『月の裏側』

一条真也です。

金沢から小倉に帰ってきました。悪天候で飛行機が遅れた上に、福岡空港の一番端に到着しました。非常に長い距離を松葉杖で歩いたので、疲れました。
さて、『月の裏側』恩田陸著(幻冬舎文庫)を読みました。
著者の小説を読むのは初めてですが、タイトルが月狂いのわたしの心を捉えました。


                水郷を舞台とした仮想現実の物語


物語の舞台は、明らかに柳川市をモデルとした九州の水郷都市・箭納倉です。
この街で3件の失踪事件が相次ぎました。
消えたのは、いずれも掘割に面した日本家屋に住む老女でした。
不思議なことに、彼女たちは、記憶を喪失したまま家に戻ってきます。
宇宙人による誘拐、新興宗教による洗脳など、さまざまな可能性が囁かれ、明らかに「西日本新聞」をモデルとした地元紙でも取り上げられます。
この事件に興味を持った元大学教授たちが「人間もどき」の存在に気づき、物語は次第に非日常の世界へと入っていきます。



「人間もどき」というテーマからもわかるように、本書を読むと「人間とは何か」について考えさせられます。ブログ『屍鬼』に書いた問題意識が再び突きつけられました。
物語の終盤では、町のほとんどの人間が「人間もどき」となり、主人公のような「人間」は少数派となります。このあたりの心理的なストレスは、なかなか怖いですね。
ジャック・フィニィの『盗まれた町』、眉村卓『ぬばたまの・・・』などを連想しました。
この他にも、本書と似たモチーフのSFやホラーは無数にあります。
でも、本書では「盗まれる」ことによって「本来の自分でなくなる」恐怖とともに、「盗まれる」ことによって多数派になることができたという安堵感もよく描けていました。



「月の裏側」というタイトルについてですが、おそらくは「もうひとつの世界」といったような意味なのでしょう。それとも、「仮想現実」というニュアンスも込められているかもしれませんね。そういえば、本書の舞台を水に囲まれた水郷都市にしたことは正解だったと思います。なぜなら、水面は現実の世界を映し出すけれども、それは現実の世界ではないからです。すなわち、「水面に映った世界」とは「仮想現実」そのものだからです。
ライアル・ワトソンヴェネツィアの水路からインスピレーションを得て『生命潮流』を書きましたが、著者は「日本のヴェネツィア」と呼ばれる柳川の水路からインスピレーションを得て本書を書いたのかもしれないなどと思いました。  


2011年6月24日 一条真也