネルギー問題あたりからスタートして、ITの話、孤独死の話、葬儀の話、グリーフケアの話、ブッダの話、マザー・テレサの話、小松左京の話・・・・・2人の話題が次から次にコロコロ変わって、そのたびに盛り上がるのでNHKの2人も目を丸くしていました。いやあ、こんなに話が合う人は、久々です! 
嬉しくなって、1時間半たっぷり「隣人談義」を奥田さんと繰り広げました。



今日は、思い切って、奥田さんに聞きたかったことも聞いてみました。
それは、「ホームレス」という言葉についてです。
ブログ『超思考』で紹介したように、北野武氏は「ホームレス」という言葉に違和感を持っています。ちなみに、「レゲエのおじさん」と最初に呼んだのは北野氏だそうです。
本当は「乞食」と呼ぶべきだと考えているそうで、次のように述べています。
「乞食という言葉を使わなくなったって、乞食の生活が楽になるわけじゃない。
乞食をホームレスと呼ぶようになって何年経ったか知らないが、それで世の中が少しでも変わったのか。乞食と言えなくなって、ホームレスと呼ぶようになった。ホームレスを日本語にすれば宿無しだ。乞食は放送禁止で、宿無しはOKという根拠がよくわからない。だいたい、ホームレスという言葉はなんだかよそよそしくて好きになれない。
まあそれは感覚の問題なのだろうが、俺は乞食という言葉の方が、愛情というか優しさを感じる。貧乏人が貧乏人に注ぐぎりぎりの優しさ、路線で行き倒れていたらどこかに埋めて石でも置いてやるくらいの、ぎりぎりの優しさではあるけれど。
タチの悪い子供が、ただの慰みにホームレスを暴行して殺してしまったなんてニュースをよく聞くようになったのも、彼らを乞食と呼んではいけなくなってからのような気がする」
言葉は北野氏にとって商売道具であり、著者は言葉によって生きている人です。
そんな北野氏によるこの発言には大きな説得力があると、わたしは思ったのです。



それで、「その北野発言をどう思うか」という質問を思い切って投げかけたのです。
すると意外にも、奥田さんはその発言について知っておられました。
まず、奥田さんは「じつは、自分にも違和感がある」と言われました。
なぜなら、「ホームレス」というのはあくまで状態をさす言葉だからです。
奥田さんは、ずっと「日雇い住所不定労働者」という言葉を使ってきたそうです。
そして、なぜ「乞食」ではなく、「日雇い住所不定労働者」でもなく、「ホームレス」という言葉が日本の社会で普及してきたかをわかりやすく説明してくれました。
イギリスでは「屋根のない者」、ドイツでは「神に見放された者」と呼ばれる人々を日本では「ホームレス」と呼ぶことの意義を真摯に教えて下さいました。
わたしは、その姿を見て、奥田知志さんに対する尊敬の念を深めました。
今日は、奥田さんと「隣人談義」ができて、本当に素晴らしい日となりました。
明日も、わたしの良き隣人が訪ねてきて下さいます。書家の金澤翔子さんです。
骨折をしたために松葉杖で過ごす毎日ですが、たとえ、わたしが動けなくとも、今日は「隣人愛の実践者」が訪問してくれ、明日はなんと「天使」が会いに来てくれます。
わたしは、なんと幸せ者なのでしょうか!


2011年6月9日 一条真也