骨を折って良かった!

一条真也です。

今日は、早朝から松柏園ホテルの神殿で「月次祭」が行われ、その後、「平成心学塾」を開講しました。わたしは松葉杖をついて会場に向かい、話をしました。


                    平成心学塾で話しました          


今日は、わたしの骨折の話題を中心に話しました。
わたしは、5月21日に出張先の尾道で足首を骨折しました。
まったく人生は何が起こるかわかりません。昔の人は「一寸先は闇」と言いました。
骨折そのものよりも、今後の予定が大幅に狂うことが痛いと思いました。思わぬ骨折によって、わたしの未来が加速度的に変化していくのを実感しました。まさに、こういうことを人生における「想定外」というのでしょう。しかし、被災地の方々や福島第一原発の避難民の方々に比べれば、わたしの「想定外」など問題にもなりません。



東日本大震災は、日本にとっての大きな危機でした。
英語の「クライシス(crisis)」は、そもそも「分岐点」という意味です。わたしが石段で足を踏み外し骨折したのもクライシスであり、分岐点でした。あのまま石段を転げ落ちて頭を打って絶命していた可能性もあったからです。こういうときは、「足の骨折ぐらいで済んで良かった」と考えなければなりません。
ともかく、東日本大震災は、日本の重要な分岐点となりました。
というより、あの瞬間から日本は新しい歴史段階に入ったのです。
「危機」という言葉は英語なら「crisis」ですが、フランス語では「crise」です。
語源は、「決定」や「ターニングポイント」を意味するギリシャ語の「krisis」です。



わたしたちは今まさに、いくつかの重要な選択を下すターニングポイントに立っているのかもしれません。それは日本という国家だけではありません。
冠婚葬祭業界、そして、わが社についても言えることです。
東日本大震災以前には、「無縁社会」「孤族の国」「葬式は、要らない」など、人間関係がどんどん希薄になって、日本人の「こころ」の環境が悪化していくという大きな危機がありました。どんな集団にも危機は訪れるのです。そこでは危機感が大事になります。
危機のサインは至る所で読み取ることができます。
あのタイタニック号も、前方の氷山が危険だという警告を無線で受けたり、航海時間の新記録のために無理なスピードを出していたなど、さまざまなサインがあったにもかかわらず、結果としてそれを危機管理に活かせず、悲惨な沈没事故を起こしてしまいました。


               シンギュラー・ポイントについて話しました


物理学の用語に「シンギュラー・ポイント」というものがあります。
陽明学者の安岡正篤がよく使った言葉ですが、「特異点」と訳され、現象の世界には常に伴うものです。例えば、水を沸かす。しばらくは何の変化も異常もない。そのうちに湯気が立ったり、泡が出たりするが、それだけのことで別に何のことはありません。
ところが、何のことはないと思って安心していると、それこそあっという間に急激に沸騰し始めます。いかにもその沸騰が当然起こったような気がするものですが、その沸騰点こそがシンギュラー・ポイントなのです。そして、「おや、煮えくり返っているぞ」と思っているうちに、異常なスピードでぐんぐん水が減っていって、時には噴き出したり、破裂したり、といった大異変が起こったりします。
この沸騰してから後の半分のスピーデイな変化の推移を「ハーフ・ウェイ」といいます。
1本のタバコの吸殻が大きな山火事を起こし、セルビアの1人の青年がオーストリアの皇太子を傷つけたサラエボの1発の銃弾から第1次世界大戦が勃発したりします。



人間というものは、シンギュラー・ポイントにならないと意識せず、自覚しません。
それは、ちょうどガン患者と同じかもしれません。ガンというものは決して当然変異ではなく、時間をかけて来るものですが、誰もなかなかそれに気づきません。
たまたま気がついても、それを打ち消して自分で自分を慰めます。
心配して医者にかかっても、医者からガンだと指摘されることを本能的に避けて、「ガンではありません。心配ないですよ」と言ってくれる医者を探して歩きます。人間にはこのような心理がありますが、本当にガンが明らかになった時にはもう手遅れなのです。
大切なのは、危機のサインを感知することです。そして、もっと大切なのは、危機のサインを感知したとき、けっして悲観的になってはならないということです。
危機感と悲壮感は違います。単に「この業界に未来はない」などと騒ぎ立てるだけでは悲壮感は生まれても、危機感は育たちません。「大変な時代になったが、これだけのことをやれば大丈夫だ」という生き残るための前向きで明確な指針が必要です。
そう、的確な指針を打ち出して実行しさえすれば、危機(ピンチ)は新たな機会(チャンス)になるのです。 



この考え方は、「禍転じて福となす」という言葉に通じます。また、わが社では「何事も陽にとらえる」ことを大切にしています。骨折した直後は、「足の骨折ぐらいで済んで良かった」と考えましたが、今は「足を骨折して良かった」と思うことさえあります。骨折していなかった頃には見えなかったことが色々と見えてくるからです。
特に、足の不自由な方や高齢者の気持ちが少しだけ理解できるようになりました。北九州にある当社施設も回ってバリアフリーの具合をチェックできました。何よりも、松葉杖をついていると、人の心がよく見えてきます。本当に思いやりのある人。思いやりはあるけれど、それを「かたち」に表すのが苦手な人。そして、まったく思いやりがない人・・・・・サービス業におけるホスピタリティを考える上で、非常に勉強になります。



さらに、執筆においても良かったと思っています。
というのも、現在わたしは『ブッダの考え方』(中経の文庫)と『世界一わかりやすい論語の授業』(PHP文庫)の2冊を同時並行で書き下ろしており、さらには『孔子とドラッカー』(三五館)の新装改訂版のための改稿作業も行っています。
つまり日々、ブッダ孔子ドラッカーの言葉を吟味して原稿を書いているわけです。
これは、よほどの集中力がなければできることではありません。これまでのように出張続きでバタバタと飛び回っていたら、おそらく不可能だったと思います。
その意味でも、このたびの骨折は「恵みの時」となりました。



しかし、わたしが「骨折して良かった」などと言えるのも、すべては周囲の人々のサポートのおかげです。まずは家族、そして会社のみなさん、本当に毎日お世話になっています。骨折してから、「ありがとう」という言葉を口に出す回数が本当に増えました。それまでも「ありがとう」は口癖にしているつもりだったのですが、この2週間は倍以上の「ありがとう」を言っています。「ありがとう」と口にするだけで心が感謝モードに入り、幸福感が湧いてきます。まったく、ありがたいことです。
こんな経験ができたのも骨折のおかげです。
世間では「骨折り損のくたびれ儲け」などと言いますね。
でも、わたしは「骨折り得の大儲け」と言いたいぐらいです。いや、ほんとに。
おかげさまで、20日にはギプスが外れ、21日から金沢に出張する予定です。


2011年6月18日 一条真也